ネイチャーポジティブ

2023年11月07日

住友商事グローバルリサーチ(株)代表取締役社長
住田 孝之

 例年10月に福岡県の宗像大社にて開催される「宗像国際環境会議」。10回目を迎えた2023年もスピーカーとして参加してきました。地球温暖化による宗像の海の大きな変化、特に対岸からのものが目立つプラスチックを含む海洋ゴミの大量漂着などで地域の危機感が高まる中、宗像大社の宮司をはじめ、自然への尊敬と畏怖にあふれた各界のリーダーたちが集うことで、毎年内容の濃い会議となります。「ネイチャーポジティブ」が話題に上ることが多くなった昨今ですが、この会議の参加者にとって、そして多くの日本人にとっては、以前から、ヒトが自然とともに生きていく、ということは極めて当然のこと、共通の理解であることを、宗像の地であらためて実感しました。

 

 そんな中で、今回の議論を通じての私の気づきは、なぜ日本、日本人にとってそれが当たり前で、国際的なルール化が進められている「ネイチャーポジティブ」に内包される考え方と、どこがなぜ違うのか、という点でした。端的に言うと、日本の場合は、ヒトと自然との間に境界がない。哲学的に聞こえるかもしれませんが、自然や生態系の一つの要素としてヒトが存在している、自然との調和なしにヒトは生存できない、許されないということを、極めて多くの日本人は直観的に、右脳的にわかっているということです。もともと日本語にはなかった「ネイチャー」という概念自体、ある意味でヒトと対峙する客体として自然をとらえていて、その客体をヒトが操作したり、それと戦って征服したりできる、と考えているようです。「ネイチャーポジティブ」にも、そういう不遜な面、ヒトが自然をコントロールできるかのような発想が見え隠れすることが、この言葉が何となく引っかかる原因でしょう。もちろん、行動目標の標語としては悪くないので、いまさら言葉を変える必要はないと思いますが。

 

 さらに言うと、そうした調和の精神、ヒトを絶対視しない見方が直観的にそなわっている日本人は、性善説になりやすい。性善説でもかなりやっていける。一方、そうでない人たちは、右脳に任せていたら暴走してしまう。だから性悪説的な考え方にもなるし、それを律するために、暴走させないためにルールを左脳で考える。そう考えると、これから自然との関係でヒトが直面するますます困難な課題に世界で対処していくときに、日本や日本人や日本企業が「自然との調和」「自然の一部としてのヒト」という考え方を上手に世界に伝え、実践をリードしていかなければならないと、あらためて強く思いました。 

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