関税で米国経済は変わるのか
2025年07月29日
住友商事グローバルリサーチ 経済部
本間 隆行
壮大な経済実験
米国の関税措置が今後、実体経済にどのような影響を及ぼすのか。一般的には、輸入物価の上昇を通じて米国の消費者負担が増加し、それに伴って家計消費が減退し、景気の停滞を招く懸念が指摘されている。
しかし最近では、関税の影響が必ずしも消費者に全額転嫁されるわけではなく、サプライチェーン内で分担される可能性や、関税収入が再分配されることで国民に還元されるといった経路にも注目が集まっている。
今回の関税措置の背景には、「外国製品が米国の雇用を奪い、貿易赤字という不利益をもたらしている」との認識がある。これに対し、国内の生産能力を回帰させることで雇用を安定させ、恒常的な貿易赤字を是正することが政策目的とされている。しかしながら、物価上昇リスクについてはあまり重視されていない。
これは、トランプ政権下で行われた一連の関税措置が、ほとんど物価に影響を及ぼさなかったとの認識による。政権内部でもその傾向が見られ、ベッセント財務長官は最近になってやや慎重な姿勢に転じたものの、ラトニック商務長官はインフレへの影響を繰り返し否定している。つまり、関税による物価上昇は政策の前提とはなっていない。一方で、連邦準備制度理事会(FRB)や一部金融機関は、消費者への価格転嫁が進むことでインフレ圧力が高まるリスクに警鐘を鳴らしている。
議論が深まる中で、いくつかの矛盾も浮かび上がってくる。例えば、米国内の物価が関税分だけ上昇しないのであれば、本来意図された「障壁」としての効果が発揮されていない可能性がある。2025年1~3月期の米国名目GDPは年率約29.5兆ドル、輸入額は4.5兆ドルである。仮に輸入関税が20%課されれば、関税総額は約9,000億ドルとなり、一時的にGDPを3%押し上げることになる。ただし、国内生産が増加すれば輸入が減少し、関税による押し上げ効果は次第に縮小していくとの見方もある。
関税政策の本質は、内外価格差を意図的に生じさせ、国内製品の価格優位性を確保することで、生産拡大→雇用増加→利益増→投資促進という好循環を生み出すことにある。したがって、仮に10%の関税が設定されるのであれば、国内生産物の価格も同程度上昇しなければ、政策の効果は十分に得られないことになる。輸入財の価格が低すぎるために関税が課されている以上、国内製品の価格も上方に調整されなければならない。国内価格が上昇し、かつ輸入抑制によって国内販売量の増加が見込めなければ、生産や投資拡大のインセンティブが働かない恐れがある。
このような背景から、輸入金額そのものよりも、家計による財消費(約6.4兆ドル)や設備投資(5.6兆ドル)、さらにはサービス消費(14兆ドル)といった需要面の動向、加えてこれらに対応する供給側の行動に注目することが重要である。仮に、関税の引き上げ幅が国内経済の拡大にとって不十分だと認識される場合、将来的にさらなる関税引き上げが行われるリスクも高まる。また、輸入財の関税負担が増す一方で、国内販売単価の引き上げが困難であれば、企業の利益を圧迫する要因となる。
こうした中、対日・対欧関税が当初の25%から15%に引き下げられたことによる不透明感の解消が一定の安堵をもたらす一方で、米国の自動車業界からは強い反発が表明されており、政策の方向性には今後も曲折が予想される。さらに、米中間の交渉が進展する中で、半導体や重要鉱物といった経済安全保障をめぐる問題も依然として大きなテーマであり、先行きの安定性には疑問が残る。いずれにしても、関税政策の本格的な影響はこれから現れてくるスタート段階にあり、今後の動向を注意深く見守る必要がある。
以上
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