NAFTA再交渉見通し:「運命共同体の北米地域」と衝突するトランプ政権の「米国第一主義」

2017年08月22日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

NAFTA再交渉が行われているワシントン市内のホテル(筆者撮影)
NAFTA再交渉が行われているワシントン市内のホテル(筆者撮影)

 2017年8月16~20日、北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉の第1回会合がワシントン市内ホテルで開催された。8月20日に米国、メキシコ、カナダのNAFTA加盟3か国が発表した共同声明では早期妥結の方針および初回会合の成果を強調した。しかし、同会合に先駆けて各国がより詳細に各国の思惑を発表した交渉目的そして交渉初日の共同記者会見などから、「米国第一主義」を掲げるトランプ政権と再交渉を通じて北米地域全体の競争力を高めようとするメキシコやカナダとでは交渉姿勢が乖離していることが浮き彫りとなった。米国が交渉目的を達成するのは容易ではないと考えられる中、今後、交渉決裂やトランプ大統領が再びNAFTA離脱をちらつかせるリスクが存在する。だが、メキシコおよびカナダ、そして米業界との調整過程でトランプ政権はその姿勢を軟化せざるを得ないことが予想される。

 

 

◆トランプ政権 VS.「メキシコ+ カナダ +北米の産業界」の構図:乖離する交渉目的

 第1回会合前に発表された各国の交渉目的(表1参照)では、NAFTAの近代化の必要性に言及している点で3か国全てが一致している。だが、異なるのは米国が交渉目的に貿易赤字削減を重視している点だ。トランプ政権が北米地域の競争力強化を蔑ろにし、自国の貿易赤字削減をはじめ「米国第一主義」の保護主義的政策を貫くことは交渉決裂の火種になり得る。

 

(表1) NAFTA再交渉:各国の目的の比較(出所:USTR、メキシコ経済省、カナダ外務省の公表資料などを基に米州住友商事ワシントン事務所作成(https://www.scgr.co.jp/))

 

 8月16日の3か国の通商トップが行った共同記者会見でもトランプ政権がメキシコ、カナダ、そして域内の産業界の思惑から乖離している構図が表面化した。

 

 共同記者会見でロバート・ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表は、トランプ政権の掲げる「米国第一主義」のもと、地域単位ではなく国単位で交渉する姿勢を示した。NAFTAの成果については、農業や牧畜業の輸出拡大について評価したものの、貿易赤字や製造業の雇用喪失をもたらしことを問題視し、NAFTAは「多くの米国人にとって根本的に失策であった」と指摘した。

 

 一方、メキシコ代表のイルデフォンソ・グアハルド経済相、カナダ代表のクリスティア・フリーランド外相は共同記者会見で米国が示した国単位ではなく、地域単位で交渉を進める姿勢を示した。両国はこれまでのNAFTAの経済効果そして域内統合がもたらしている恩恵を評価し、再交渉では北米地域の競争力向上をもたらす協定の近代化を目指したい方針だ。グアハルド経済相は「本日、開始する交渉プロセスは過去に戻るものではない」と述べ、メキシコはNAFTAが加盟国に恩恵をもたらしたことを強調した上で協定の近代化による北米の競争力強化を訴えた。カナダも同感だ。フリーランド外相は「NAFTAの近代化に取り組み、最新のものにする」と語り、これを機に役所手続きの効率化、規制の調和などを目指す方針を示した。グアハルド経済相は、メキシコは交渉の末「3か国全てが勝利と捉える『Win-Win-Win』を実現することにコミットしている」と語った。またフリーランド外相も貿易は「(勝者と敗者が生じる)ゼロサムゲームではない」と主張し、メキシコとカナダは共に「米国第一主義」を掲げる米国を牽制した。

 

 メキシコとカナダと同様に既存のNAFTAの恩恵を維持したいのが米国を含む域内の産業界だ。1994年のNAFTA発効以降、国境を越えたサプライチェーンを複雑に構築した業界は、今や国単位ではなく地域単位で北米のビジネス戦略を策定している。「メキシコと米国の関係は卵焼きのようなもの。(今や)白身と黄身を分けることはできない」。メキシコの大手石油化学メーカーのメヒチェム社の会長フアン・パブロ・デル・バージェ氏は、米国・メキシコ関係についてウォール・ストリート・ジャーナル紙(2017年8月13日付)にこのように語っている。「米国第一主義」を掲げるトランプ政権は、交渉目的で貿易赤字削減をはじめ米国を最優先する考えを節々に示している。しかし、NAFTA再交渉が米国経済に恩恵をもたらすには、今や運命共同体となった北米の域内経済発展を考慮した交渉が重要になる模様だ。共同記者会見でライトハイザー代表は「原産地規則、特に自動車および自動車部品についてはより高い北米コンテンツ、そして十分な米国コンテンツを義務付けるべき」と語った。だが、ゼネラル・モーターズ(GM)、フォード、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)といった米ビッグスリーを代表する業界団体の米自動車貿易政策評議会(AAPC)は、現状の乗用車の現地調達率は適度な比率と主張しており、仮にトランプ政権が現地調達率引き上げの交渉を行えば自国産業の意に反することになる。

 

 

◆NAFTA再交渉は近代化の議論に収斂する運命

 トランプ政権が合理的であれば、政権自らが主張する「損害を与えない(Do No Harm)」の方針に基づき、米業界が求める内容で交渉を行うであろう。更には各国の議会批准、競争的自由化による米国への外圧などでNAFTA再交渉は大方、近代化の議論に収斂する可能性が高い。

 

(1) 業界からの反発

 2017年4月、NAFTA離脱の大統領令が署名寸前で差し止められた騒動では、米国の製造業や農業など業界からの反発、そしてそれを受けた政権内での反対が大統領の判断に影響を及ぼしたという。トレーシングリスト(注)の拡大などアジアからの部品調達を減らす試みは見込まれるが、前述の通り一部業界での現地調達率の引き上げをはじめ保護主義的政策の導入は業界の反発が予想される。また、仮に米国が保護主義的な交渉を進めた場合、米業界が反発することをメキシコやカナダの交渉団は理解している。交渉に関わるあるメキシコ政府高官によると、メキシコは米政権以外に米議会や米国の様々な業界団体、企業にアプローチするという。米国の交渉チームに業界団体を通じて圧力をかける方針だ。

 

(2) 保護主義導入では困難を伴う国内での批准

 トランプ政権は貿易促進権限(TPA)を利用する方針を示しており、再交渉で合意した内容は最終的には米議会で承認を得る必要がある。米国憲法第1 章第8 条に基づき最終的な通商権限を保有する米議会は、政権がTPAに準拠して再交渉を行うことを最重視しており、議会はNAFTA再交渉で保護主義的な政権の動きを牽制する方針だ。仮に政権がTPAに基づくプロセスに従わず議会に対する報告義務などを怠り勝手に交渉を行った場合、議会は「手続きに関わる反対決議」を採択し、政権によるTPAの利用を禁止することが可能だ。議会では共和党指導部は2016年大統領選前と同じく自由貿易推進派が未だに権力を握っていることからも、トランプ政権は保護主義的政策の合意は難しい。更には米国の多くの州がメキシコ、カナダ向け輸出に依存していることからも、米国産業に被害をもたらす保護主義的政策の導入は多数の議員の反発が必至だ(図1参照)。ワシントンに拠点を持つ業界団体や大手企業は交渉開始前から議会職員などを通じて議員に圧力をかけている。それを受け、議会で通商政策を司る上院財政委員会や下院歳入委員会はUSTRに対し働きかけているという。また、今日、経済以外にも治安対策や移民政策で両国は米国に協力しておりNAFTAの恩恵は経済関係だけに留まらない。メキシコはこれらも交渉ネタとして活用し米国に圧力をかける方針だ。

 

(図1) 米国各州のメキシコ・カナダ向け輸出ランキングと輸出が州のGDPに占める割合(2016年)(出所:米国勢調査局データを基に米州住友商事ワシントン事務所作成(https://www.scgr.co.jp/))

 

 経済規模そしてメキシコおよびカナダのNAFTAへの高い依存度から、米国の強硬な交渉によってメキシコとカナダの両国は多くの妥協を強いられるといった指摘もある。だが、米国だけが交渉で多くを勝ち取り満足し、メキシコおよびカナダが「交渉負け」を感じる内容では、メキシコおよびカナダが自国議会を納得させ批准することができない。そのため、グアハルド経済相が共同記者会見で述べたように「Win-Win-Win」の結果でなければ、交渉妥結に至ることは難しい。このようにメキシコ、カナダの議会も批准しなければならないことを考慮すると、NAFTA再交渉の妥結内容は各国の反発で最終的に現状のビジネスに大幅に悪影響をもたらす合意は回避される可能性が高い。

 

(3) 競争的自由化による米国への外圧

 米国を含まない自由貿易圏が発足することによって、市場を失わないために米国にも自由貿易を推進するインセンティブが働く現象をピーターソン国際経済研究所(PIIE)名誉所長のフレッド・バーグステン元財務次官は「競争的自由化(Competitive liberalization)」と呼んでいる。バーグステンPIIE名誉所長は、環太平洋パートナーシップ(TPP)11、太平洋同盟、そして各国の2国間FTA交渉などは競争的自由化を米国にもたらし、「米国に対する外圧となる」とワシントン市内のセミナー(2017年8月開催)で述べた。

 今日、NAFTA域内では自動車業界をはじめ国をまたがるサプライチェーンは複雑に入り組んでおり、域内で競争するのではなく、欧州やアジアといった域外の経済ブロックと競争している(図2参照)。前述のAAPCのチャールズ・ユーサス副会長は欧州やアジアのサプライチェーンと競争する上で、NAFTA域内でワイヤーハーネスの生産など労働集約型産業を担う低コスト国(LCC)のメキシコの重要性について2017年5月、ワシントン市内で開催されたセミナーで語った。米国が仮にNAFTA再交渉で自国の生産拡大を優先し、欧州やアジアなどと比較し北米地域の競争力を削ぐことになれば、結果的に米国および北米の雇用流出を招く危険性がある。

(図2) 自動車メーカーは各地域の低コスト国で労働集約型産業を保有(出所:AAPC資料などをもとに米州住友商事ワシントン事務所作成(https://www.scgr.co.jp))

 

 

◆米国の交渉姿勢は軌道修正されるか

(表2) 米商務省が監視するモノの貿易赤字大国(16か国)(出所: 米国勢調査局データを基に米州住友商事ワシントン事務所作成 (https://www.scgr.co.jp/))

 トランプ政権の通商政策における貿易赤字に対するこだわりは政権幹部の話の節々で感じられる。ある米商務省高官によると、商務省内で開催されている同省幹部の会合は毎回、ウィルバー・ロス商務長官に対し(1)米国が10億ドル以上抱えるモノの貿易赤字大国16か国(表2参照)、(2)通商法の執行状況の2点について報告することから始まるという。2016年の貿易赤字でメキシコは4位、カナダは16位に位置する。

 貿易赤字削減を重視する政権の姿勢はUSTR内でも共通しており、NAFTA再交渉にもあてはまる。交渉に携わるあるUSTR職員によるとトランプ大統領はライトハイザーUSTR代表に対し、NAFTA再交渉の最優先事項として貿易赤字削減を指示しており、政権内ではその目標を達成できる合意こそが交渉の「勝利」と位置付けているという。

 

 貿易赤字削減は通商政策ではほとんど変えられないマクロ経済の問題、と大半のエコノミストは主張する。トランプ政権が仮にメキシコやカナダに対し保護主義的政策を導入すれば、両国の経済が悪化し米国の輸出が減ることでますます貿易赤字が拡大するリスクさえ指摘されている。だが、トランプ大統領は2017年4月の離脱騒動以降も離脱の可能性について言及し、交渉過程で随時、離脱カードをちらつかせ、交渉で相手国に譲歩を迫る可能性がある。更にはTPAを利用せず、大統領権限で行える関税引き上げや原産地規則強化など強硬策導入で域内産業に害を及ぼす可能性も僅かながらある。だが、最終的にはトランプ政権のNAFTA再交渉における保護主義の動きを阻止すべくメキシコ、カナダ、そして米国の産業界からの牽制が機能することが見込まれる。

 

 ライトハイザー代表は共同記者会見でNAFTAの一部条項の修正や更新に留まらず、幅広い分野での改定を示唆した。前述のUSTR職員は「交渉スピード」と「交渉範囲」はトレードオフの関係だという。米国、メキシコ、カナダの各国交渉チームは直近までTPP交渉で長時間共に過ごしたことから、各国の要望に限らずお互いのことを良く理解している。従ってNAFTA再交渉では、TPPでの合意内容を踏まえたNAFTAを近代化する交渉に限定すれば、早期妥結も可能との指摘もある。オバマ政権がTPPはNAFTAの再交渉であるという方針を示したこともあり、NAFTAの協定本文への法的執行力のある環境や労働の章の追加、知的財産権の改善、国有企業に関わる取り決めなどトランプ政権はTPPでの合意内容をそのまま取り込みたいことが交渉目的からも読み取れる。とはいえ、TPPでの合意内容をそのまま、メキシコ、カナダが受け入れることはないと予想されている。「例えば、メキシコは労働に関わる憲法改正をはじめ様々な改革を進めることに合意した。だが、これは(TPPで)日本市場へのアクセス拡大が見込まれていたためである」とオバマ政権時代のTPP交渉トップのマイケル・フロマン前USTR代表は2017年7月、外交問題評議会(CFR)のインタビューで語っている。日本市場へのアクセス拡大といったインセンティブがない中、米国の圧力でメキシコが一方的な市場開放に譲歩するか疑問視されている。また、メキシコは現在まで公の場では米国の保護主義に対して過激な反応を示していない。だが、それも長続きしない可能性がある。2018年7月のメキシコ大統領選に向け、選挙サイクルが本格化する年末年始には反トランプで人気を誇る大統領候補の左派国家再生運動(Morena)のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール党首などに押されて与党制度的革命党(PRI)はナショナリズムの主張を展開し始めるリスクが高まる。また、米国でも2018年11月中間選挙の選挙サイクルが来春頃から本格化する。仮にNAFTAの新協定で米国の貿易救済法の修正を伴う場合、NAFTA再交渉後の署名から180日前に同法修正の可能性を議会に通知することがTPAで規定されている。従って第2回交渉直後の2017年9月上旬に通知した場合、早くても180日後の2018年3月上旬の署名となり、選挙サイクルとの兼ね合いで無理なく賛同を取り付けるには瀬戸際のタイミングだ。

 

米議会議事堂(筆者撮影)
米議会議事堂(筆者撮影)

 政治的影響に限らず、3か国全てが市場の不安定性を最小限に抑える上で早期妥結を望んでいる。8月20日の共同声明では早期妥結を目指す方針が示されている。実現のためには、今後、米国は徐々に軌道修正することが見込まれる。「運命共同体の北米地域」を重視するメキシコ、カナダ、そして業界と、「米国第一主義」のトランプ政権が交渉の序盤で衝突しているが、最終的には政権が主張する「損害を与えない(Do No Harm)」の方針が尊重される可能性が高い。結局のところ、残る懸念は政権が交渉成果の指標とする貿易赤字削減の方針にどれだけ固執するかだ。

 

 

 

注: トレーシングリストとは、NAFTA403条第1項に基づく付属書403.1に掲載の品目リスト。最終製品の現地調達率を算出する際、仮に特定の部品がNAFTA産と認定されていても、同リストに含まれる域外で生産の原材料の調達価格は非原産材料価格に盛り込まれて計算される。NAFTA再交渉では、アジア産部品など域外の品目を減らしNAFTA産部品を増やす目的で品目リストの拡大の可能性がある。

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