ECBの金融政策戦略の見直し
2025年07月03日
住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之
欧州中央銀行(ECB)は6月30日に、新たな5か年の金融政策戦略を発表した。前回の発表(2020~21年)で定期的に見直すことになっていた。今回は、これまでの経済環境の変化を踏まえたものになっている。
今回のポイントは、大きく4つある。1つ目として、中期的、対称的な2%の物価目標の確認が挙げられた。前回、対称的な2%中期目標が導入され、今後5年間も引き続き維持されることになった。2%目標でも、「対称的」と「中期的」の2つの性質を持っている。これは、短期間であれば2%から外れることを許容しており、中期でみれば2%という柔軟性を持っている。
2つ目は、対称性の意味をより明確にしたことが挙げられる。対称性は、物価上昇率が目標から上振れも下振れもいずれの方向にも大きく、持続的に乖離(かいり)した場合に、適切に力強く、もしくは持続的な政策対応を必要とすると記された。前回時点では、コロナ禍前に物価上昇率が目標の2%までなかなか高まらないことが意識されていた。そのため、対称性は物価目標からの上振れの許容という意味合いもあった。それに対して、今回はコロナ禍後の歴史的な物価高騰とともに、ECBスタッフ見通しによる今後の物価の下振れ予想(2026年に+1.6%)という意味もある。そのため、物価上昇率が2%から上振れも下振れも等しく望ましくないと、両面を考慮する必要があった。
3つ目は、すべての政策手段はそのまま残っており、その選択、設計、実施は新たなショックに対する機敏な対応を可能にすると記された。例えば、非伝統的な金融政策として、資産買い入れプログラムやマイナス金利政策、長期リファイナンスオペ、フォワードガイダンスに加えて、2022年に導入した伝達保護措置(TPI)(注)のような新しい政策も必要に応じて柔軟に実施する方針が示された。必要に応じて「何でもやる」姿勢を改めて示したとも言える。もちろん、非伝統的な金融政策手段には、副作用などへの懸念も指摘されてきたため、慎重に判断する姿勢も表わされた。実際、債券を購入する間、政策金利を低位に抑える約束が政策の制約になったことで、物価高騰の抑制が後手に回ったことも示唆され、ECBのレーン専務理事は今後資産買い入れプログラムを導入する際には、異なるものになると述べた。
4つ目は、地政学的・経済的な分断や人工知能(AI)の利用拡大などのような構造的なシフトは、物価環境をより不確実なものにしていることが挙げられた。デジタル化やAIなどの新しい技術、人口動態など社会的な変化、環境の持続可能性など社会変化や政策目標などのような景気循環的な要因ではなく経済構造的な変化が、物価を巡る環境を不確実にして、変動の大きいものにしていると指摘された。金融政策が短期的に需要に働きかけるという役割を超えた指摘とも捉えられ、金融政策がより難しいものになったという印象がある。
その他、消費者物価指数(HICP)が、物価の安定を評価する上で適切な指標とされたものの、持家の帰属家賃を含めた方が、家計が直面する物価上昇率をより良く捉えられると指摘された。この点は、前回も指摘されたことだった。なお、FRBや日本銀行の物価目標も、持家の帰属家賃を含めた物価上昇率が対象になっている。また、気候変動も経済・金融システムを通じて物価に影響を及ぼすとして、ECBの権限内で気候変動の影響を十分考慮すると記された。
このように、今回の金融政策戦略の見直しでは、大きな改定はなかった。その中で、対称的な2%中期目標において、上振れも下振れも等しく望ましくないことを強調したこと、また構造変化の物価への影響を指摘したことなどが印象的だった。なお、次回は2030年に見直しを予定している。
(注)伝達保護措置(TPI: Transmission Protection Instruments)は、必要に応じて国債を買い入れる政策として2022年7月に導入された。当時、南欧諸国の金利が高まっており、金融政策の効果が実体経済に波及し難くなっていることが懸念されていた。それまでの資産買い入れプログラムは、ECBへの出資比率などに基づき、国債を買い入れていたため、買い入れ対象はドイツ国債が相対的に多い一方、南欧諸国の国債を少なく、金融市場の不安定化を招いていた。そうした制約をなくしたものがTPIだった。ただし、財政規律の改善などが条件として設定されたので、実施のハードルも高く、抜かずの宝刀とみられていた。
以上
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