広がる軟着陸シナリオ~米国経済

2023年09月15日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

 

概要

  • 米国経済は、緩やかに回復している。実質GDP成長率は2023年第2四半期(Q2)まで4四半期連続のプラス成長になった。市場では、2023年末から2024年初めにかけての景気後退から、景気減速に見通しが上方修正されつつある。米国経済が軟着陸できるという見方が、市場では広がりつつある。
  • しかし、実際に景気減速で済むのか、確信は持てない。急ピッチの金融引き締めが実体経済へ及ぼす悪影響、商業用不動産市場の動向、海外経済の減速など、景気の下振れリスクは依然として大きいからだ。先行きについて、明確な見通しを持ちにくいために家計や企業が積極的な行動を躊躇(ちゅうちょ)する結果、米国経済の景気減速が一段と進み、ほかの要因と相まって景気後退に陥ってしまうリスクを排除しがたい。

 

1. 広がる軟着陸シナリオ

 米国経済は、緩やかに回復している。図表①のように、2023年Q2の実質GDP成長率は前期比年率+2.1%と、4四半期連続のプラス成長を記録した。内訳をみると、2023年Q2には、民間需要が底堅く経済成長を支えた。例えば、個人消費は、非耐久財やサービスを中心に堅調さを見せた。設備投資では、利上げの影響などから住宅投資が減少し続けた一方で、企業の設備投資が持ち直したことで、設備投資全体としては2022年Q1以来のプラスへの寄与になった。このように、米国経済は2023年上半期に、緩やかに成長してきた。

 一方で、2022年末にかけて内需が減速したことなどを踏まえて、2023年末から2024年初めにかけて米国経済が景気後退局面に陥るという見方が市場では大勢だった。しかし足元では、米国経済の軟着陸への期待が再び広がっている。例えば、7月の連邦公開市場操作委員会(FOMC)で、FRB(米連邦準備理事会)スタッフは、2023年末にかけて景気後退から景気減速へと、米国経済の見通しを上方修正した。また、8月下旬以降に発表された雇用関連の指標から、労働需給のひっ迫が和らぎつつある兆候もみられた。これらが、米国経済の軟着陸シナリオを補強した。

 もちろん、今後の景気後退を払しょくしがたいことも事実だ。例えば、米供給管理協会(ISM)の製造業購買担当者景気指数が8月まで10か月連続で好不調の境目の50を下回っている。また、景気後退のシグナルでもある2・10年債利回り差も逆転したままだ。それらに加えて、歴史的な物価高騰の中で急ピッチな利上げを実施してきた背景もあり、景気後退を回避できるか、十分な確信が持てない。

図表① 実質GDP成長率図表② 主要経済指標

 

2. 米国経済の現状

 ここでは、個別の経済指標から米国経済の現状と先行きを考える(図表②、③)。

  • 個人消費:緩やかに持ち直している。供給側の小売売上高は8月に前月比+0.6%と、5か月連続で増加した。物価変動を調整した実質は▲0.1%となり、5か月ぶりに減少した。実質では2・3月の低下分を取り戻せておらず、直近ピークの1月の水準を回復していない。また、需要側の7月の個人消費支出は、名目で8か月連続増となる+0.8%、実質で4か月連続増の+0.6%だった。内訳をみると、財消費が伸び悩んだ一方で、サービス消費は底堅く推移してきた。2021年4月以降、2年近くマイナスだった実質賃金の上昇率もようやくプラスに転じており、実質的な購買力の回復が、個人消費を下支えしつつある。ただし、コロナ禍の現金給付などの政策支援によって増加した貯蓄や、巣ごもりなどにより現金が使われなかった結果増加した貯蓄がこれまでの消費にあてられて、枯渇しつつある。また、物価上昇の中で、生活水準を維持するために、クレジットカードなどの負債も増加している。こうしたことを踏まえると、先行きの個人消費は力強さを欠くことになるだろう。
  • 設備投資:足踏みしている。7月の非国防資本財(除く航空機)出荷は前月比0.3%と、2か月連続で減少した。2023年に入ってから前月比のプラスが3か月、マイナスが4か月とほぼ同じであり、足踏み状態にあるといえる。7月時点の出荷はほぼ1月並みの水準であり、おおむね横ばい圏の動きになっている。国内外の景気の先行き不透明感や、資材価格や金利の上昇、金融機関の融資厳格化などが、足元の設備投資の重石になっている。先行きについては、設備投資に先行する非国防資本財受注(除く航空機)は2か月ぶりに増加して+0.1%だった。これもならしてみれば、2023年初めからおおむね横ばい圏を推移している。先行きの設備投資では、これまでに積み上がってきた受注残が下支えとなる一方で、金利上昇や融資厳格化や国内外景気の先行き不透明感などから、当面弱めの動きが続きそうだ。
  • 輸出:弱い動きになっている。7月の実質輸出は前月比+1.1%と、3か月連続で増加した。ただし、直近ピークの2023年1月から約4%下回ったままだ。輸出物価は2022年6月をピークに緩やかに低下しており、輸出需要(=実質輸出)を押し上げる効果は限られているようだ。実質輸出の内訳をみると、自動車が持ち直している一方で、消費財は横ばいで推移し、食品・飼料、原油などを含む工業用品が年初から減速しているなど、品目によって方向感が異なっている。また、7月の名目輸出は前年同月比9.3%と、4か月連続で前年の水準を下回った。そのうち中国向け輸出は13.9%と3か月連続の2桁減だった。先行きの輸出は、海外景気の弱さや対中規制の強化などもあり、弱含むだろう。
  • 生産:一進一退。7月の鉱工業生産指数は、前月比+1.0%と3か月ぶりに増加した。製造業と鉱業はそれぞれ+0.5%と3か月ぶりのプラス、公益事業は+5.4%と4か月ぶりのプラスだった。製造業の内訳をみると、自動車の生産が回復した一方で、一般機器や一次金属、電気機械などの動きは鈍く、産業によって状況は異なっている。 また、鉱工業生産は、2023年Q2まで3四半期連続で減少しており、これまでのところ勢いを欠いていた。先行きについて、受注残が7月まで5か月連続前月比プラスとおおむね増加トレンドにあるため、それをこなしていくことで生産活動は大きく崩れないとみられるものの、国内外の景気減速懸念を踏まえると、力強い姿も想定しがたい。
  • 物価:上昇ペースが縮小しつつある。7月の消費者物価指数は前年同月比+3.2%となり、6月の+3.0%から上昇率を拡大させた。上昇率が前月から拡大するのは、2022年6月以来、13か月ぶりのことだった。食品とエネルギーを除くコア指数は+4.7%となり、前月から▲0.1ptと小幅に縮小したものの、高い上昇率を維持している。内訳をみると、2022年上半期まで物価上昇のけん引役だったエネルギー(▲12.5%)や中古車・トラック(▲5.6%)の価格は低下している一方で、食品(+4.9%)や新車(+3.5%)はまだ高い上昇率になっている。家賃も+7.7%とまだ上昇率を縮小させていない。一方、FRBが参照している個人消費支出(PCE)デフレータは7月に、前年同月比+3.3%だった。6月の+3.0%から3か月ぶりに、上昇率が拡大した。内訳をみると、エネルギー価格が低下(14.6%)した一方、サービス価格(+5.2%)は高止まりしており、物価の基調はまだ強い。また、川上の生産者物価指数は7月、前年同月比+0.8%となり、6月の+0.2%から拡大した。前月比も+0.3%となり、3か月ぶりに上昇した。一時に比べて川上からの物価上昇圧力は弱まっていることは事実だ。しかし、物価の基調が強いことを踏まえると、先行きついて、上昇率は縮小するものの、当面2%を上回ったままだろう。
  • 雇用環境:回復している。8月の非農業部門雇用者数は前月比18.7万人増で、3か月連続で20万人割れになった。産業別にみると、鉱業(▲0.2万人)が2か月ぶりに減少、情報業(▲1.5万人)が4か月連続で減少した。一方で、教育・ヘルスケア(+10.2万人)や娯楽・接客業(+4.0万人)などが増加した。雇用者数が全体として新型コロナウイルス感染症の拡大前を上回る中、娯楽・接客業やその他サービス業は下回ったままだ。失業率は、前月から0.3pt上昇して、2022年2月以来の高水準となる3.8%だった。ただし、FOMC参加者の経済見通し(6月時点)の2023年末の4.1%や、長期の4.0%を下回っている。7月の求人件数は883万件と3か月連続で1,000万件を下回った。先行きについては、労働需給のひっ迫が緩和しつつあるなど、変化の兆しが見えているものの、雇用環境は当面底堅いだろう。
  • 8月の平均時給は前年同月比+4.3%となり、前月から0.1pt縮小した。2月の+4.7%を除くと、2023年初めから+4.3~+4.4%で上昇率は安定している。アトランタ地区連銀の「Wage Growth Tracker」によると、転職者の賃金(中央値の3か月移動平均)は前年同月比+5.6%だった。2022年7月には+8.5%まで上昇していたものの、足元では2022年1月(+5.1%)以来の小さな伸びになった。また、転職していない人の賃金上昇率(+5.2%)にも、転職者の賃金上昇率は近づいてきた。「地区連銀経済報告(ベージュブック)」(FRB)でも一時、労働者を引き留めるために、賃金を上げたり、労働環境を改善させたりしていると報告されていたものの、そうした声も少なくなってきた。こうした賃金上昇ペースの鈍化は、雇用環境の変化を示唆しているようだ。
  • 金融政策:政策金利の誘導目標レンジは7月のFOMCで0.25%引き上げられて、5.25~5.50%に設定された。利上げは2会合ぶり(22年3月以降の累計5.25%)だった。次回以降について、引き続き経済指標を見て判断する姿勢が示された。
  • 今回の利上げ局面の初期には、物価高騰に直面して利上げ幅が0.75%と、前回の利上げ局面の3倍の数値に設定された。その後、利上げ幅は0.5%、0.25%と段階的に縮小され、6月の据え置きと7月の0.25%利上げの組み合わせで1会合あたり平均0.125%と、さらに利上げペースが緩やかになったと解釈できる。政策金利がターミナルレートに近づき、利上げ打ち止めも視野に入ってきた。
  • また、7月のFOMCで、FRBスタッフは、従来の年末年始の景気後退見通しを撤回した。これは、米国経済の軟着陸の可能性が高まったという見方だ。8月下旬以降の雇用関連指標から、労働市場の需給が緩みはじめた兆候がみられた。これまでの物価上昇率の縮小を織り込むと、9月のFOMCでは利上げが見送られる公算が大きくなっている。

図表③ 物価・賃金指標図表④ 雇用者数と求人件数

 

3. トピック:雇用環境の変化の兆し

 雇用環境には、変化の兆しが見えている。図表④のように、8月の非農業部門雇用者数は前月比18.7万人増と、3か月連続で節目の20万人を下回った。また、雇用の変化を先取りするといわれる専門・ビジネスサービスのうち、人材派遣業は▲1.9万人と、7か月連続で減少した。雇用者数は増加しているものの、その増加ペースは緩やかになっている。

 前述のように、7月の求人件数は883万件と、3か月連続で1,000万件を下回った。4月の1,032万件の前の2~3月も1,000万件を下回っており、2022年3月に1,203万件とピークをつけた求人数は、緩やかに減少している。それでも2019年の平均(716万人)を大幅に上回っており、調整はまだ始まったばかりだ。

図表⑤ 労働参加率(%)図表⑥ 雇用者数

 

 また、図表⑤のように、労働参加率は上昇傾向にある。労働参加率は2020年2月の63.3%から2020年4月には60.1%まで低下した後、緩やかに回復、2023年8月には62.8%まで持ち直した。しかし、年齢層によって労働参加率の動向は異なっている。8月の25~54歳の労働参加率は83.5%となり、2月以降、2020年2月(83.0%)を上回っている。それに対して、20~24歳の若年層の労働参加率は71.2%と、2020年2月の73.1%を下回っている。55歳以上も、足元で38.8%と、2020年2月(40.3%)を下回っている。

 実際、図表⑥のように、雇用者数の動きも異なっている。コロナ禍後の経済活動の再開状況や、2022年末から2023年初めにかけての小売や情報産業での人員整理、移民流入の減少、高齢者層の労働市場からの退出、学生ローン返済先送りなど、さまざまな要因が労働供給に影響しているとみられる。こうした要因が足元で徐々に変化しつつあるため、景気の減速感の強まりなどと相まって、結果として労働需給のひっ迫も緩和することになる。ただし、個人消費など需要を抑えることや、販売価格への労働コストの転嫁を抑えることを通じて、物価上昇率を目標の2%に回帰させるためには、もう一段の雇用環境の悪化が必要な情勢だ。

図表⑦ 金利とドル指数図表⑧ 景気・景気先行指標

 

4. 先行き:景気減速で済むのか

 足元で緩やかに回復する米国景気は、年末・年始にかけて減速する可能性が高まっている。景気後退を回避できるとしても、景気減速を回避することは難しいだろう。図表⑩のように、ISM製造業PMIは下げ止まりつつあり、OECD景気先行指数も持ち直しの兆しが見えているようだ。しかし、これまでいずれの指数も低下し、景気の減速を示唆している。一方、物価上昇率については、緩やかに上昇率を縮小させていくとみられる。図表⑦のように、金融市場ではこれまでの利上げや先行きの景気減速などを織り込んで、米2年債利回りや10年債利回りが足元で上昇してきた。

 ただし、景気や物価上昇の減速ペースや減速幅、減速期間については、予想しがたい面もある。実際、2年債利回りは10年債利回りを上回ったまま(逆イールド)であり、今後の景気後退のシグナルを発し続けている。これまで、逆イールドが発生すれば、米国の景気は後退していたため、今回もそうなる可能性が高いとみられてきた。足元で逆イールドが縮小しつつあるとはいえ、今回は違うのか、まだ確信は持てない。

 その理由として、下振れリスクが大きいことが挙げられる。物価高騰の悪影響に加えて、3月に広がった金融不安、それと金利上昇による金融機関の融資姿勢の厳格化、商業不動産市況の悪化などが挙げられる。また、ユーロ圏や中国経済の景気も足元ではさえない。それぞれの経済が下振れリスクに直面しており、明確な成長見通しを描きにくい状況にある。

 高騰する物価を抑制するためには、金融引き締めによって景気を減速させるしかない。痛みが少ない適度な減速が可能なのかと問われれば、その難易度は高いといわざるを得ない。しかも、2022年は世界同時利上げの様相を呈しており、そうした引き締めは、コロナ禍で脆弱になった経済に打撃を及ぼしていることは間違いない。先行きについて、明確な見通しを持ちにくいために家計や企業が積極的な行動を躊躇する結果、米国経済の景気減速が一段と進み、ほかの要因と相まって景気後退に陥ってしまうリスクを排除できない。

 

以上

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