ハロウィンと魔女、そして冷戦の残影──ブロッケン山から見たドイツ社会
2025年12月10日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
濱嵜 隆吏

今年(2025年)のハロウィンの日、私はドイツのハルツ地方にいた。ここは古くから魔女伝説で知られ、ブロッケン山はその象徴的な存在だ。ハロウィン、魔女、そしてブロッケン山─この3つのキーワードを手がかりに、歴史と現代社会を少し覗いてみたい。
①ドイツとハロウィン文化
ハロウィンはケルト文化に起源を持ち、19世紀以降アメリカで発展したと言われているが、この文化がドイツに入ってきたのは比較的最近とされている。カーニバルが最高潮を迎える薔薇(バラ)の月曜日(Rosenmontag)には、ドイツ各地で仮装パレードが行われるが、1991年に湾岸戦争を理由にこのパレードが中止されたことに伴い、仮装用のコスチュームを販売していた玩具業界が代替イベントとしてハロウィンを導入したことが一番の契機とされている。
現在では、ドイツ小売業協会が2025年のハロウィン関連売上を5億2,000万ユーロと見込むほど定着しているように見受けられる。しかし、筆者は合計4年間ドイツで生活した経験があるが、日本やアメリカのような「街全体の高揚感」はどこか控えめである。
その背景の一つには、この「輸入文化」をめぐる議論がある。「商業主義的だ」「ドイツ文化の存在感が薄れる」といった批判だ。さらに10月31日は、マルティン・ルターが「95か条の論題」を掲げた日であり、宗教改革記念日にあたり、中・北部の諸州を中心に祝日となっている。プロテスタント文化圏において重みのあるこの日と、商業的ハロウィンの混在に抵抗感を抱く人々がいるのも理解できる。
②魔女伝説とゲーテの『ファウスト』、そして現代的問題性
ハルツ地方は古くから「魔女の集会」の伝説で有名であり、特にブロッケン山では「ヴァルプルギスの夜」に魔女が集うという伝承が残る。ゲーテは実際にこの山に登っており、『ファウスト』ではその光景を鮮烈に描き、これがハルツ地方の魔女伝説を有名にしたともいわれる。
今では魔女は観光資源として親しまれ、信号機のデザインにまで登場している。しかし魔女の歴史を「過去の迷信」として片付けることはできない。
2022年、スコットランドのスタージョン首席大臣(当時)は、魔女裁判法(1563年)による犠牲者に正式な謝罪を表明した。同首席大臣が述べたように、告発された人々は貧困、社会的弱者、異質性、そして多くの場合単に「女性であること」のみを理由に殺害された──魔女迫害は女性蔑視の文脈と密接に結びついており、フェミニズムに直結するテーマでもある。
また国連が指摘するように、魔術信仰が暴行や殺害といった人権侵害に結びつくケースは現在も世界各地で続く。アメリカン大学のボリス・ガーシュマン教授がサブサハラアフリカを対象に行った研究では、魔術信仰がサブサハラアフリカ諸国の社会的信頼と協力ネットワークを弱体化させ、経済発展を阻害していることも示されている。魔女は現代的な人権問題であると同時に、一部の国においては経済発展の足かせとなっているのである。
③冷戦の象徴としてのブロッケン山と未だ残る東西格差
ブロッケン山は冷戦期には旧東ドイツに位置し、西側国境の監視・通信傍受の拠点となっていた。北ドイツの平坦な地形の中、標高1,141メートルのこの山は地勢的に絶好の監視ポイントで、1961年8月13日以降は軍事制限区域となった。鉄条網は、伝説の魔女すら超えることができなかった。
統一から35年を迎える現在も、東西の格差は社会・政治・経済の随所に残っている。連邦政府の報告書によれば、東ドイツ地域の所得水準は全体平均を下回り、社会保障への依存度は平均以上だ。幹部級職員の出身地を見ても、政府・メディア・科学・文化など多くの分野で西独出身者が多い。
さらに若い世代の間にも認識の差がある。西ドイツの若者は「東西の違いはもはや重要ではない」と考える傾向がある一方、東ドイツのミレニアル世代の3分の2は依然として重要な区別だと答えているという。

伝説・歴史・政治も、相互に重なり合いながら現在を形づくっていることに気づかされる。文化の受容をめぐる摩擦、いわば人権問題の象徴へと転化した「魔女」、冷戦の遺制としていまだに残る東西格差──いずれも過去の出来事ではなく、今日の社会構造を規定し続ける要因である。霧に包まれたブロッケン山に登りながら、私はドイツ社会における歴史の重層性とその持続的影響について改めて思索していた。
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