キルクークを巡るイラク政府とクルド自治政府の攻防と今後の展望

2017年10月23日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
広瀬 真司

はじめに

 イラク北部のキルクークを巡るイラク政府とクルド自治政府の対立の経緯と、今後の展望について解説する。

 

 

1.クルド自治区エリアと実効支配

【図表1】クルド自治区周辺エリア概要(出所:Wikimedia Commons)

 【図表1】に位置関係を示した。イラクの北東部に位置し、オレンジ色のところがクルド自治政府の治める自治区である。その周辺の黄色のエリアは、クルド自治区ではなく、2014年以降クルド自治政府の軍隊であるペシュメルガが実効支配している地域である。2014年6月に過激派組織「イスラム国(IS)」が出現した時、イラク軍は一目散に逃げ出したため、クルド人の住む地域の防衛のため、ペシュメルガが自治区周辺エリアでもISと戦った。それ以降、このエリアもクルド自治政府が実効支配しており、油田のあるキルクークも過去3年間クルド自治政府の支配下にある。

 

 

2.クルド住民投票強行とイラク政府との攻防

 今回事態が急展開したのは、9月25日にクルド自治区及びキルクークを含むクルドの実効支配地域で、独立を問う住民投票が実施されたためである。イラク政府は、住民投票を「違憲」と判断し、中止するよう警告していた。イラク同様国内にクルド人を抱えるトルコとイランも、自国内のクルド人の独立意欲に火がつくことを恐れ、住民投票の中止を要求。米国も、IS掃討作戦に影響が出るとして、投票を延期するよう要請していた。このような周辺国及び国際社会の要請にもかかわらず、クルド自治政府は住民投票を強行。これに対してイラク議会は、キルクークへの進軍と油田の奪還を議決。10月初めにキルクークの西にあるハウィージャをISから奪還したイラク軍及びシーア派民兵は、その後東のキルクークへ進み、ペシュメルガと数日間のにらみ合いが続いた。

 

【図表2】クルド自治政府の主要政党(出所:各種報道等より住友商事グローバルリサーチ作成、写真:Wikimedia Commonsより)

 10月16日早朝、イラク軍がキルクークに進軍すると、小さな衝突は発生したものの、大きな衝突はなく、キルクークを守っていたペシュメルガは撤退した。詳細は不明だが、【図表2】のバルザニ・クルド自治政府大統領率いるクルド民主党(KDP)にクルド自治政府内で対抗するタラバニ前イラク大統領派のクルド愛国同盟(PUK)の一部の幹部が、イラク政府と直接交渉し、キルクークを守っていたペシュメルガに撤退命令を出したと言われている。今回の作戦で、2014年以降にクルド自治政府が実効支配を広げた多くの地域がイラク軍によって制圧され、ペシュメルガはクルド自治区内に押し戻される格好になった。バルザニ自治政府大統領が、イラク政府、トルコ、イラン、米国の反対を押し切り住民投票を強行したために、イラク政府の強い反発を招き、クルド自治政府は実効支配してきたエリアや油田を失う結果となった。

 

 

3.鍵となる原油輸出パイプライン

 クルド自治政府は、2014年にキルクーク一帯の油田を実効支配下に置き、クルド自治区からトルコへの独自のパイプラインで原油輸出を始めたことで、経済的な観点からも独立が可能と考えた。しかし、住民投票の強行に強い反発を示したトルコは、クルドのパイプラインを止めると脅しをかけている。クルド自治区の収益の8~9割を占めるといわれる原油輸出のほとんどは、このパイプラインを通して行われているため、これを止められれば、クルド自治政府にとって壊滅的な打撃となる。陸の孤島で、現状トルコ経由のパイプラインからしか原油を売却するルートを持たないクルド自治区の独立は、非常に脆い拠り所の上に成り立っていると言える。さらに、クルド自治区の原油生産の約半分を占めるキルクーク一帯の油田をイラク政府に取り返された今、独立の可能性は急速にしぼんでしまった。

 

 

4.今後の展開

 2017年11月に予定されていたクルド自治政府の議会及び大統領選挙は、先週になって延期が発表された。今後、大きな焦点は、イラク政府とクルド自治政府の原油取り扱い交渉に移っていくだろう。もともとクルド自治区で生産された原油も全てイラク政府が管理・販売し、自治政府はイラク政府から原油販売収益の17%を受け取っていたが、2014年に自治政府が独自で原油輸出を始めてからイラク政府はこの送金を止めている。キルクーク一帯の油田を失ったクルドは、今後イラク政府の支援が不可欠になることから、弱い立場で原油取り扱い交渉に入ることになる。

 

【図表3】直近のイラク政治イベント(出所:各種報道等より住友商事グローバルリサーチ作成、写真:Wikimedia Commonsより)

 同時に、バルザニ自治政府大統領の立場も弱体化することが予想され、逆にキルクークからの撤退でイラク政府に協力したPUKのタラバニ派は、既にイラク政府からの資金支援の約束を取り付けたとも言われており、イラク政府との関係でKDPに比べて優位に立ったと言える。しかし、バルザニ大統領及びKDPがこのまま引き下がるとは思えず、今後クルド自治政府内の対立が表面化することは避けられないだろう。

 

 また、アバディー首相の評価が上がっている。アバディー首相は、3年前、イラクの3分の1をISに奪われた状態でイラクの首相に就任したが、2016年以降次々とISの占領地域を制圧し、現在シリアとの国境周辺地域を除いて、国土のほとんどをISから取り戻した。今回のクルドの住民投票に対しても毅然とした態度で対応したことで強いリーダー像を確立しつつあり、2018年4月のイラク議会選挙での再選に向けて、アバディー首相は着実に歩を進めている。

以上

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