ミャンマー新政権の発足

2016年04月21日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也

概要

  • 2016年3月30日、ミャンマーではティン・チョー氏が大統領に就任し、55年ぶりに選挙で国民の支持を得た政権が発足した。
  • 新政権の体制について注目すべきポイントは以下の5点と考えられる。
  1. 新政権の発足にあたり最も注目されたのは、国民民主連盟(NLD)議長で新政権の実質的なリーダーとなるアウン・サン・スー・チー氏の処遇であったが、新政権は、①スー・チー氏の忠実な側近であるティン・チョー氏を大統領、②スー・チー氏を外相と大統領府相とし、さらに③国家顧問を新設してスー・チー氏を就任させた。これにより、スー・チー氏は、大統領に就任することなく、新政権のトップに立ち実権を掌握するに至った。まさに「大統領を超える存在」になったといえよう。
  2. 新政権が安定的な統治を実現する上で不可欠な要素は国軍との協力関係であるが、①軍人議員団の選出枠により、強硬派の国軍出身者で米国の経済制裁対象者でもあるミン・スエ氏が副大統領に就任したこと、②NLDが主導する議会が軍人議員の意向を無視して国家顧問を新設する法案を強行的に成立させたこと、③ティン・チョー大統領が就任直後のスピーチにおいて憲法改正を行うことを断言したことは、今後の新政権と国軍との関係に不安を抱かせるものとなった。なお、2人の連邦連帯発展党(USDP)党員の閣僚への起用は、シュエ・マン前下院議長の推薦に従った措置であり、国軍との関係への配慮に基づくものではないとみられる。新政権は、挙国一致体制というよりも、実質的にはNLD単独政権の色彩が強い。また、シュエ・マン氏の影響力の増大は国軍との関係をかえって悪化させる可能性がある。
  3. NLDはこれまで政権を担当した経験がなく、その統治能力は未知数であるが、①NLD議員の閣僚が半数に満たないこと、②スー・チー氏が複数の重要ポストを兼務すること、③計画・財政相という重要ポストに指名された人物に学歴詐称があったにもかかわらず交代させなかったことは、NLDの人材不足を露呈させた。また、④31の省庁を21に削減する省庁再編は、行政コストを削減し、効率的な意思決定を実現させると期待されるが、体制が確立するまでの間、行政の遅れを生じさせる可能性がある。
  4. 少数民族武装勢力との停戦を含む国民融和は新政権にとって最も重要な課題の一つであるが、新政権は、①少数民族出身者を要職に就け、②民族問題を所管する省を新設することで、国民融和を重視する姿勢を示した。一方、③地方政府の首長をすべてNLDが独占した人事は、有力少数民族政党の激しい反発を招き、今後の国民融和の進展に不安を抱かせるものとなった。
  5. 宗教問題への対応は新政権にとって重要な課題であるが、①チン族のキリスト教徒が副大統領に就任したことは国民融和に向けた一歩として評価された一方、急進派仏教徒の反発を招いた。また、②宗教問題を所管する大臣によるイスラム教徒に対する差別的な言動があり、今後の新政権の宗教政策に不安を抱かせるものとなった。
  • 以上のとおり、様々な不安を抱えながら、実質的に「アウン・サン・スー・チー政権」ともいうべき新政権は発足した。今後、新政権が上記課題にどのように対応していくかが注目される。 

 

 

1. 新政権の発足

 ミャンマーでは、1962年の軍事クーデター後、軍事政権による統治が続いた。2011年に民政移管が実現したが、テイン・セイン大統領政権を支える連邦連帯発展党(USDP)は軍事政権の翼賛団体である連邦団結発展協会の後継組織であり、国軍による実質的な支配は継続した。しかし、2015年11月の総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝し、過半数の議席を確保したことで、NLDが主導する政権が発足する道が開かれた。

 2016年2月1日、上記総選挙で当選した議員による新議会が開会し、同年3月15日、全議員の投票によりティン・チョー氏が次期大統領に選出された。そして、同年3月30日、ティン・チョー氏が大統領に就任し、55年ぶりに選挙で国民の支持を得た政権が発足した。

 

 

2. 新政権の体制

(1)中央政府

 新政権の体制は下表のとおりである。

役職

氏名

所属

経歴(注1)

備考

大統領

(下院議員団の選出)(注2)

ティン・チョー

Htin Kyaw

NLD

ビルマ族とモン族の混血

ドー・キン・チー基金理事

元計画・財政省の官僚

ヤンゴン経済大学卒(修士)

ロンドン大学コンピュータ科学研究所に留学

アウン・サン・スー・チー氏と同じ高校出身

父は著名な作家ミン・トゥ・ウン

夫人はスー・スー・ルイン下院議員(下院国際関係委員会委員長)

岳父(ルイン下院議員の父)はNLD創設メンバー

誠実な性格からアウン・サン・スー・チー氏の信頼が厚く、2012年まで同氏の秘書を務めた。

副大統領

(上院議員団の選出)(注2)

ヘンリー・ヴァン・ティオ

Henry Van Thio

NLD

チン族、キリスト教徒

上院議員

USDPの強硬派であった故アウン・タウン氏と近い関係にあったといわれる。

副大統領

(軍人議員団の選出)(注2)

ミン・スエ

Myint Swe

USDP

ヤンゴン管区首相

元国軍中将

元ヤンゴン管区司令官

軍政時代のトップであったタン・シュエ氏に近い関係にあり、強硬派といわれる。米国の経済制裁の対象者。

国家顧問

(新設)(注3)

外相

大統領府相

アウン・サン・スー・チー

Aung San Suu Kyi

NLD

議長

下院議員

新政権発足当初は電力・エネルギー相、教育相を兼務。(注4)

農業・畜産・灌漑相

(農業灌漑省と畜産・水産・農村開発省を統合)(注5)

アウン・トゥー

Aung Thu

NLD

下院議員

元ヤンゴン大学学長

 

運輸・通信相

(鉄道省、運輸省、通信・情報技術省を統合)(注5)

タン・ジン・マウン

Thant Zin Maung

NLD

下院議員

元ミャンマー国鉄の幹部

 

文化・宗教相

アウン・コー

Aung Ko

USDP

中央執行委員

前下院議員

元副宗教相

元国軍士官

シュエ・マン前下院議長に近いといわれる。

資源・環境保護相

(環境保護・林業省と鉱山省を統合)(注5)

オン・ウィン

Ohn Win

元イェジンの林業大学教授

コロラド州立大学卒(分水界管理修士)

 

電力・エネルギー相

(電力省とエネルギー省を統合)(注5)

ペ・ジン・トゥン

Pe Zin Tun

エネルギー省事務次官

アウン・サン・スー・チー氏から交代。(注4)

労働・入国管理相

(労働・雇用・社会保障省と入国管理・人口省を統合)(注5)

テイン・スエ

Thein Swe

USDP

下院議員

シュエ・マン前下院議長に近いといわれる。

計画・財政相

(国家計画・経済開発省と財政・歳入省を統合)(注5)

チョー・ウィン

Kyaw Win

NLD

下院議員

元国家計画・経済開発省、内国歳入局の官僚

大臣に指名された直後、虚偽の学歴(博士号)が発覚。

工業相

キン・マウン・チョー

Khin Maung Cho

民間企業の幹部エンジニア

ラングーン工科大学卒

 

保健相

ミン・トゥエ

Myint Htwe

元保健省の官僚

元WHO勤務

ジョンズ・ホプキンス大学卒(国際衛生・疫学博士)

 

教育相

ミョ・テイン・ジー

Myo Thein Gyi

教育相教育研究局長

元ウェスト・ヤンゴン大学学長

ヤンゴン大学卒(数学修士)

アウン・サン・スー・チー氏から交代。(注4)

建設相

ウィン・カイン

Win Khaing

元国営ミャンマー石油・ガス公社勤務

ラングーン工科大学卒

 

社会福祉・救済・復興相

ウィン・ミャ・エイ

Win Myat Aye

NLD

上院議員

元マグウェー医科大学学長

小児科医

 

ホテル・観光相

オーン・マウン

Ohn Maung

NLD

ホテル経営者

 

商業相

タン・ミン

Than Myint

NLD

下院議員

 

情報相

ペ・ミン

Pe Myint

ラカイン族

作家

元医者

 

民族問題相

(新設)(注5)

ナイ・テ・ルウィン

Nai Thet Lwin

モン民族党

副議長

モン族

 

国防相(注6)

セイン・ウィン

Sein Win

国軍

国軍中将

国防相

 

内務相(注6)

チョー・スエ

Kyaw Swe

国軍

国軍中将

国境問題相

 

国境問題相(注6)

イェ・アウン

Ye Aung

国軍

国軍中将

 

(注1)特に記載がない場合、ビルマ族の仏教徒。

(注2)ミャンマーでは、上院議員、下院議員、軍人議員の3つの議員団がそれぞれ大統領候補を選出し、選出された3人の候補の中から全議員の投票により大統領が選出される。大統領に選出されなかった2人の候補は副大統領に就任する。

(注3)2016年4月6日、アウン・サン・スー・チー氏が就任する役職として「国家顧問」(state counsellor)を新設する法案が成立した。国家顧問は、大統領や閣僚に助言を行い、議会運営に関与するなど、立法と行政の両面にわたり権力を行使するポストであり、首相に類似する役割を担う [*1]

(注4)新政権が発足した当初、スー・チー氏は、外相、大統領府相、電力・エネルギー相、教育相の4閣僚を兼務したが、2016年4月4日、ティン・チョー大統領は、新たに教育相と電力・エネルギー相を指名し、スー・チー氏は外相と大統領府相の2閣僚を兼務することになった。

(注5)2016年3月21日、ティン・チョー次期大統領(当時)が提案した省庁再編案が議会で可決され、31の省庁 [*2]が21に削減された [*3]

(注6)国防相、内務相、国境問題相は、国軍司令官が任命する。

(出所:各種報道より筆者作成)

 

(2)地方政府

 ティン・チョー大統領は、7州・7管区全ての首相にNLD所属の州・管区議員を指名した。

 

 

3. 新政権のポイント

新政権の体制について注目すべきポイントは以下の5点と考えられる。

(1)アウン・サン・スー・チー氏による実権掌握

 新政権の発足にあたり最も注目されたのは、NLD議長で新政権の実質的なリーダーであるアウン・サン・スー・チー氏の処遇であった。

 すなわち、NLDが議会で過半数の議席を占めているにもかかわらず、NLD議長であるスー・チー氏には大統領になる資格が認められていない。現行憲法59条(f)で、外国人の親族をもつ者が大統領に就任することが禁じられており、スー・チー氏には英国籍の子どもがいるためである。スー・チー氏は、総選挙の前から、たとえ大統領になれずとも「大統領を超える存在になる」と公言し、実質的な権力を握る方針であることを明示していた。NLDは、総選挙後、憲法条項を凍結することでスー・チー氏の大統領就任を実現する可能性を追求し、国軍との間で折衝を重ねていたが、国軍の反発は強く、この構想は断念された。そこで、NLDと新政権は、スー・チー氏のリーダーシップを確保すべく、以下のとおり体制を整えた。

 まず、忠実な側近として長年スー・チー氏を支えてきたティン・チョー氏を大統領に就任させた。ティン・チョー氏は、英国留学と計画・財政省に勤務した経験があり、著名な作家の父、有力な下院議員の妻を持ち、総選挙直後から有力な大統領候補者として名前は挙がっていたが、議員として選出されたことはなく、政治手腕は未知数で、知名度も低い人物だった。この人事は、大統領はスー・チー氏の代理としての役割を担い、実権はスー・チー氏が握ることを示唆している。

 次に、スー・チー氏を外相と大統領府相に就任させた。外相は非常事態において国家の最高意思決定機関となる「国防・治安評議会」に出席できる貴重なポストであり [*4]、また、大統領府相は大統領と日常的に行動をともにし、緊密に連携するポストである。この人事により、国家の重要な決定のすべてにスー・チー氏が関与する体制が整ったとみられる。

 最後に、国家顧問のポストを新設し、スー・チー氏を就任させた。国家顧問は、立法と行政の両面にわたり権力を行使するポストであり、首相に類似する役割を担う。この人事により、スー・チー氏のリーダーシップに法的な正当性が与えられるとともに、スー・チー氏が閣僚就任に伴い議員を失職した後も立法活動に関与することが可能になったとみられる。

 以上の措置により、スー・チー氏は、大統領に就任することなく、新政権のトップに立ち実権を掌握するに至った。まさに「大統領を超える存在」になったといえよう。

 

(2)国軍との関係

 新政権が安定的な統治を実現する上で不可欠な要素は国軍との協力関係である。現行憲法の下では、国軍司令官が上下両院の4分の1に相当する166人を軍人議員として指名し、国防、内務、国境問題の3大臣を任命するうえ、非常事態の際には大統領を上回る権限を持つなど、国軍に大きな権限が認められている。また、1990年の総選挙では、NLDが大勝したにもかかわらず、軍事政権は選挙結果を無視して統治を続けた。国軍の協力なくして新政権を維持することは不可能である。

 このため、2015年の総選挙でNLDが大勝した後、国軍がいかなる対応をするか注目されたが、アウン・サン・スー・チー氏は、ミン・アウン・フライン国軍司令官や軍政時代のトップであるタン・シュエ氏らと会談を行い、前政権であるテイン・セイン大統領政権はスムーズな政権移譲に向けた協力を約束した。2016年3月16日、国軍は、ティン・チョー新大統領の大統領選出を祝福し、新大統領への協力を約束する声明を発表し、政権移譲は大きな問題が生じることなく実現した。

 しかし、国軍は、スー・チー氏が大統領に就任するための憲法の改正または凍結に応じることはなかった。このため、総選挙後の融和的な雰囲気は変化し、NLDと国軍の間には亀裂が深まっていたといわれる [*5]。このような状況において新政権が発足したが、新政権と国軍による以下の対応は、今後の両者の関係に不安を抱かせるものとなった。

 まず、軍人議員団の選出枠により副大統領に就任したミン・スエ氏は、軍政時代のトップだったタン・シュエ氏の妻の甥で、同氏に近い関係の国軍の実力者であり、2007年の反政府デモ(「サフラン革命」)当時には国軍第5特別作戦室長を務め、デモ弾圧を主導したといわれる人物であり、米国の経済制裁対象者である。強硬派の国軍出身者で、米国の経済制裁対象者でもある人物が副大統領に就任したことは、国軍のNLDに対する牽制を示唆しているとみられる [*6]

 次に、国家顧問を新設する法案に対し、軍人議員は、立法と行政の分立を侵害し、憲法に違反する可能性があるとして反対した。同法案の提出は軍人議員団には事前に知らされていなかったという [*7]。軍人議員は、下院で採決を棄権し、総立ちして抗議を表明したが、同法案は、上院と下院それぞれにおいて提出からわずか1日で採決された。このように、NLDが主導する議会が軍人議員の意向を無視して国家顧問を新設する法案を強行的に成立させたことは、国軍との関係を悪化させたとみられる。

 さらに、ティン・チョー大統領は、就任直後のスピーチにおいて、民主的な憲法を実現すべく、憲法改正を行うことを断言した。前述のとおり、現行憲法の下ではアウン・サン・スー・チー氏の大統領就任は認められず、また国軍に強力な権限が与えられており、このような憲法を改正することはスー・チー氏にとって長年の悲願である。しかし、国軍は自らの権限を縮小する憲法改正には反対しており、性急に進めれば国軍との衝突を招くおそれがある。

 また、省庁再編で、国軍の既得権を縮小することになれば、反発を招くおそれがある。

 なお、USDP、少数民族政党、在野の専門家を登用していることは、一見すると、挙国一致体制を実現しているようにも思える。しかし、USDP党員である2人の閣僚はシュエ・マン前下院議長と近い関係にあるといわれている [*8]。シュエ・マン氏はかつて国軍の実力者であったが [*9]、長年スー・チー氏と盟友的な関係にあり、2015年8月、USDP党首を解任された人物である。USDP党員である2人の閣僚も、このときにUSDP指導部から追放されたともいわれている [*10]。シュエ・マン氏は、2016年2月から始まった新議会において下院の法務・特別問題評価委員会委員長に就任しており、スー・チー氏との協力関係は継続しているとみられる。以上にかんがみると、USDP党員の閣僚への起用は、シュエ・マン氏の推薦に従うことでNLDの行政経験不足を補うための措置であり、国軍との関係への配慮に基づくものではないとみられる。すなわち、新政権は、挙国一致体制というよりも、実質的にはNLD単独政権の色彩が強い。また、シュエ・マン氏の影響力の増大は国軍との関係をかえって悪化させる可能性がある。

 

(3)新政権の統治能力

 NLDはこれまで政権を担当した経験がなく、その統治能力は未知数である。NLDは、2015年11月の総選挙で改選議席の8割近い議席を獲得して圧勝したが、当選した議員の大半は新人である。このため、アウン・サン・スー・チー氏は、NLDに限らず広く人材を登用する方針を明らかにしていた。

 新政権の閣僚は、国軍司令官が任命する国防、内務、国境問題の3大臣を除き、①NLD党員がスー・チー氏を含め7人(うち6人が連邦議員)、②USDP党員が2人(うち1人が連邦議員)、③少数民族政党(モン民族党)所属の連邦議員が1人、④その他が7人であった。また、新政権発足当初、スー・チー氏は、外相、大統領府相、電力・エネルギー相、教育相の4閣僚を兼務したが、その後、電力・エネルギー相と教育相は交代し、外相と大統領府相の2閣僚を兼務することになった。また、チョー・ウィン計画・財政相については、計画・財政相に指名された直後、博士号を取得したという学歴が虚偽であったことが判明した [*11]。さらに、ヘンリー・ヴァン・ティオ副大統領は、USDPの強硬派でイスラム教徒弾圧や汚職の疑惑があった故アウン・タウン元工業相と近い関係にあったといわれている [*12]

 NLD議員の閣僚が大統領が指名する閣僚(18ポスト)の半数に満たないこと [*13]、スー・チー氏が複数の重要ポストを兼務すること、計画・財政相という重要ポストに指名された人物に学歴詐称があったにもかかわらず交代させなかったことなどは、NLDの人材不足を露呈させたといえる。

 また、省庁再編は、行政コストを削減し [*14]、効率的な意思決定を実現させると期待されるが、体制が確立するまでの間、行政の遅れを生じさせる可能性がある。

 

(4)少数民族との関係

 少数民族武装勢力との停戦を含む国民融和は新政権にとって最も重要な課題の一つであるが、NLDは、2015年11月の総選挙にあたり、少数民族政党との共闘を選択せず、少数民族政党と競合する選挙区を含むほとんどの選挙区で候補者を立てる戦術を選択した。結果、少数民族政党は、アラカン民族党(ANP)とシャン民族民主連盟(SNLD)を除き、ほとんどの選挙区で敗北した [*15]。NLDと少数民族政党はこれまで協力関係にあったが、新政権がどのような対応をとるのか注目された。

 まず、新政権では、チン族であるヘンリー・ヴァン・ティオが副大統領に就任した [*16]。2016年2月から始まった新議会では、下院副議長にカチン族の議員、上院議長にカレン族の議員、上院副議長にラカイン族の議員が就任している。また、新政権は民族問題省を新設し、モン族のナイ・テ・ルウィン氏を大臣に就任させた。このように、新政権は、少数民族出身者を要職に就け、少数民族問題を所管する省を新設することで、国民融和を重視する姿勢を示した。

 一方、新政権がビルマ族が多数を占める地域である7管区のみならず、州議会でNLD以外が第一党となったラカイン州およびシャン州を含む7州全ての首相にNLD所属の州・管区議員を指名したことは有力少数民族政党の激しい反発を招いた。すなわち、ラカイン州の有力政党であるANPは、同党から同州の首相を指名することを求めたが、受け入れられず、2016年3月28日、同党の議員は抗議のため議場から退出した。また、シャン州の有力政党であるSNLDは、NLDが提示した州政府の民族相のポストを拒否したことを明らかにし [*17]、従来のNLDとの協力関係から方針を転換する姿勢を示した。このように、地方政府の首長をすべてNLDが独占した新政権の人事は、少数民族政党との協力関係を妨げるおそれがあり、今後の国民融和の進展に不安を抱かせるものとなった。

 

(5)宗教政策

 全人口の9割を仏教徒が占めるミャンマーでは、ラカイン州におけるイスラム教徒(ロヒンギャ)と仏教徒の間での対立が深刻な問題となっている。ロヒンギャを攻撃する急進派仏教団体「国家と宗教保護のための委員会」(マバタ)は、前政権において、仏教徒の改宗や仏教徒の女性の非仏教徒の男性との結婚を規制する4件の法律(民族宗教保護法)を成立させることを働きかけ、2015年8月、すべての法律が成立した。このように、宗教問題への対応は新政権にとって重要な課題となっている。

 チン族のキリスト教徒であるヘンリー・ヴァン・ティオ氏の副大統領就任は、少数民族と有識者からは国民融和に向けた一歩として評価された。しかし、マバタは、非仏教徒が副大統領に就任することに反発し、抗議の集会を開く許可を申請した [*18]

 また、文化・宗教相に就任したアウン・コー氏は、就任直後のインタビューで、「イスラム教徒は従属的な地位にある国民」と発言し、イスラム教団体から批判された。さらに、2016年4月4日、同氏はマバタの指導者ウィラトゥ師と会談し、再びイスラム教徒からの反発を招いた。宗教問題を所管する大臣によるイスラム教徒に対する差別的な言動は今後の新政権の宗教政策に不安を抱かせた。

 

 

4. おわりに

 以上のとおり、様々な不安を抱えながら、実質的に「アウン・サン・スー・チー政権」ともいうべき新政権は発足した。今後、新政権が上記3.で述べた課題にどのように対処していくかが注目される。

以上

 

 


[*1] 2011年に前政権であるテイン・セイン大統領政権が発足して以来、ミャンマーに首相は置かれていない。

[*2] 大統領府相は6人置かれていたため、36省庁とカウントする場合もある。

[*3] ①農業灌漑省と畜産・水産・農村開発省を統合して「農業・畜産・灌漑省」、②鉄道省、運輸省、通信・情報技術省を統合して「運輸・通信省」、③環境保護・林業省と鉱山省を統合して「資源・環境保護省」、④電力省とエネルギー省を統合して「電力・エネルギー省」、⑤労働・雇用・社会保障省と入国管理・人口省を統合して「労働・入国管理省」、⑥国家計画・経済開発省と財政・歳入省を統合して「計画・財政省」とし、⑦「少数民族問題省」を新設し、⑧6人の大統領府相を1人とした。

[*4] 国防・治安評議会のメンバーは、①大統領、②副大統領2名、③上院議長、④下院議長、⑤国軍司令官、⑥国軍副司令官、⑦国防相、⑧外相、⑨内務相、⑩国境問題相の11人。

[*5] Reuters(2016年3月11日付)“Myanmar military chooses hardliner to work with Suu Kyi’s proxy president” http://www.reuters.com/article/us-myanmar-politics-idUSKCN0WD0BS

[*6] The Economist(2016年3月19日付)“A new president in Myanmar: Changing lanes” http://www.economist.com/news/asia/21695087-aung-san-suu-kyis-party-prepares-move-opposition-government-changing-lanes

[*7] The Wall Street Journal(2016年4月7日付)“Aung San Suu Kyi’s Ascent Frays Ties With Myanmar’s Military” http://www.wsj.com/articles/aung-san-suu-kyis-new-leadership-role-irks-myanmar-military-1460033152

[*8] The Myanmar Times(2016年4月6日付)“The continued influence of Thura Shwe Mann” http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/nay-pyi-taw/19848-the-continued-influence-of-thura-u-shwe-mann.html

[*9] 軍事政権時代はナンバー3の地位にあり、序列はテイン・セイン前大統領(4位)より上位にあった。

[*10] 前掲注8。

[*11] チョー・ウィン氏の履歴書には、「ブルックリン・パーク大学」で博士号を取得したとの記載があったが、同大学は、詐欺グループがつくった架空のオンライン大学であり、同氏は、指摘を受けて、博士号が虚偽の学歴であったことを認めた。

[*12] The Irrawaddy(2016年3月11日付)“Military VP Revealed As Executive Trio Finalized” http://www.irrawaddy.com/burma/military-vp-revealed-executive-trio-finalized.html

[*13] 閣僚に就任した議員は失職するため、NLDとしては所属議員の減少をできるだけおさえたいと判断したこともあったとみられる。

[*14] ティン・チョー大統領は、省庁再編により、5年間で50億チャット(約5億円)の経費が削減できると述べている。

[*15] 連邦議会ではANPが22議席、SNLDが15議席、州・管区議会ではANPが22議席、SNLDが25議席を獲得したが、他の少数民族政党は、連邦議会では5議席以下、州・管区議会では7議席以下であった。

[*16] 前政権で副大統領を務めたサイ・マウ・カン氏(上院議員団の選出)はシャン族である。

[*17] The Myanmar Times(2016年3月25日付)“ SNLD rejects offer of posts in government” http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/nay-pyi-taw/19643-snld-rejects-offer-of-posts-in-government.html

[*18] The Myanmar Times(2016年3月17日付)“Nationalists to protest against Christian as VP” http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/19501-nationalists-to-protest-against-christian-as-vp.html

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