タイ:インラック前首相の弾劾とタイ政治の今後

2015年02月12日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也

概要

●2015年1月23日、タイの国家立法議会(NLA)は、在任中のコメ補助金制度に基づくコメの買取りにより国家に損害を与えたとの理由で、インラック前首相の弾劾を可決した。これにより同前首相は5年間政治活動を禁止されることになった。また、同日、検察庁は、同じ理由で同前首相の行為が刑事罰に該当するとして起訴を決定した。有罪となれば、10年の実刑判決が下される可能性がある。これらの弾劾と起訴決定は、軍を中心とする反タクシン派がタクシン派の政治力の掃討を狙ったものと推測される。

●その約1週間後の2月1日、バンコク市内で爆弾が爆発し、2人が軽傷を負った。タクシン派が上記弾劾などに対する抗議のために行った可能性がある。

●総選挙の実施による民政復帰は、現時点においては、2015年末から2016年初めに予定されているが、タクシン派による抗議デモやテロが発生すれば、民政復帰プロセスがさらに遅れる可能性がある。

 

 

1. 2014年クーデター後の政治状況

 2011年のインラック政権の発足から2014年9月の暫定政権の発足に至るまでの状況の概要は以下のとおりである。

2011年8月

インラック政権発足

2013年

11月1日

タクシン元首相の恩赦および帰国を可能とする内容に修正された大恩赦法案が強行可決

→野党や反政府勢力のみならず、一般市民やビジネス界を含めて同政権に対する強い反発が起こり、大規模な反政府デモが繰り返し発生

12月9日

下院解散

2014年

2月2日

下院総選挙 

→反政府デモの妨害により一部の投票所で投票ができない事態発生

3月21日

憲法裁判所が選挙を無効とする判決

5月7日

憲法裁判所がインラック首相(当時)の公務員人事に関する職務乱用を認定する判決、同首相失職

→デモ拠点における銃撃により死傷者発生

5月20日

プラユット陸軍司令官が戒厳令を発令

5月22日

軍を中心とする国家平和秩序維持評議会(NCPO)が全統治権の掌握を宣言

5月30日

NCPOが民政復帰の「ロードマップ」発表

7月22日

暫定憲法の公布

7月31日

NCPOが国家立法議会(NLA)の議員を任命

9月1日

プラユット氏を首相とする暫定政権発足

 (出所:各種報道より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 暫定政権によれば、ロードマップに基づき、2015年4月に新憲法の草案が公表され、7月に新憲法が公布され、その3か月後に総選挙が実施されることで、2015年中に民政復帰する予定となっている。しかし、その後、暫定政権は、新憲法の公布が延期され、総選挙の実施は2016年になるという見通しを示した。さらに、2015年2月8日に訪日したプラユット首相は、総選挙は2015年末から2016年初めに実施される予定である旨表明した。

 軍を中心とする反タクシン派は、新憲法により、タクシン派の政治力を完全に奪うことを追求しており、首相や閣僚の直接公選制、上院議員の指名制、被選挙権の制限、独立機関の権限強化などの選挙制度の改革が盛り込まれることが検討されている。

 

 

2. インラック前首相の弾劾・起訴

 2015年1月23日、NLAは、在任中のコメ補助金制度に基づくコメの買取りにより国家に損害を与えたとの理由で、インラック前首相の弾劾を可決した。これにより同前首相は5年間政治活動を禁止されることになった。このため、同前首相は、2015年末から2016年初めに予定される選挙に出馬できないことになる。また、同日、検察庁は、同じ理由で同前首相の行為が刑事罰に該当するとして起訴を決定した。有罪となれば、10年の実刑判決が下される可能性がある。

 NLAは、軍が実権を握るNCPOが選出した議員により構成され、また、新憲法には、5年間政治活動を禁止された議員は永久に出馬できないとする規定が定められる可能性があり、軍を中心とする反タクシン派がタクシン派の政治力の掃討を狙ったものと推測される。

 

 

3. バンコク市内での爆発

 インラック前首相の弾劾から約1週間後の2015年2月1日、バンコク市内の大型商業施設「サイアム・パラゴン」の入り口付近で爆弾が爆発し、2人が軽傷を負った。犯行声明は出ておらず、犯人は不明である。

 サイアム・パラゴンは、2010年にバンコク市内で放火を行ったタクシン派から標的とされたことのある施設であり、インラック前首相の弾劾の直後というタイミングを考えれば、タクシン派が上記弾劾に対する抗議のために行った可能性がある。

 

 

4. 今後の政治状況

 総選挙の実施による民政復帰は、現時点においては、2015年末から2016年初めに予定されているが、インラック前首相の弾劾に反発するタクシン派がデモ やテロを行うことになれば、暫定政権は、引き続き戒厳令に基づき治安を維持することが必要と判断し、民政復帰プロセスがさらに遅れる可能性がある。

 また、暫定政権は、その正当性をクーデターを是認したプミポン国王の権威によっている面が大きいところ、同国王は87歳と高齢で、健康状態も良好でないことから、王位継承が実現するまで実権を掌握し続けようとする可能性がある。その場合、民政復帰プロセスがさらに遅れる可能性がある。

 外交面では、クーデター発生を受けて、米国は、470万ドルの軍事支援を停止し、予定されていた軍事交流を取りやめる措置を行った。また、インラック前首相の弾劾の数日後の2015年1月26日、タイを訪問していたラッセル国務次官補(東アジア太平洋担当)は、現在の政治状況に懸念を示し、暫定政権に対し、戒厳令の早期解除を求めた。これに対し、プラユット首相は不快感を表明した。米軍とタイ軍が主催する多国間共同訓練「コブラ・ゴールド」は、2月9日から予定通り実施されたが、その規模は縮小され、軍事演習よりも人道支援に重点が置かれた。

 一方、中国は、クーデター発生にもかかわらず、2014年12月に長距離鉄道の共同建設を合意し、タイとの協力関係を深めており、2015年2月5日には常万全国防大臣がタイを訪問し、6日にプラユット首相と会談して、軍事交流強化について一致した。

 日本は、クーデターの発生を「遺憾」としつつも、暫定政権発足後、関係強化を追求し、2月8日には、プラユット首相が日本を訪問し、9日に安倍総理と会談して、鉄道協力などについて一致した。

 今後、民政復帰プロセスが長期化すれば、米国および日本との間の関係が複雑化し、中国との関係がさらに深まる可能性がある。

以上

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