シドニー/オーストラリア ~成長し続ける街~

アジア・オセアニア

2020年06月08日

オーストラリア住友商事会社 シドニー本社
齊田 忠勇

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シドニーのオペラハウス(筆者撮影)
シドニーのオペラハウス(筆者撮影)

 今 新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)と世界が戦う中、2年間過ごしたシドニーで新たな発見をしました。「No worries(心配ない、問題ないよ)」を連発する楽観主義のオーストラリア人(オージー)というイメージとは異なり、早い段階で政府が打ち出したSocial Distancing(人同士の距離をとること)や行動抑制の要請を彼らは見事に遵守し、感染者の拡大を抑えたのです(あくまで5月末の執筆時点ですが)。いつもはにぎやかなシドニー市内は週末でも人がまばらで、毎週金曜の昼にはにぎわい始めるパブも全て閉鎖、営業が許されているスーパーでは皆きちんと距離を取って並んでいました。海外からの帰国・入国者は2週間ホテルで完全隔離され、誰とも会うことが許されません。知人いわく「オージーは法律と規則を守る国民性を持つ」とのこと。全てとは言いませんが、いつの間にか豪州を好きになっている筆者としては確かにうなずけるところがあります。

 

 

カウラ Cowra の捕虜収容所跡地(筆者撮影)
カウラ Cowra の捕虜収容所跡地(筆者撮影)

 もう一つ私がオージーについて好きなところは、そのフェアネス(公平性)です。それを強く感じたのが、シドニーの西250キロメートルほどにあるカウラの街で毎年行われる戦没者慰霊祭に参加した時です。これは第二次大戦時カウラにあった捕虜収容所で起きた日本兵捕虜脱走事件で亡くなった231人の日本兵、4人の豪州兵を慰霊するものです。事件の詳細には触れませんが、毎年計 235人の戦没者を敵も味方も無く、全く平等に慰霊します。そして本名がわからないままになっている日本兵戦没者について、カウラ市は今でも何らかの手掛かりをつかもうと調査を続けてくれています。日本と豪州を結ぶ戦時からの隠れた物語です。

 

 

ブルーマウンテンズ、手前の岩がスリーシスターズ(筆者撮影)
ブルーマウンテンズ、手前の岩がスリーシスターズ(筆者撮影)

 さて、私の住むシドニーは人口500万人強の南半球を代表する都市ですが、ここの魅力は一言では語れません。市内の観光名所であるオペラハウスやハーバーブリッジはもちろんですが、西に100キロメートル走れば 世界遺産のブルーマウンテンズがあり、北に150キロメートル行けばハンターバレーのおいしいワインが楽しめます。ステーキもシーフードも大人気です。四季もしっかりあり、いろいろな自然を楽しむことができます。生活するにも困ることはほとんどありません(物価は高いですが・・・)。だからなのでしょうか、豪州全体もそうですが、シドニーの人口は移民の数も含めて、かなりのペースで増加しています。街では常に新しいビルの建設が行われており(困ることの一つに騒音があります)、今でも成長し続けています。

ハンターバレーのワイナリー(筆者撮影)
ハンターバレーのワイナリー(筆者撮影)

ただ既にスペースはパンク状態であり、この解決策の一つとして、現在シドニーの 西50キロメートルの広大な土地で 西シドニー開発(エアロトロポリス)という壮大な計画が進んでいます。まずは西シドニー空港を2026年に開港、最終的にはその周辺に、300万人の人口を抱える産業都市を数十年かけて建設していくものです。これは連邦政府、州政府、地方自治体が三位一体となって取り組む、強いコミットメントを伴った計画です。この計画が進んでいくことでシドニーの新しい歴史が始まることになります。成長し続けるシドニーの街が、今後どう変わっていくのか、本当に楽しみです。

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