米国の未来をも変え得る最高裁判事の死:オバマ大統領のリベラル策後押しの可能性も

2016年02月29日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

 2016年2月13日朝、メキシコ国境から車で1時間も離れていないテキサス州の大牧場リゾートのスイートルームで米最高裁判事アントニン・スカリア氏が心臓発作で死亡しているのが発見されました。スカリア判事は同リゾートを所有する大富豪ジョン・ポインデクスター氏にウズラやキジなどの狩猟旅行に招かれていました。最高裁の保守派判事の中でも指導的発言者として知られていた彼の死は、即時に米国政治に大きな反響を巻き起こしました。スカリア判事の死去まで最高裁判事9人は「共和党大統領が指名した保守寄り5人」対「民主党大統領が指名したリベラル寄り4人」で構成され、保守寄りが多数派の勢力図でした。しかし、彼の死と同時にその構図が激変しました。仮にスカリア判事の後任にオバマ大統領が指名するリベラル寄り候補が上院で承認されれば「保守寄り4人」対「リベラル寄り5人」となり、リベラル寄りが逆転して45年ぶりに多数派になります。承認されるまでは、最高裁判決が4対4となった場合には下級審の判断が支持されるか、あるいは新判事就任まで判断が延期されます。16年6月に終了する15年度の最高裁ではオバマ大統領のレガシー(業績)作りの中核を担う各種政策に直結する判決が予定されています。最高裁の勢力図の変化をもたらしたスカリア判事の死により、今日、米国は未来をも変え得る極めて重要な局面に立っています。2016年11月の本選に向けて大統領予備選が展開され米国政治の分極化が進む中、今後、最高裁判事承認をめぐって民主・共和の激しい攻防が繰り広げられることが必至です。

 

 

◆リベラルが嫌い、保守が英雄視するスカリア判事

スカリア判事が亡くなった翌日、半旗の星条旗を掲げる最高裁(筆者撮影)
スカリア判事が亡くなった翌日、半旗の星条旗を掲げる最高裁(筆者撮影)

 スカリア判事は1986年、共和党のロナルド・レーガン大統領(当時)に最高裁判事に指名され、79歳で死去するまで約30年間務めました。日本では最高裁判事の定年は70歳ですが、米国では判決の政治的な影響を回避するため終身、その身分が保障されています。同判事は保守の代表格と呼ばれることもありましたが、近年はクラレンス・トーマス最高裁判事やサミュエル・アリト最高裁判事などの保守派判事と比べやや穏健な立場をとっていました。しかし、00年のジョージ・W・ブッシュ候補対アル・ゴア候補の大統領選でフロリダ州の票を数え直す要請を、スカリア判事を中心に保守寄りの最高裁判事が却下したことを多くのリベラル派は記憶しています。「最高裁が大統領選の行方を最終的に決め、ブッシュ政権が誕生した」とリベラル派の友人は当時を思い出しいまだに怒りをあらわにします。また、彼は法廷意見や発言が痛烈かつ愉快なことから保守派判事として国民に知られ、保守に英雄視される一方、多くのリベラル派の批判の的でした。そのことからも同判事の死後、何者かに暗殺されたとする陰謀説まで報道されています。

 

 

後任判事の指名をめぐり政治戦争を迎えるワシントン

 スカリア判事の死が確認されてから2時間も経たない中、ミッチ・マコーネル共和党上院院内総務は「(最高裁の)この空席は新大統領が就任するまで埋めるべきでない」と発表し、いずれの共和党大統領候補も賛同しています。大統領による最高裁判事の指名承認を延期して阻止するフィリバスター(議事妨害)を打ち切る動議を行なうには、上院で60票が必要で、現在、46票しか見込めない民主党は14票不足しています。従ってマコーネル院内総務の主張通り、指名承認は次期大統領就任まで延期されることはあり得ます。一方、民主党の大統領候補や議員は、上院は速やかにオバマ大統領の指名承認を行うべきと共和党に反発しています。政治家に加え国民も意見が分かれています。ウォール・ストリート・ジャーナル紙・NBCニュースの世論調査(16年2月14~16日実施)によると、上院はオバマ大統領が指名する判事候補の「採決を行うべき」と回答したのは全体の43%、「(採決を行わず)次期政権まで待つべき」と回答したのは全体の42%と真っ二つに分かれています。「採決を行うべき」と答えた民主党支持者は71%、共和党支持者は14%、無所属は43%であったの対し、「次期政権まで待つべき」と答えた民主党支持者は13%、共和党支持者は73%、無所属は42%と国民も党派によって意見が大きく割れています。判事指名承認について党派で分極化する米国政治は今後ますます対立が高まる可能性があります。ジョン・ケーシック共和党大統領候補は、米テレビ局MSNBC(16年2月17日放送)で「(判事指名承認をめぐり)われわれは再び政治戦争を迎えることになる」と予想しています。

 

 

◆後任判事空席の長期化の見通し

 オリン・ハッチ上院議員(共和党)は大統領選の年に既にレームダック(死に体)のオバマ大統領が判事を指名することを問題視し、米公共放送PBS(16年2月17日放送)で「歴史上、司法を最も政治問題化させる動き」と述べました。一方、民主党が指摘するように、大統領の任期終了まで1年弱残る中、そこまで長期に上院が承認を延ばすのは異例です。ニューヨークタイムズ紙によると過去115年間の上院の最高裁判事指名の審査日数は平均で37日、最長でも125日です。しかし、分極化が進む米国政治で長期化の可能性はあります。15年、ロレッタ・リンチ司法長官も共和党の阻止によって上院の承認に166日かかりました。なお、チャールズ・グラスリー上院司法委員長(共和党)は他の共和党の司法委員10人とともにマコーネル院内総務宛てに書簡(16年2月23日付)を送り、「最高裁判事候補の公聴会は次期大統領が17年1月20日に就任するまで開催しない」と述べ、同院内総務に賛同しました。仮に公聴会が開催されても情報収集を理由に共和党は指名を長引かせ、後任判事空席が長期化する可能性が高いです。

 

 

◆賭けに出た共和党指導部

 新判事は次期大統領が指名するべきとオバマ大統領に宣戦布告した共和党指導部は、次の2点からも大きな賭けに出たと捉えられます。まず1点目は共和党指導部が次期大統領選で共和党がホワイトハウスを奪還することを前提としている点です。共和党は大統領の指名を誰であっても受け付けない場合、仮に穏健派などの妥協案についても承認するチャンスを逃します。もし次期大統領が民主党出身者で上院も民主党が奪還した場合、オバマ大統領の妥協案よりもリベラルな判事が承認されます。2点目は、政治的理由で最高裁判事を空席にすることによって幅広い国民からの反発を招き、大統領選に加えて上院でも共和党が負けるリスクが高くなることが挙げられます。共和党の主張通り上院が指名判事を承認しないことによって、特にリベラルな政策を支持する国民がより多く選挙に足を運び共和党は不利になる可能性をワシントンポスト紙(16年2月15日)は指摘しています。16年上院議員選挙で、民主党が5議席 (大統領が民主党出身の場合は4議席) を共和党から奪うことができれば、上院で多数派に返り咲きます。12年にオバマ大統領が勝利した穏健派や無党派も多くいる激戦7州で再選を狙っている共和党上院議員は議席を失うリスクが想定されます。激戦州のニューハンプシャー州選出のケリー・アヨッテ上院議員(共和党)は次期大統領が判事を指名するべきと主張し、対抗する民主党候補のマギー・ハッサン現ニューハンプシャー州知事はアヨッテ上院議員の主張に対し「国家よりも政党を優先している壊れたワシントンの象徴」と批判しています。判事指名で現在、世論は真っ二つに分かれているものの、今後、選挙に向けて共和党指導部は支持基盤の共和党支持者と穏健派・無党派層などの意見を考慮したバランスのある戦略を見出さなければならないでしょう。

 

 

◆オバマ大統領のレガシーに直結する最高裁判事指名

 今日、米国政治の分極化の進行によってリベラルな各種政策が実現することは、リベラル派は勝利と捉える一方、保守派は敗北と捉えるようになってきています。医療保険制度改革、移民政策、環境政策などオバマ大統領が自らのレガシーとして推進するリベラルな政策の戦いの場が、立法と行政を越えて司法にまで拡大していることが、最高裁判事指名が政治問題化している背景にあります。オバマ大統領が指名する最高裁判事が承認されることはリベラルな政策が実現するという重要な意味を持ちます(表参照)。例えば、スカリア判事死去前は違憲になる可能性が高かった現政権が推進するクリーンパワー計画が合憲と判決が出れば、15年12月に採択されたパリ協定の温室効果ガス削減目標に米国が一歩近づいたと環境団体などは賞賛する一方、米国の石炭火力発電所は打撃を受けます。最高裁判事1人の死が米国の将来を左右したことは過去にもありました。約60年前、黒人と白人を分けて教育する公立学校の設立を最高裁で違法とし米国の将来を変えた「ブラウン対教育委員会裁判」では判決前のフレッド・ヴィンソン最高裁長官の死が判断の行方を変えたと一部の専門家は述べています。今日、オバマ大統領の推進する極めて重要なリベラル政策が最高裁で審理される中、45年ぶりに保守派が最高裁の多数派を失う可能性をもたらしたスカリア判事の死は米国の将来を方向付けることが予想されます。

 

(表)スカリア判事死後の最高裁の判決見通し

(表)スカリア判事死後の最高裁の判決見通し
(出所:各種米メディア報道などをもとに筆者作成)

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