氷解する北極海~新たな地政学の前線

2025年09月30日

住友商事グローバルリサーチ(株)代表取締役社長
横濱 雅彦

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「この気候変動は、私の見解では、世界に仕掛けられた最大の詐欺だ…」※

9月23日の国連総会における演説で、トランプ米大統領は数々の強い言葉を発し、それも想定の範囲内だと受け止める解説とともに報道されました。その中でも、冒頭のメッセージに続けて、「その環境詐欺から脱しなければ皆さんの国は失敗する」と言い切り、地球温暖化そのものを否定する姿には懸念を抱かざるを得ません。

 

タイミングを合わせたかのように、同日の報道で、中国のコンテナ船「イスタンブール・ブリッジ」が砕氷船に伴走し、浙江省寧波を出港して北極海を経由し、英国フェリクストゥ港への試験航海を始めたとのニュースが報じられました。氷に閉ざされてきた北極圏を定期航路とする構想自体は数十年前から存在していましたが、今回の航海は単なる試験ではなく、商業コンテナ船に貨物を積んだ実証実験であり、定期航路運用を視野に入れたリハーサルとして、実現可能な段階に達していること、すなわち、北極海の氷解がそれほど進行していることを改めて認識させられました。

 

気候変動の現実は、北極圏にとどまりません。この夏も日本各地で線状降水帯による集中豪雨が発生し、河川の氾濫や土砂災害が相次ぎました。中国や東南アジアでも洪水被害が頻発し、欧州では記録的な熱波が報じられ、農作物への影響も深刻です。自然災害の頻度も規模も、減るどころか増している現実は、「詐欺」と呼ばれて消えるものではなく、日常生活や経済を直撃する現実の脅威です。

 

世界貿易の大きなシェアを占める中国から欧州への物流は、現在スエズ運河や地中海を経由していますが、北極海ルートを利用すれば、およそ40%の距離短縮が見込まれます。物流コストの削減、燃料費の節約、そして何より地政学的観点から、新たなシーレーンの確保という戦略的意義があります。温室効果ガスによる気温上昇が、地球の他地域に較べ3~4倍の速さで進むともいわれる北極で、さらに氷の後退が進めば、数十年後には既存の航路を補完する新たな大動脈となる可能性が現実味を帯びてきます。

 

地理的に北極圏から離れているにもかかわらず、2018年に自らを「近北極国家」と自称した中国は、気候変動を現実として捉え、砕氷船「雪竜2号」の就役や研究航行の実績を積み重ねてきました。北極海の氷解が進む中で、中国が一帯一路構想の延長と位置づける「氷上シルクロード」の実現が、当初の想定よりも前倒しで進んでいるように見受けられます。

 

もちろん、ロシアは世界最大の砕氷船艦隊を背景に、北極海を「自国のシーレーン」と位置づけ、軍事拠点の強化を進めています。米国もアラスカからの関与を強め、NATOの北方戦略と連動させて存在感を示す構えです。中でも、ウクライナとの戦争で疲弊し、北極海へのリソース配分が難しくなっているロシアの事情を背景に、中国が「協力強化」の名のもとで影響力を拡大しつつある様子がうかがえます。

 

石油・ガスに加え、レアアースや希少金属の埋蔵も注目される北極圏は、経済・安全保障の両面で各国の関心が集中する地域です。こうした状況を踏まえ、北極圏を「新冷戦の前線」と呼ぶ論考もあります。確かに各国の思惑がぶつかり合う構図は冷戦を想起させますが、単なるにらみ合いにとどまらず、航路の実証、砕氷船の投入、軍事プレゼンスの強化といった具体的な行動がすでに進行していることを考えれば、もはや「凍りついた均衡」としての冷戦ではなく、「実際の衝突に備えた地政学的前線」と表現する方が現実に近いのかもしれません。気候変動を「詐欺」とする主張が、世界の対応を遅らせ、北極海の氷解をさらに加速させることのないよう、さらにそれが各国の衝突に転じぬよう、強く望みたいところです。

 

※国連総会におけるトランプ大統領演説(9/23)の報道より
(原文:「~This ‘climate change,’ it’s the greatest con job ever perpetrated on the world, in my opinion,~」)

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