ヤンゴン/ミャンマー ~歴史的大変革と変わらないもの~

2016年07月11日

アジア大洋州住友商事会社 ヤンゴン事務所
中川 勝司

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 「軍人はどこにいるのですか?」

 

 同地をよく知る駐在員から聞いた話では、数年前までの軍事政権時代、初めてミャンマーの地を踏む出張者を町へ案内した時によく受けた質問だそうです。軍事政権という響きから、映画で見る第二次世界大戦下のヨーロッパの町のごとく、銃を抱えた軍人が町角ごとに目を光らせている風景を想像していたのでしょう。ところが実際は、男性も女性もロンジーという巻きスカートのような服装で、路上には何十年選手かと思われる年代物の車と、サイカー(3輪自転車タクシー)が一緒に走るのんびりしたもので、出張者は一気に緊張が緩むとともに前述の質問をしたようでした。

 

 しかし、国民は1988年の軍による弾圧以降、人前では民主化運動のシンボル、アウン・サン・スー・チー氏(現国家顧問)の名前すら口にできず、「レディー」という単語で彼女を表現し、ひそひそと話さざるを得ませんでした。外国人は常に所在をトレースされていると噂され、国民も集会禁止条例の下、地区の治安委員に届けなければ友人の家に泊まることすらできませんでした。インターネットも一般には解禁されず、携帯電話も30万円もしたことから普及せず、全ては口コミで情報の広まる社会でした。

 

 

街中を走るバス (筆者撮影)
街中を走るバス (筆者撮影)

 ところが、今、目にするヤンゴンはどうでしょう。 

 

  町中あちこちで高層ビルが建築中で、道路という道路、細い路地に至るまで車で埋まり、人々は皆スマートフォンを手にしています。そして、露店ではどうどうとスー・チー国家顧問のブロマイド、カレンダー、顔入りTシャツまで売られており、思わず見入ってしまいました。

 

 2011年の軍による民主化政権誕生以降、ヤンゴンでは不動産バブルが起こり、段階的に規制緩和された結果、大量の中古車が主に日本から一気に入り、道路という道路を埋めてしまったそうです。通信市場も外資系企業に開放され、SIMカードが1,500チャット(約150円)と劇的に下がった結果、スマートフォンが一気に普及し(大手携帯電話会社に出資している弊社の努力もあり!)、今や加入者は約4,000万人、普及率80%を超えたと言われています。Facebookの利用者も1,000万人を超え、口コミ社会に代わり政治をも動かすコミュニケーション手段になっています。

 

 

伝統儀式「元服式」 (筆者撮影)
伝統儀式「元服式」 (筆者撮影)

 すっかり変貌してしまったヤンゴンですが、国民は今でも日常ことあるごとにパゴダ(仏塔)にお参りに行き世界一と言われる寄進をしているばかりか、休日の旅行先もこれまたパゴダ。新しいショッピングセンターにはミニスカートやジーンズをはじめとした外国ファッションがあふれていますが、町中で見る国民はまだロンジーが多数派です。若い女性の化粧ですら伝統的なタナカ(ミカン科の木をすって粉にしたもの)が一般的ですし、会社には昔と変わらずタミンジャイというステンレス製の弁当箱を持参しています。町中で、写真のような伝統的な儀式(元服式)を見かけることもあります。昔の友人を訪ねて以前と変わらない生活リズムに触れ、ほっと安心したのも事実です。

 

 そして2016年、軍主導による民主化政権という助走期間を置いて、遂に、54年間連綿と続いた軍による統治から解放された真の民主化政権が3月30日に誕生しました。1948年の独立以来続いている少数民族武装勢力との内戦停戦交渉など問題は山積していますが、戦前のラングーン空港が東南アジアのハブ空港として活躍し、輝きを放っていた時代があったと聞いています。当時のようにまた国民全員が幸せになれ輝く国になって欲しいと願うのは筆者のみではないと信じています。

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