景気回復を実感しにくい2つの変化

2018年02月23日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

概要

 景気回復が続いてきた中で、実感がないと言われることが多い。それについて、日本企業・経済の乖離と生産プロセスの変化の視点から検討した。まず、企業の海外展開が進んだことで、企業業績の改善と国内景気の回復に歩調のズレがみられるようになった。また、生産プロセスでは、生産技術の向上や輸入財の増加、最終需要の項目・品目の変化などによって、雇用者報酬が増えにくくなっている。ただし、足もとでは景気回復と人手不足などから、労働生産性と賃金のトレードオフの関係が崩れて、賃金が上昇する兆しがみられる。設備投資が回復するなど、好況の実感を得られるような素地がある一方、企業や消費者に慎重な行動をとらせるリスクも残っているため、実感を得るにはまだ時間がかかりそうだ。

 

 

1. 実感なき成長

 これまで景気回復が続いてきた。実質GDPは、2017年10-12月期まで8四半期連続の前期比プラスを記録し、28年ぶりの長い成長期間となった。また、2017年第4四半期の名目GDPは548.7兆円と、それまでのピークだった1997年第4四半期の実績値(535.9兆円)を2016年第1四半期に上回るなど、水準も高まっている(内閣府『四半期別GDP速報』2017年10-12月期1次速報)。

 

 今回の景気回復の中で際立っているのは、雇用環境の改善だ。2017年の完全失業率は2.8%と、1994年以来23年ぶりに3%を下回った。また、有効求人倍率は1.50倍まで上昇し、44年ぶりの高水準になった。個人消費が10-12月期に前期比プラスに転じるなど、消費と雇用の好循環の入り口がみえてきたようだ。

 

 しかし、「景気回復の実感がない」と言われることが多い。実際、図表①のように、雇用者報酬は2017年10-12月期に276.0兆円まで増えたものの、以前のピーク(1997年7-9月期279.4兆円)の壁を越えられずにいる。厚生労働省『毎月勤労統計調査』によると、名目賃金(現金給与総額)は2014年から前年比プラスに転じたものの、2017年には同0.4%にとどまっており、勢いを欠いたままになっている。

 

 そこで、以下では、景気回復を実感しにくい要因について、日本企業・経済の乖離と、生産プロセスの変化の2点から検討してみる。

 

図表① GDPと雇用者報酬 (出所:財務省、内閣府より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 

2. 日本企業・経済の乖離

 企業が海外展開を進めてきた中で、日本企業・経済の成長に乖離がみえはじめた。図表②は、名目GDP(国内総生産)と名目GNI(国民総所得)、その差(=名目GNI-名目GDP)である海外からの所得の純受取(=受取-支払)を表している。海外からの所得(純受取)は、『国際収支統計』の第一次所得収支に相当し、直接投資収益や証券投資収益からなる。この「日本企業が海外で稼いだ利益」が増えてきた。

 

 海外からの所得の純受取は、年換算20兆円規模にまで拡大してきた。2000年に約8兆円、2005年に約12兆円だったことを踏まえると、海外で稼ぐ力には明らかな増加トレンドがみられる。実際、経済産業省『海外事業活動基本調査』によると、製造業の海外生産比率(海外進出企業ベース)は2005年度の30.6%から2015年度の38.9%へと上昇しており、企業の海外展開が着実に進んできたことがうかがえる。

 

図表② GDPとGNI (出所:内閣府より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 しかし、消費者の実感に近いところの国内景気はGDPで捉えられるので、海外ビジネスを中心に企業業績が改善してGNIが増加しても、その恩恵が国内に広がってGDPの拡大につながらなければ、消費者は景気回復を実感しにくい。特に、海外展開企業の業績改善から消費者に到達するまでの波及経路が細くて長いことから、その恩恵が広がるまで時間がかかる傾向がある。また、リーマンショック後、欧州債務危機にはじまり、Brexitや欧州政治、米国トランプ政権樹立など、先行き不透明感が強かったことも、企業や家計に積極的な行動を躊躇させており、その恩恵が波及しにくい一因になってきたとみられる。このような企業と経済全体の歩調のズレが、実感を得にくい景気回復を生み出す一因になっていると考えられる。

 

 

3. 生産プロセスの変化

 また、実感を得にくい背景には、生産プロセスの変化がある。ここでは、家計の消費者という顔に加えて、労働者という一面に焦点をあてる。輸出などの最終需要が拡大しても、雇用者報酬(以下、賃金総額)が増えにくくなっている状況が想定される。

 

 そこで、図表③のように、生産プロセスに注目して賃金総額の変化を(1)最終需要規模、(2)最終需要の需要項目(消費や投資、輸出などの需要項目の変化)、(3)最終需要の品目構成(需要項目ごとに財やサービスなどの品目構成の変化)、(4)輸入係数(最終・中間需要における輸入財需要の変化)、(5)投入係数(生産技術の変化)、(6)雇用者報酬係数(1単位当たりの生産に必要な雇用者報酬の変化)と(7)その他の7つの要因に産業連関分析を用いて分けてみた。

 

 その結果、最終需要規模と賃金総額の変化の方向性は概ね合っており、経済が成長すると賃金総額が増えるという関係は保たれているようだ。その一方で、それ以外の要因が賃金を下げる方向に作用しているため、最終需要規模の効果が相殺されている。

 

 賃金総額の押し上げ効果を弱める要因として目立つのは、最終需要の品目構成や輸入係数、投入係数、雇用者報酬係数などである。例えば、最終需要の品目構成は、財からサービスへのシフトによって、相対的に賃金が低いサービス業の割合が高まっているため、平均賃金が低下する傾向にある。輸入品の増加や生産拠点の海外移管によって、国内に残った生産プロセスの生産性が相対的に高くなり平均的な生産性が高まることや、技術進歩などによって国内の生産性自体が向上していることもある。生産性の向上は、以前と同じ生産量であれば、必要な原材料や中間財、人手も少なくて済む。このような生産プロセスの変化は、賃金総額の押し上げ効果を弱める方向に作用してきたといえる。

 

 また、1990年代末から2000年代前半にかけて目立つのは、雇用者報酬係数の変化による賃金総額の押し下げ圧力である。これは、平均賃金が低下してきたことを反映していると考えられる。この背景には、パートタイムや非正規労働者の割合が増えて平均賃金が低下したことや、フルタイム労働者の賃金も伸び悩んだため、全体の賃金をけん引できなかったことがあげられる。また、足もとにかけては、景気拡大の中で、女性や高齢者の短時間労働が促進されて、結果的に平均賃金が低下していることもある。

 

 図表④のように、単位労働費用と労働生産性の関係から賃金を捉えてみると、1990年代後半から2000年代後半にかけて、労働生産性を高めながら単位労働費用を削減してきたというトレードオフの関係がみられる。その結果、賃金指数は2000年の100から2014年にかけて約9 %低下してきた。この状態が好転しないかぎり、賃金上昇はなかなか難しいとみられる。

 

図表③ 雇用者報酬の変化の要因分解 (出所:経済産業研究所『JIPデータベース2015』より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

図表④ 労働生産性と賃金 (出所:総務省、内閣府より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 

4. 好況の実感を得るには時間が必要に

 足もとにかけて、労働生産性と単位労働費用のトレードオフの関係が崩れているようにみえる。労働生産性を大幅に低下させることなく、単位労働費用が上昇しており、賃金水準はボトムから約3%増加した。

 

 こうしたトレンドを勢いづかせそうな変化もある。企業の設備投資は5四半期連続で前期比プラスになるなど回復しており、それが労働生産性を押し上げる方向に影響するようになるとみられる。そうなると、企業は賃金上昇という負担増を吸収しやすくなるので、賃上げに前向きに対応できるようになるだろう。人手不足によって、労働市場の需給が引き締まっているという素地も、賃金上昇にとっては追い風だ。また、人手不足の一因である人口減少のトレンドは容易に変わらないため、そのような企業行動が今後も続くと想定できれば、消費者は将来見通しを改善させて、今よりも消費水準を引き上げることで、結果的に経済の自律的な成長の勢いが強まると期待される。

 

 その一方で、それを阻害するリスクを払拭しがたいことも事実だろう。先行きの読めないリスクが、デフレ慣れした企業や消費者に慎重な行動をとらせやすい上、今後、設備投資の一服感が出てくることも想定される。景気回復の実感を得るには、まだ時間がかかりそうだ。

以上

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