対立のはざまで揺れ動くアジア経済
2025年10月08日
住友商事グローバルリサーチ 経済部
本間 隆行
この夏は、アジア各地で大規模な衝突や暴動が発生した。
ネパールでは政府が26の主要ソーシャルメディアに対し、登録要件への不履行を理由に禁止措置を講じた。このことは、表現の自由侵害や検閲強化との不満につながり、若者層を中心に社会の強い反発を招いた。汚職や格差、将来不安などが重なったことで大規模な抗議活動へと発展した。大統領府や官公庁、議会などがデモ隊の攻撃対象となり、多くの犠牲者が出る深刻な事態となった。首相辞任と選挙実施が約束されたことで暴動は治まったが、言論の自由やデジタル規制への反発、そしてZ世代を中心とした若者の反発として世界の耳目を集めることになった。
インドネシアでは議員向け手当ての増額など政治家に対する特典や汚職に対する不満が高まっていたところに、バイクタクシーの運転手が治安部隊の車両にひかれて死亡するという痛ましい出来事をきっかけに、抗議活動が発生した。当初は都市部で行われていたデモが全国へと拡大し、破壊活動につながった。政府は手当の撤回と見直しなどで収拾を図ったが、暴動によって多数の死傷者が出る事態となった。
社会の安定にとって、経済成長は必要条件だが、十分条件にはならないことを示唆しているとも言えるだろう。アジアはほかの地域よりも長期に渡り、高い経済成長を維持してきた。デモの原因となった汚職が広く行われているようなら、政府が得られるはずだった経済成長の阻害要因ともなりうる。規制緩和は経済成長に貢献してきたとしたら、政府による規制の再強化は企業や家計の自由度の低下を通じて、成長抑制的に作用していく可能性が生じることを意味する。生活への不満が原因なら、高成長にもかかわらず「成長の果実」が遍く分配されてこなかったということかも知れない。通貨安や国債価格の低下、金属価格の上昇、株価の上昇は政府に対する信用を映し出す鏡なら、その信用は低下しているとも言えそうだ。ただし、企業は社会的な存在であるため、株価の「ティッピングポイント」は金利や資源価格とは別の場所にあるという整理にはなりそうだ。世界の経済活動に必要なエネルギーや重要鉱物といった資源の供給、製造業を通じた労働供給、消費活動をアジア経済は担ってきたが、その地域で社会分断とも言えるような不安定さが生じている点には留意が必要だろう。
各国が自国産業を保護する動きが強まるなかで、アジア諸国の輸出は新たな壁に直面している。短期的には国内産業の利益保護を優先することになるが、中長期的にはこうした支援が産業競争力を損なうことが危惧される。また、輸出競争の激化は収益率を低下させ、海外直接投資にも影響を与えかねない。利益率低下を通じた資本コストの上昇が、資本を蝕む構図だ。多くの国では経済が輸出依存型であるため、世界的な需要鈍化や保護主義の高まりが各国経済の不安定要因となりつつある。
アジアの産業構造は依然として製造業中心となっている国が多い。電子部品から衣料まで幅広い産業が集積しているが、低コスト競争が常態化する中で、利益率の確保は容易でない。輸出構造を見れば、多くの国が依然として米国向け輸出に大きく依存している一方で、生産財や部品の多くを「中国から輸入」し、付加価値品を「米国へ輸出する」という構図が際立っていることがわかる。この二国間関係の緊張が高まれば、アジア経済は直接・間接の両面で打撃を受けることになるだろう。
海外への経済依存という観点では、観光業や海外労働者からの送金は、外貨収入源として依然重要な位置を占めている。世界ツーリズム協会(World Travel & Tourism Council)の試算によると、タイでは観光の経済への直接寄与はGDPの4.8%相当、間接寄与まで含めると10.4%になるという。しかし、観光業は世界景気や地政学的リスクに左右されやすい上、国内の治安状況も旅行先を選択する際には重要な要素となる。
また海外労働者送金も労働受け入れ国の動向に依存する脆弱性を抱えている。米国では違法移民の取締りが強化されてきたが、労働ビザ発給条件もより厳格化されていく情勢だ。アジアの消費活動の一部を支えてきた海外労働者送金が実体経済のみならず為替レートに及ぼす影響にも注目したい。
アジア経済への期待は大きいものの、アジア経済自体が輸出志向でもあり、規模的にも米国市場やEU市場の代替とはなり得ない点にも留意が必要だろう。米国への輸出には関税という重しがアジアのサプライチェーン全体にのしかかり、中国からは内巻き競争回避を目的とした市場参入が強まるとしたら、アジア市場は飽和し、供給過剰となる製品が相次ぐ事態も想定できるだろう。こうした動きがより深刻化すれば、地域経済のバランスが崩れて、雇用への悪影響を通じ、消費減退のみならず社会的な不満へと波及し、一層の混乱を招く懸念への警戒も必要となってくるだろう。
さらに、物価はおおむね低下基調にある。表面的には安定を保っているように見えるが、背景にある需要の弱さと供給過剰が透けてみえる。中国国内の競争が周辺諸国にも波及し、価格引き下げ圧力が広がりつつあるようにも映る。各国の政策当局も企業も難しい舵取りを迫られることになるだろう。
以上
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