トランプ次期政権のNAFTAへの影響
2016年12月05日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
要点
トランプ次期政権の主なリスクとして通商政策、そしてそれに伴う経済への影響が懸念されている。以下はワシントンの調査機関や法律事務所、金融機関などの分析をもとにトランプ次期政権の北米自由貿易協定(NAFTA)への影響についてまとめた情報。主なポイントは以下の通り。
- トランプ次期政権は選挙戦でNAFTA再交渉や対メキシコで35%の関税引き上げなどを公約したことからも、何かしらメキシコに対する保護主義政策を導入するがリスクある。なお、対メキシコ貿易政策における不確実性の高まりだけでもメキシコへの投資減少など同国経済に悪影響を及ぼす見通し。
- トランプ次期大統領はNAFTA条項に基づき議会承認を得ずにNAFTAを脱退することが可能。加えて、大統領には脱退の発効から1年が経過した後に、関税率を1975年1月1日時点の関税率表第2欄のものから最大50%、あるいは同時点の対象国に対する実効税率から最大20%(どちらか高い税率)まで引き上げる権限が与えられている。
- 一方、ポール・ライアン下院議長をはじめ共和党主流派議員の多くやビジネス界はNAFTA脱退に反対することが予想される。トランプ次期大統領はNAFTAからの脱退は最優先の目標ではないとも過去に発言している。脱退カードはNAFTA再交渉でメキシコ側からより良い条件を引き出すことを狙っているものと推察される。
1.トランプ政権の保護主義政策のリスク
大統領選での公約内容
- トランプ次期大統領は選挙戦を通じメキシコに関わる通商政策では、(1)NAFTA再交渉(より良い条件を引き出せない場合に限り脱退)と(2)対メキシコ輸入税を35%まで引き上げるといったことを公約。
トランプ次期大統領は公約を実行する権限はあるか
- トランプ次期政権では、選挙戦の公約内容からも何かしらメキシコに対する保護主義政策を導入するリスクがある。米国の消費市場へのアクセスについて不確実性が高まることにより企業は新規投資の決定を先送りするなどメキシコへの投資に悪影響を及ぼす。
- メキシコ経済は米国との貿易に多くを依存しており(輸出の約80%が米国向け)、またペニャ・ニエト政権は支持率悪化で弱体化していることからも交渉力がなく、米国側からの圧力に屈する可能性あり。
- トランプ次期大統領はNAFTA2205条に基づき議会承認を得ずにNAFTAから脱退可能。米国は書面通知から6か月後に脱退可能。仮にトランプ次期大統領が就任直後に通知した場合、早くて7月末以降の脱退が可能。
- 仮に米国がNAFTAから脱退した場合、新しい税率は一般の関税率であるMFN税率(最恵国税率)が適用される。ただし、脱退から1年間はNAFTA税率が適用される。米国のMFN税率は多くの品目で既に低く設定されており、法律事務所『>Miller Canfieldによると平均3.5%程度。
- 通商法125条に基づき、NAFTA脱退の発効から1年が経過した後、トランプ次期大統領には関税率を1975年1月1日時点の関税率表第2欄のものから最大50%、あるいは同時点の対象国に対する実効税率から最大20%(どちらか高い税率)まで引き上げる権限が与えられている。また、大統領は、不公正貿易、国家安全保障、その他国家の脅威となることを理由に通商法や議会承認を通じて他の方法で関税を引き上げることも可能とMiller Canfieldは分析。
- メキシコに生産拠点を移動させる企業に対し、トランプ次期大統領が制裁を発動する場合は、議会承認が必要とMiller Canfieldは分析(ただし、例外として緊急事態においては、対敵取引規制法や国際緊急経済権限法など大統領が貿易に関与する権限が付与されている)。選挙戦でもメキシコに一部生産を移すことを発表したフォードなどをトランプ次期大統領は批判した。同じく選挙戦でトランプ次期大統領が批判した空調大手キャリアは、2016年11月30日にメキシコへの移転予定であった工場をトランプ次期大統領とペンス次期副大統領と交渉の末、米国内に留めることで合意に至っている。たが、政権発足後もトランプ次期大統領が同様にメキシコに移転を考える企業を批判する可能性もあり、企業イメージ悪化の懸念や政治的圧力などから非効率であるものの国外移転を断念する企業が出てくる可能性あり。
議会共和党・ビジネス界からの反発により軟化の可能性
- 一方、議会共和党議員と他の優先課題との兼ね合いからトランプ次期大統領は保護主義政策を強く推進しない可能性もある(共和党主流派議員の多く、そしてビジネス界(ワシントンで強力なロビー団体を保有)もNAFTA脱退に反対)。
- ライアン下院議長は自由貿易推進派であり、政権側ではマイク・ペンス副大統領も大統領選前までは自由貿易推進派であったことから、トランプ次期大統領に貿易について正しい情報をインプットすることを通じて、既に他の政策で見られたように同大統領の考えがシフトする可能性もあるとワシントンの通商専門家は分析している。
- 米国の対メキシコ輸入は事実上1ドルあたり40セントは米国産(完成品になるまで国境を複数回またぐ)であることからも両国の貿易の重要性を認識することによって、トランプ次期大統領は現実路線を歩み、実際の通商政策は選挙戦の公約から軟化する可能性が高いと一部の専門家は指摘する。
2.保護主義政策のメキシコ経済への影響
メキシコ経済全般への影響
- メキシコの輸出は同国GDPの65%以上を占め、うち約80%が米国向け。米国のメキシコに対する保護主義政策はメキシコ経済にダメージとなる。
- メキシコ・ペソ下落に伴うインフレ率上昇により、メキシコ中銀のカルステン総裁は2016年11月17日の会合で政策金利を0.50%ポイント引き上げ、5.25%へ(12月会合でも更なる引き上げの可能性あり)。政策金利引き上げはメキシコ国内の消費市場・景気にも悪影響をもたらす。
通貨ペソ下落の影響
- トランプ政権の強硬な保護主義的政策により、ペソは対米ドルで下落することが予想されている。メキシコ中央銀行が民間企業を対象に毎月行っているアンケート調査の2016年12月版(同年11月23~30日調査実施)によると、2017年末の対米ドルレートは約21ペソ/ドルまで下落すると予想(選挙前実施の前月予想は約19ペソ/ドル)。一部の金融機関では2017年末には30ペソ/ドル近くまで下落するとの予想もある。ただし、トランプ次期大統領は通商政策でより現実路線を選択する可能性もあり、その場合、ペソ下落は抑えられる見込み。
3.今後の政策を占う上で重視すべき事項
- 政権発足前の段階で今後の方向性を占う上でトランプ次期大統領の経済政策に関わる残りの閣僚、経済アバイザーに誰が就任するかに注目。その他に注視すべきことは2017年1月末から2月に行う見込みの第1回一般教書演説でどれだけ保護主義的な政策を訴えるか、就任初日に公約通りTPP離脱を判断するか、WTO離脱・関税引き上げの判断、公約通り中国を為替操作国と認定するかなど。
- オバマ大統領も選挙戦ではNAFTA再交渉を公約に掲げたものの、政権発足後にはFTA推進派の閣僚を指名。トランプ次期大統領も政権発足後は現実路線を選択するとの意見もみられる一方、今回の大統領選では例年以上に反自由貿易が注目されていたこと、選挙戦でのトランプ氏の貿易顧問は反自由貿易を掲げる経済人や学者であり、彼らが政権入りすることも想定されていることからも、やや保護主義的政策が導入される可能性が高いと多くの専門家は指摘している。
以上
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