移民政策で民意は分極化、大統領候補はいかに対応すべきか

2015年11月13日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

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 「わが国の南側の国境に私は巨大な壁を築く。そして費用はメキシコに負担させる」、2016年大統領選挙の共和党指名争いに出馬表明した演説でドナルド・トランプ候補は上記のように厳格な移民政策を有権者に訴えました。出馬表明以降、同候補の移民に対するさまざまな差別的とも捉えられる発言が物議を醸しているものの、国境警備の強化、強制送還、米国で生まれた子供に市民権を与える生得市民権の廃止といった政策をはじめ移民に対する強硬な姿勢は一部共和党有権者の強い支持を獲得しています。トランプ候補は2015年11月現在、共和党指名争いで1位、2位を競う高支持率を維持しています。

 

 

民主党大統領候補の第1回討論会を観るワシントン市内の民主党支持者の集会(写真:筆者)
民主党大統領候補の第1回討論会を観るワシントン市内の民主党支持者の集会(写真:筆者)

 一方、民主党指名争いでトップを走る前国務長官のヒラリー・クリントン候補やバーモント州選出上院議員のバーニー・サンダース候補は移民政策において、オバマ政権をさらに上回る寛容な姿勢を示しています。特に自称「民主社会主義者」のサンダース候補は不法移民への米国市民権付与を主張するだけでなく、フェンス建設による国境警備の強化にまで反対しています。米国民を対象とした世論調査結果によると、今日、米国社会は支持政党によって移民政策に対する考えが分極化しています。トランプ候補およびサンダース候補、そしてその影響を受けつつある各党候補の移民政策は、いずれも予備戦では多くの支持を得ることができても、本選でより幅広い有権者の支持を集めるには一部の政策で軌道修正が必要です。

 

 

• 経済低迷と移民人口急増に伴う反移民政策の盛り上がり

 大統領選で移民政策が主要テーマとして取り上げられている背景には、米国経済の低迷と移民人口の急増があると考えられます。米国では過去、大量の移民の強制送還をはじめ反移民政策を導入した歴史があります。世界大恐慌によって失業者が街中で溢れ、経済悪化で苦しむ1930年代、米国政府はさまざまな反移民政策を導入しました。移民のメキシコ人が職を奪っているとの考えから、メキシコ人の本国への強制送還が連邦政府、州政府、地元政府によって繰り広げられました。カリフォルニア州立大学のフランシスコ・バルデラマ教授は、著書『裏切りの10年(Decade of Betrayal)』で当時メキシコに帰国させられたのは100万人にも達するであろうと推定しています。2015年11月10日、ウォール・ストリート・ジャーナル紙とフォックス・ビジネス・ネットワークが主催した共和党候補の第4回テレビ討論会で、トランプ候補は経済が低迷していた1950年代半ばに米国政府が推進した不法移民のメキシコへの強制送還の取り組みについて紹介し、その後、メディアで大きく取り上げられました。今日、トランプ候補をはじめ共和党大統領候補が主張する反移民政策が多数の共和党有権者の支持を集めている背景は、1930年代と同様に経済悪化が大きな要因だと考えられ、2008年のリーマンショックを発端とした金融危機以降、経済は緩やかな回復基調にあるものの、経済回復をまだあまり実感できない国民感情が大いに影響していると思われます。

 

 半世紀前の移民法制定以来、米国社会の移民人口が急増していることも反移民政策の支持拡大に影響しているでしょう。米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、米国の全人口に占める外国生まれの人口は、1965年時点で約5%であったのが、現在約14%まで増加し、ほぼ100年ぶりの高水準に達しています。特に都市部で暮らす人々にとって、今や日々の生活の中で移民と接する機会は無数にあります。米国土安全保障省によると、米国には不法移民が約1,140万人在住(2012年1月時点)していると推定しています。中南米などからの不法移民の多くは低賃金労働に従事し、筆者もレストランの従業員と会話した際、過去にメキシコからリオグランデ川を泳いで越境してきた話など聞いたこともあります。日本の法務省の調査によると、日本の不法残留者数は約6万人(2015年1月時点)であり、それと比べると、米国がいかに多いかが理解できます。移民人口拡大は文化に多様性をもたらす一方、犯罪の拡大ももたらすという懸念する声も聞きます。2015年7月、サンフランシスコで起きた不法移民による女性無差別殺人事件は大統領選挙でもトランプ候補がさまざまなスピーチで取り上げ、メディアで大きく取り上げられました。経済低迷と移民人口の拡大が同時に起き、共和党支持層を中心に一部国民が反移民感情を抱いている状況を、高支持率のトランプ候補はうまく捉えているようです。

 

 

• 移民法制定から半世紀、激変する米国社会の人種構成

 移民人口拡大そして人種の多様化をもたらしたきっかけは、1965年10月、米国が公民権運動で沸く中、米議会が制定した1965年移民法(ハート・セラー法)です。同法が制定される前は、出身国別に割り当てた差別的な移民受け入れ制度に基づき、米国政府は出身国が北欧および西欧諸国である移民には容易に入国を認め、それ以外の地域からの移民については入国を制限していました。しかし、同法制定以降、それまでの国別割り当て制度は撤廃され、米国への移民の国籍の内訳は大幅に変わります。『Nation of Nations(多国からなる国家)』の著者である米公共ラジオ局NPRのトム・グジェルテン記者はNPRの番組(2015年9月15日)で、1960年時点で8人中7人の移民が欧州出身者であったのが、2010年には10人中9人の移民が欧州以外の地域出身者に激変した点を指摘しています。ピュー・リサーチ・センターによると、1965年以降、今日まで合計約5,900万人が米国に移住した結果、米国の人種構成に大きな影響を及ぼしています。図の通り、この半世紀で全人口に占める白人の割合は84%から62%まで減少している一方、ヒスパニックおよびアジア系が増加しています。この傾向は今後も続くと考えられ、2065年には米国はヒスパニック、黒人、アジア系といったマイノリティの合計が白人を上回る社会を迎える見込みです。

 

 

• 移民政策について民意は分極化

 ピュー・リサーチ・センターが実施した世論調査(2015年9月22~27日実施)によると移民政策に関して、国民は支持政党によって分極化しています。メキシコとの国境にフェンスを建設することについて、共和党支持者の73%、民主党支持者の29%が賛成しています。無党派層も含めると全体の46%が賛成しています。この結果から、民主党支持者は反対であるものの、非常に多くの共和党支持者はトランプ候補が主張する国境警備の強化について同意していることが読み取れます。

 

 一方、生得市民権については共和党支持者の53%、民主党支持者の23%が現行法改定を支持しています。無党派層も含めると全体の37%が生得市民権の現行法改定を支持しています。ちなみに、国民の大半が生得市民権の維持を支持しているものの、今日、先進国で生得市民権を維持している国は米国とカナダだけです。日本をはじめ他の先進国は生得市民権を認めておらず、米国の民意が反映されている同制度がいかに特殊であるかが理解できます。

 

 また、一定の条件を満たしている不法移民の米国滞在について、共和党支持者の32%、民主党支持者の17%が合法的な米国滞在を認めるべきでないと述べています。全体では24%が認めるべきでないと回答しています。世論調査結果から、一定の条件を満たす不法移民の米国滞在を除くと、米国社会は支持政党によって移民政策に対する考えが大きく分かれていると理解できます。

 

 

• 特に本選では移民政策に歩み寄りが必要

 トランプ候補やテキサス州選出上院議員のテッド・クルーズ候補をはじめ厳格な移民政策を主張する共和党大統領候補は、共和党有権者の意見をある程度、政策に反映していることが世論調査からもうかがえます。しかし、一定の条件を満たす不法移民の米国滞在に関しては認めるべきと考える共和党支持者も多いことから、本選に限らず共和党予備戦においても軌道修正が必要です。なお、共和党候補が本選で民主党に勝利するにはヒスパニックをはじめとしたマイノリティ票獲得が不可欠であり、移民政策が左右することが大いに推測できます(2015年9月10日記事参照)。

 

 前述の第4回テレビ討論会で、トランプ候補は、メキシコとの国境に壁を建設し、不法移民を強制送還する政策を改めて主張しました。これに対し、移民政策で穏健派のジェブ・ブッシュ候補(元フロリダ州知事)は「われわれの強制送還の議論を聞いているクリントン陣営は今頃、ハイタッチして喜び合っていることだろう。共和党が政権を奪還するには、より現実的な政策を打ち出さねばならない」と強く批判しました。トランプ候補やクルーズ候補を筆頭に一部共和党候補が活発に主張している強制送還といった厳格な移民政策が、国民の共和党全体に対するイメージとなることを防ぐべく議論の軌道修正を試みています。

 

 一方、サンダース候補の寛容な移民政策も、民主党有権者の意見を反映しています。ただし、民主党候補が本選で中道派をはじめより多くの支持を集めるには、特に国境警備の強化について、サンダース候補よりも厳格な姿勢を示す必要があるでしょう。2015年10月15日、クリントン候補は副大統領候補として有力視されているヒスパニック系のジュリアン・カストロ住宅都市開発長官の支持を自ら取り付け、より寛容な移民政策を訴えてヒスパニック票獲得に向けさらなる力を注いでいます。民意が分極化している移民政策について、今後も大統領選で論争が繰り広げられることが予想されます。両党の候補が本選で支持拡大を図るには、国民の移民に対する寛容な姿勢を把握しながらも、国境警備を強化する声も考慮したバランスのある移民政策を打ち出せるかが鍵となるでしょう。

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