チェコ共和国 ~「EUの母」と呼ばれた日本人女性?~
2020年は、チェコ共和国と日本が国交を結んでからちょうど100周年にあたります。両国の友好関係の歴史は古く、20世紀初頭、チェコの自動車メーカー、ラウリン&クレメント(現シュコダ)は早くも日本向けに自動車輸出を開始しました。現在、対チェコ投資で日本はドイツに次ぎ世界2位であり、250社以上の日本企業がチェコで活動しています。しかし、実は19世紀に、一人の日本人女性がこの国に大きな影響を与えたことはさほど知られていません。西ボヘミアの居城に住んでいたこの日本人女性の生涯は、二つの国をはるか昔からつないでいる素敵で感動的なラブストーリーです。彼女の物語をひもといてみましょう。
青山光子は、1874年(明治7年)に東京で骨董商の家に生まれました。17歳の時、日本に派遣されていたオーストリア・ハンガリー帝国の代理公使、ハインリヒ・フォン・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と出会います。光子を見初めたハインリヒは光子の父に頼み込んで、彼女を公使館のメイドとして採用します。やがて恋に落ちた二人は光子の家族の反対を押し切って1892年(明治25年)に結婚しました。そのため光子は父親から勘当されたといいます。
1896年には時の明治天皇妃、美子皇后(のちの昭憲皇太后)に招かれ東京在住の外国人外交官夫人のレセプションにも参加します。庶民の娘として、皇后に直接拝謁するのは異例の出来事でした。
同年、ハインリヒの東京での任務が完了し、二人は日本で生まれた二人の息子、ヨハネス(ハンス、和名:光太郎)とリヒャルト(和名:栄次郎)を連れて、クーデンホーフ家が所有する西ボヘミア・ロンスペルク村の居城に戻りました。現チェコ共和国のドイツ国境に近いこの小さな町は、チェコ語で正式名称を「ポビェジョヴィツェ」と言います。
ロンスペルクに落ち着いた光子はドイツ語・フランス語やヨーロッパの歴史・地理などを学び始めます。嫁ぎ先の異国の文化を理解するため、そして自身の教養の足りなさを恥じてのことでもあったといいます。
1906年、ハインリヒが突然の心臓発作で亡くなり、光子の人生は大きな転換点を迎えます。ハインリヒの親戚たちからの反対を裁判ではねのけ、夫の所領と全遺産を遺言通り相続することに成功しました。その後、7人の子供たちの教育のためにウイーンに移り住みます。
光子の次男、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは平和運動「汎ヨーロッパ主義」の主唱者として知られています。彼のこの運動が、ヨーロッパ統合の理想を育み、今日のEU(欧州連合)の設立に発展したといわれています。リヒャルトは当時の欧州政界にも影響力を持ち、チェコスロバキア共和国のマサリク初代大統領とも親交がありました。このことから、光子はしばしば「EUの母」と呼ばれます。
第一次世界大戦の期間中、さらに厳しい環境を生き抜いた光子は、晩年、故国日本を懐かしむことしきりだったそうですが、再び日本の土を踏むことなく、1941年に亡くなりました。
今でも、チェコ共和国内で光子の足跡をたどることができます。光子が家族と住んでいたロンスペルク城は、1990年代まで国境警備軍基地として使用されていたため、保存状態が良くなく、現在複数のボランティア団体が修復を試みています。同城にあった光子の所持品や家具は廃棄を免れ、プラハならびにロンスペルク城から10キロメートルほど離れたホルショフスキー・ティーン城に展示されています。
ホルショフスキー・ティーン城は、かつて光子が友人に会いに頻繁に訪れた場所です。同城では2004年から、光子の生涯を回顧する常設展とガイド付き城内ツアーを開始しました。復元された光子のサロンも体験できます。ツアーの女性ガイドは、日本からもより多くの人々に訪れて欲しいと語っていました。
ひとりの日本人女性がかつて伯爵夫人として当地に住んでいたことを知るチェコ人は多くありませんが、近年、チェコの作家が光子に関する本[*1]を出版しました。著者は光子の生涯について語るワークショップを定期的に開催しており、光子の物語はいま徐々にチェコ人の心をとらえつつあります。
日本との深い絆を残す歴史の一片を体験しに、快適で興味深いチェコ共和国へぜひお越しください!
[*1]Vlasta Čiháková Noshiro, “Mitsuko - Matka Moderní Evropy ? (光子、現代欧州の母?)“ (2015)
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