米国の雇用環境は底堅いのか?

2025年06月27日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

 

 雇用の最大化は、連邦準備理事会(FRB)の二大責務の一つに挙げられているほど、米国経済にとって重要な課題だ。政策金利を据え置く決定の背景には、物価上昇率の高止まりや関税引き上げに伴う今後の物価上昇への拡大への警戒があるのと同時に、雇用環境の底堅さもある。その雇用環境は足元にかけて、変化の兆しも見えつつあるものの、底堅く推移している。しかし、懸念されるのは、実体以上に底堅く見えており、政策判断が誤る恐れがあることだ。

 

 まず、足元の雇用環境の底堅さを、統計から確認してみよう。例えば、米労働省「雇用統計」によると、5月の非農業部門雇用者数は前月から13.9万人増と、市場予想(約13万人増)を上回った。振れが大きい統計なので、3か月移動平均をとると13.5万人増となり、2か月連続で雇用の拡大ペースは加速した。

 

 失業率は4.2%と4月から横ばいであり、2024年後半から横ばい圏(4.0~4.2%)を推移している。FOMC参加者は6月時点で、失業率が2025年末に4.5%まで上昇すると予想している(中央値)。しかし、その水準でも、過去の米国経済を踏まえれば、失業率が高いとは言えない。こうした視点に基づくと、米国の雇用環境では底堅さが維持されているという見方になる。

 

 それらに対して、異なる見方を裏付ける統計もある。例えば、前述の非農業部門雇用者数では、3月分(6.5万人)と4月分(3万人)がそれぞれ下方修正されており、全体として底堅さが維持されたと言っても、実体としては強弱入り混じる内容だった。

 

 また、チャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマスによると、2025年1~6月に69.6万人(前年同期比+80%)の人員削減が米国企業から発表されている。連邦政府の人員削減(28.4万人)の影響が大きいものの、関税政策をはじめとして先行きについて、悲観的な観測が企業の雇用計画の重石になっていることは間違いない。

 

 足元にかけて、労働需要は抑制されつつある。米労働省「雇用動態調査(JOLTS)」によると、4月の求人件数は739.1万件となり、2023年初にかけて1,000万件を上回っていた状況から落ち着きを取り戻しつつある。2022年7月に2.01人まで上昇した失業者1人あたりの求人件数も4月には1.03件まで減少した。このように、労働需要は一時に比べて強さを欠いていることは事実だろう。

 

 さらに、実体が見え難くなっている背景には、コロナ禍の労働供給の変化や、トランプ政権の政策、企業の採用行動の変化が労働需給を従来とは異なった状態にしている可能性がある。

 

 例えば、5月の労働参加率は62.4%とここ1年間、おおむね横ばい圏を推移しているとはいえ、コロナ禍前(63%台)に比べると低水準にとどまっている。年齢別に見ると、25~54歳の労働参加率はコロナ禍前を上回っている一方、24歳以下の若年層と55歳以上の高齢層はコロナ禍前の水準を下回っている。特に、高齢者層が労働市場に戻って来ず、労働供給が勢いを失っていると指摘されている。また、労働供給に関連するところでは、政権交代に伴って移民政策の方針が転換しているため、海外からの労働力の流入が減少しており、それが労働供給に下押し圧力をかけている一面もある。

 

 コロナ禍後の人手不足に苦しんだ企業は、人員調整において新規採用を絞る一方で、レイオフに慎重な姿勢をとっている。実際、4月のレイオフ件数は178.6万件と、低水準にとどまっている。米国企業と言えば、不況になればレイオフを実施し、景気が持ち直してくれば呼び戻すという雇用の流動性の高さが一般的なイメージがある。しかし、現在ではそうした状況に変化が見られているようだ。

 

 労働需給がこれまでとは異なる状況になっているため、需給の実態が統計の数値よりも悪いのかもしれない。労働需給を調整する賃金には、それを示唆する変化が見られている。「雇用統計」によると、5月の平均時給は前年同月比3.9%と5か月連続で4%を下回った。また、アトランタ地区連銀の「賃金上昇トラッカー」によると、転職者の賃金(中央値・3か月移動平均)は4.1%となり、転職していない在職者の賃金上昇率(4.3%)を2月以降下回っている。いずれの賃金上昇率もコロナ禍前の2019年を上回っているものの、物価変動を調整した実質でみれば、いずれもコロナ禍前を下回っており、労働市場における移動の弱さを物語っているようだ。

 

 関税政策の先行きが読み切れないため、様子見するしかないという状況があることは事実だろう。しかし、コロナ禍を通じた変化などから、労働需給の調整が上手く進んでおらず、実体以上に雇用環境が底堅く見えている可能性がある。そうなれば、政策判断が遅れ、米国経済の下振れもより大きくなる恐れがあることには注意が必要だろう。

 

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