ガザ停戦に寄せて ――現地で見た瓦礫の記憶と再生への願い

2025年10月27日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
広瀬 真司

 

 

 約2年間にわたって続いたガザでの戦闘が、ようやく停戦に至ったことに胸をなで下ろしている。発端となったのは、言うまでもなく、ガザのイスラム主義組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃である。この攻撃によって、イスラエル兵のほか、ガザ近郊の村々で暮らしていた住民や、近くで開催されていた音楽イベントに参加していた若者ら251人がガザへ連れ去られ、約1,200人が殺害されたとされている。

 

 しかし、その後の2年間で、ガザで死亡したパレスチナ人は6万8,000人を超えるとみられ、ハマスの戦闘員だけでなく、女性や子どもを含む多くの民間人が犠牲となった。中東地域を担当するアナリストとして、毎日数十人、あるいは数百人単位で人々が命を落としていく現実を、各種メディアを通じて目にすることは非常につらく、精神的な負担も大きかった。その意味で、今回の停戦成立は個人的にも大きな安堵を覚える出来事である。

 

 私は2008年から2010年までの2年間、エルサレムに居住し、国連開発計画(UNDP)事務所で勤務していた。パレスチナ自治区で実施されるプロジェクトの打ち合わせや視察のため、ヨルダン川西岸地区には毎週のように通っていたが、ガザを訪れたのは一度きりである。当時すでにガザはイスラエルによって封鎖されており、入域手続きが極めて煩雑だったことに加え、国連職員の入域人数も制限されていたため、緊急の用事がなければ容易に入ることができなかったからだ。

 

 私がガザを訪れたのは2009年4月で、そのときも現在と同じようにイスラエルの軍事作戦が終結した少し後だった。空港以上に厳しい身体検査と持ち物検査を経て入域した私の目にまず飛び込んできたのは、至るところに積み上げられた瓦礫の山と、今にも崩れ落ちそうな建物が残る光景だった。その惨状を目の当たりにし、若いころに経験した阪神・淡路大震災の記憶がよみがえったことを今でも鮮明に覚えている。だが、現在テレビやSNSで見るガザの破壊し尽くされた街並みは、当時の光景をはるかに上回るものであり、筆舌に尽くしがたい。

 

 これからガザがどうなっていくのか、いまだ先行きは見えない。戦闘が終結しても、これからさらに多くの困難な課題が待ち構えている。ガザ住民に対する水・食料・電力など生活に不可欠なサービスの提供再開や、建物の約8割が破壊されたとされる中で、人々が暮らす住居の確保も急務である。瓦礫(がれき)の中には不発弾や有害物質が残されており、除去作業には10年以上を要するとの見方もある。これまでの経緯や歴史を振り返れば、何らかの要因で戦闘が再燃する懸念も完全には拭えないだろう。それでも、今回の停戦が恒久的な休戦へとつながり、対話と共存への出発点となることを切に願っている。

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