米雇用統計ショック

2025年08月05日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

 

2025年も、緊張の夏になるのだろうか。連邦準備制度理事会(FRB)は、米国の関税政策による物価上昇率への影響が夏ごろから表れ始めると見ており、市場も夏の物価への関心を高めていた。物価の安定と雇用の最大化という2つの責務があるFRBにとって、コロナ禍後の物価高騰への対応策が後手に回った苦い記憶もあり、物価上昇への警戒を解くことをしていない。それが、トランプ大統領からの度重なる批判を招いていた。

 

ところが、緊張の夏の訪れは、底堅いとみられていた雇用環境から見られ始めたようだ。7月の雇用統計によると、非農業部門雇用者数は前月から7万3,000人増加と、市場予想(11万人増)を下回った。また、5月の雇用者数の増加は前回までの12万5,000人増から1万9,000人増へ、6月は14万7,000人増から1万4,000人増へそれぞれ下方修正された。これらは、近年まれにみる大幅な下方修正だった。内訳を見ても、製造業の雇用者数は5月以降、3か月連続で減少しており、製造業の復活から遠のいていた。雇用増をけん引してきた教育・ヘルスケアを除くと、実質的に雇用者数が減少していた。これらを踏まえると、雇用環境の実体が見誤って認識されていたのかもしれない。

 

ただし、雇用統計自体は、振れが大きい統計として知られているため、短期間の振れのみで判断するのは早計だ。実際、労働参加率の低下などもあって、失業率は4.2%とまだ低水準を推移しており、雇用環境が悪化したと断言し難い。別の統計を見ると、例えば新規失業保険申請件数が足元にかけて減少してきた。これらを併せてみれば、雇用環境の底堅さが大きく損なわれている訳でもなさそうだ。もちろん、実際の雇用環境が微妙なところ、転換点に差し掛かっているのかもしれない。

 

統計を見る上で、難易度が高まっていることにも注意が必要だ。例えば、これらが季節調整値であるため、季節調整が歪んでおりうまくかかっていない恐れがあること、統計調査部署の人員削減が進み、調査の精度が悪化していること、民間から回収率が低下しており、その後の改訂幅が拡大傾向にあることなども一因として考慮すべきとされている。

 

今回、雇用統計ショックがさらに大きくなってしまったのは、問題が統計の話から政治の話に展開したからだ。トランプ大統領が政治的意図に基づく不正とし、労働省労働統計局長の解任を指示した。次回、8月の統計において、6~7月の値が大幅に上方修正されれば、不正があったという話になるのだろうか。また、反対に大幅に上方修正されなければ、再び不正として担当者は解任されるのだろうか。いずれにしても、統計の信用が失われ、米国経済にとって望ましい状況ではない。

 

また、金融政策も、政治の問題になりつつある。パウエルFRB議長は、FRB本部の改修なども含めてたびたび批判されてきた。こうした中で、7月末のFOMCを欠席したクグラーFRB理事は辞任を発表、その後任として指名される新理事は、次期議長の候補になるとみられている。連邦公開市場委員会(FOMC)自体は、1人だけの意見が通るわけではないものの、次期議長候補という政治的な思惑をまとった人物がFRBに加わることで、利下げに積極的なボウマン副議長、ウォラー理事と次期議長の3人が利下げを主張することになる。民間人でも民間企業でもなく、議員でもない金融政策当局は叩きやすい対象なのだろう。しかし、金融政策の独立性を損なうリスクは決して小さくない。

 

7月末の新しい相互関税率の発表によって、不確実性の一つがやや後退したとみられていたものの、新たな不確実性が高まっており、先行きは見通し難いままだ。統計も金融政策も信頼できない状態になれば、どのようなことになるのだろうか。米ドルや資産への投資に対するリスクはさらに大きくなるし、それに伴い要求されるリスクプレミアムも大きくなる。直接投資などリスクがある投資にはより慎重になるだろうし、投資収益の回収もこれまで以上に早くなる可能性がある。8月の雇用統計では、景気・雇用動向という判断とともに、政治的なリスクを評価することになるだろう。

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