岐路に立つNAFTA再交渉―「毒薬条項」が引き続き足かせに

2018年01月09日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

米国が「毒薬条項」を初めて提案したNAFTA第4回交渉会合の会場(筆者撮影)
米国が「毒薬条項」を初めて提案したNAFTA第4回交渉会合の会場(筆者撮影)

 2017年12月中旬、NAFTA(北米自由貿易協定)再交渉の事務レベル会合(通称ミニラウンド)(注)が米首都ワシントンで開催された。だが、事前予想通り、大きな進展は見られず同会合は終了した。同年10月、第4回交渉会合で米国交渉チームが「米国第一主義」を掲げ保護主義的内容(通称「毒薬条項」)を提案以降、米国とその他2か国(カナダ・メキシコ)との間で根本的な交渉目的で大きな溝が浮き彫りになった。今日、その溝はいまだ埋まっておらず、交渉妥結の目途が立っていない状況が続いている。この状況下、ワシントンの業界関係者の間では仮に次回の第6回交渉会合(2018年1月23~28日、カナダ・モントリオール開催)が交渉決裂に終われば、トランプ政権はNAFTA離脱を通知するリスクが高いといった懸念も高まり始めている。 

 

 

◆NAFTA再交渉に新たに含まれた「毒薬条項」

 NAFTA各国の政府高官や交渉チームなどの話を総括すると現状、トランプ政権が手がけるNAFTA再交渉内容は以下の3項目に大きく分類できる。①と②は従来の政権も交渉してきた内容だが、③の「毒薬条項」は今回、新たに含まれたトランプ政権特有の交渉内容だ。

NAFTA再交渉:主な内容と見通し(出所:各種ヒアリングをもとに米州住友商事ワシントン事務所作成(https://www.scgr.co.jp))

 

 3項目のうち、③の毒薬条項の提案は導入した場合、自国経済に被害が及ぶことが予想されカナダ、メキシコが合意するインセンティブに欠けることからも、交渉は暗礁に乗り上げている。今後、トランプ政権はNAFTA再交渉をどう決着しようとしているか不透明な状況だ。毒薬条項については、カナダ、メキシコ両国は自国産業・域内産業への悪影響といった経済面だけでなく、政治面でも譲歩できない理由がある。政権発足以降、トランプ大統領がNAFTAについて繰り返し発言したことで、今日、再交渉は政治問題となっており、カナダ、メキシコ両国では同交渉は連日大きくニュースで取り上げられてきた。従って譲歩は国のプライドを傷つけ、自国民から交渉負けと批判されることが確実視され、到底できない状況に陥っている。このような国内事情により一歩も引けないカナダ、メキシコと交渉する米国は、今後、自らの提案を大幅に修正または撤回せねば3か国は合意に至らない見通しだ。

 

 なお、毒薬条項の提案から、これまで暗黙の了解のもと交渉されていた自由貿易(FTA)交渉の常識を覆す米国の新たな通商政策の方針が垣間見える。従来のFTA交渉では、各国の交渉目的は基本的なところで一致していた。ある元FTA交渉官によると、FTA交渉では各国は貿易統合で相乗効果、生産性向上を図ると同時にビジネスにとって重要な将来の見通しをより確かなものにする協定締結を目指すと同時に、貿易統合実現のためにある程度は自国市場の犠牲を払って開放する点を各国は理解しているという。現在、NAFTA再交渉でカナダ、メキシコ両国はこの従来の交渉目的を共有しているという。しかし、トランプ政権は貿易を「ゼロサム思想」に基づき勝敗があると捉えている。つまり、NAFTA再交渉において、カナダ、メキシコ両国は貿易投資拡大で全ての北米諸国が恩恵を享受する「ウィン-ウィン-ウィン」を狙っているのに対し、トランプ政権は米国のみが勝利することにしか関心を示していない。トランプ政権が勝利の物差しにしている指標は貿易赤字幅である。同政権はそれの削減を達成するため、原産地規則の強化など貿易障壁を高める要請を行っている。また、同政権のサンセット条項の提案内容はビジネスの不確実性を高めるなど、従来、不確実性を取り除くことを目的としてきたFTA交渉の基本的なコンセプトで大きな隔たりがあることが浮き彫りになっている。カナダ・メキシコ両政府は原産地規則の改定の提案などで、逆提案する前にまずは米国にその根拠の説明を求める戦略をとっている。同提案の矛盾、弱点などを米国に対し指摘するのが狙いだ。また、一部報道によると米通商代表部(USTR)はNAFTA再交渉の原産地規則の提案をデータ根拠なしに策定していたことが発覚している。当初、USTRは同提案を裏付ける必要情報は米業界から提供されることを願って作成したという。だが、現在、米自動車業界は現行の原産地規則改定を望まない状況にあり、USTRが当初目論んでいたアプローチは阻まれてしまっている。特に自動車産業の原産地規則改定については、トランプ政権が通商政策の成果の物差しとする貿易赤字削減に直結する提案であるだけに、米国交渉チームが今後、妥協するかが交渉の成否を分ける可能性が高い模様だ。

 

メキシコは交渉期限より内容重視へ、交渉長期化の恐れ

 第4回交渉会合では年内妥結を諦め、2018年3月まで交渉を延長する判断を行った。しかし、第5回交渉会合開催後、2018年3月の交渉妥結さえも達成が難しい雰囲気が漂い始めている。国内政治の関係で最も早期妥結を望んでいたのがメキシコだ。メキシコでは2018年3月末から大統領選(同年7月開催)の選挙キャンペーンが開始し、与党にとって交渉の継続は政治的な攻撃の的となりかねず、その前の妥結が望ましい。だが、第5回交渉会合後、メキシコ政府高官から聞いた話では同国政府としては交渉妥結時期よりも交渉内容を重視し、交渉期限はないと考えているという。またカナダ政府高官によると交渉長期化は不確実性を高めることから自国産業も好まないものの、国内事情によりカナダは米国の圧力で毒薬条項などを受け入れることはないという。このことからも米国が「米国第一主義」の交渉姿勢を今後も貫く限り交渉は平行線をたどり、2018年3月までの包括的な交渉妥結の可能性は低い。

 

高まる米離脱懸念、第6回交渉会合が山場に

 カナダとメキシコが毒薬条項で一歩も引かない状況下、ワシントンの通商専門家そして業界関係者の間では次回の第6回交渉会合で交渉が決裂に終われば、痺れを切らしたトランプ大統領がNAFTA2205条に基づき、離脱を通知するのではないかといった懸念が広まっている。NAFTA2205条に基づき離脱通知から6か月経過後に米国は正式にNAFTA離脱が可能になる。そして、米国が交渉で優位な地位を築き、離脱通知後にカナダとメキシコに毒薬条項を飲ませる圧力をかけるというシナリオが考えられている。だが、仮にトランプ大統領が離脱通知し圧力をかけたとしても、カナダ、メキシコ両国は先述の通り、国内事情からも妥協せず、米国は離脱を判断あるいは暗礁に乗り上げた状態が長期化する可能性もある。つまり、それはフィナンシャルタイムズ紙が「ゾンビーNAFTA」と呼ぶ、協定が存続するかどうか不確実な状態と化したNAFTAだ。2017年12月、トランプ政権は税制改革法成立によって政権発足以来、初めて議会承認が必要なメジャーな公約の実現に漕ぎ着けた。これによって、通商政策をはじめ他の重点政策でトランプ政権はがむしゃらに成果を求める圧力は減るといった憶測もある。だが、ワシントンでより多く聞かれるようになっているのが、これまで税制改革法案審議の過程で議会共和党との関係悪化を懸念し保護主義政策を控えてきたトランプ大統領が同法成立後、NAFTA再交渉に本腰を入れ、交渉手段としてNAFTA離脱を通知するのではないかとの懸念だ。一方、これまで税制改革法案可決に向けロビー活動の労力と費用を注いできた米産業界も、新たにNAFTAにフォーカスをシフトし、NAFTA離脱を回避するためのロビー活動を活発化する見込みだ。その声を受けた議会もNAFTAを守るためにより積極的に政権に働きかけることが予想される。果たしてトランプ政権は、NAFTA再交渉でカナダ、メキシコからの抵抗、そして業界や議会からのロビー活動で自らの通商政策に基づく交渉コンセプトを根底から修正し交渉妥結に至るのか、第6回交渉会合に向けた今後の国内外のせめぎ合いが注目される。


(注)ミニラウンドは第5回交渉会合(2017年11月メキシコ開催)と第6回交渉会合(翌18年1月カナダ開催)の中間点で閣僚級が参加しなかった事務レベル会合。

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