米国のNAFTA離脱懸念で新たに動き出した産業界

2018年01月11日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

 「型破りの政権には、型破りの手法で対抗せねばならない」2017年12月、米首都ワシントンで開催された米通商政策に関わる会合で米業界団体幹部がトランプ政権下で懸念が高まるNAFTA離脱に対し、新たな手法で対策を打つ必要性を訴えた。米国商工会議所の推計では今日、NAFTAに依存する米国雇用は1,400万人(対カナダ貿易:800万人、対メキシコ貿易:600万人)にも上る。また、米商務省によると2016年の米国からの輸出はカナダ向けが1位、メキシコ向けが2位の規模を誇り、両国合わせた輸出額は米国の全輸出額の3分の1を超える。北米地域では密接なサプライチェーンが形成され域内経済が一体化している今日、仮にトランプ政権が米国のNAFTA離脱を通知した場合、米国経済および雇用への影響は計り知れない。戦々恐々とする業界は昨今、離脱を防ぐために新たな手法で抵抗を始めた。

 

 

◆過去に類を見ない規模の業界連携の動き

 2017年10月、ワシントン市内でNAFTA維持・近代化を米産業界が連携して訴える「NAFTA連合」が立ち上がった。決起集会には総勢100人を超えるワシントンのロビイストを中心とした業界関係者が集った。同連合メンバーには米国商工会議所、ビジネス・ラウンドテーブル、全米外国貿易評議会(NFTC)、全米製造業者協会(NAM)、サービス産業連盟(CSI)、米国農業会連合(AFBF)など米産業界を代表する業界団体が勢ぞろいし過去に類を見ない規模の業界連携が見られる(表参照)。多岐に渡る業界をカバーする「NAFTA連合」以外にも自動車業界、食料・農業、小売・アパレル業界など個別の業界において続々と業界団体や企業が連携し、政府に対するNAFTA維持・近代化の働きかけを開始している。例えば2017年10月、自動車業界では「Driving American Jobs(米雇用増を推進)」と称する連合を立ち上げ、NAFTA推進の活動を展開している。自動車メーカーでは米ビッグスリーだけでなく国籍を問わず外資系自動車メーカーも同連合に参加している。また、完成車メーカーの横の連携だけでなく、自動車部品メーカー、ディーラーなど縦の連携も見られ、自動車業界の様々な企業・団体が参画している。業界関係者によると、ここまで幅広く自動車業界が一体となってロビー活動を行うのは米国史上初という。

 

(表)新たに発足したNAFTA離脱反対・啓蒙活動を展開する各種業界団体の連合(出所:各種資料、ヒアリングを基に米州住友商事ワシントン事務所作成 https://www.scgr.co.jp)

 

 

◆型破りの取り組みを始めた米産業界

 従来の手法でロビー活動を行っていても、トランプ政権の通商政策に影響を及ぼすことはできないとの問題意識が各業界団体で一致している。そのため、「NAFTA連合」では幅広い業界の連携で政権に対抗する以外に、訴えるメッセージやメディアなど斬新な手法を検討するとともに、トランプ政権に合わせ新たなターゲットにアプローチを開始している。以下、「NAFTA連合」の取り組みについて、過去の政権では見られなかった目新しい動きを中心に紹介する。

 

(1) 新規ターゲット: トランプ支持者をはじめ「ベルトウェイの外」(注1)の一般市民

 「NAFTA連合」はトランプ大統領のNAFTA離脱通知を防ぐため、従来の議会・政権に対するロビー活動を展開している。だがそれ以外に、一般国民に対するNAFTA啓蒙活動を新たに開始している。

 2016年大統領選では「ワシントン政治を牛耳りFTAを推進してきた主流派」対「労働者階級が支持する反FTAの反主流派」という対決の構図が生まれた。選挙戦中盤、トランプ候補などが主張する反FTAの議論が優勢となり、対戦候補から主流派とレッテルを貼られたヒラリー・クリントン候補もTPP反対の姿勢を示すなど反FTAに政策をシフトした。TPPを「貿易協定のゴールドスタンダード」と称したこともあるクリントン候補が通商政策で軌道修正せざるを得なかった背景には、輸入の影響を受けやすい製造拠点がラストベルト地域などの選挙激戦州に集中しているためであった(2016年5月9日記事参照)。米国の製造業は生産量は拡大しているものの、機械化により雇用は減少傾向にある。「有権者は技術革新やグローバル化については投票で意思表示することはできないが、貿易についてならできる」とマイケル・フロマン米通商代表部(USTR)前代表は語っている。国民は貿易の恩恵を享受しているにも関わらず、一部地域の経済苦境へのスケープゴートとして政治家が貿易を批判することで、国民の通商に対する考えは大いに影響を受けてきた。また、米国社会は分極化が進み「民主党」対「共和党」という部族意識が高まる米政治において、通商に対する考え方は支持政党によっても影響を受けている。ピュー研究所の世論調査(2017年4月実施)によると貿易を支持する国民(52%)は不支持(40%)を上回る。しかし、支持政党によって貿易に対する考え方は大いに異なる。同調査で、貿易を支持すると答えた民主党支持者は67%に上るのに対し、共和党支持者は36%に過ぎない(注2)。1950~60年代以降、共和党支持者は自由貿易推進派であったが、2009年、オバマ前政権がTPP推進を表明して以降、共和党支持者を上回る規模で民主党支持者が貿易を支持するようになった。近年、共和党支持者が自由貿易を不支持する傾向が見られ、米政治の部族意識が通商政策にも影響を及ぼしている模様だ。

 共和党で異例の保護主義政策を訴え2016年大統領選を制したトランプ大統領の当選に貢献したラストベルト地域で製造業に従事する労働者に対し、「NAFTA連合」は通商に対する意識改革を狙って、直接アプローチを開始している。従来は広報活動が希薄であった「ベルトウェイの外」に対し、NAFTAの恩恵をアピールする試みを積極的に展開し始めている。例えば、米国商工会議所は「#FacesofTrade」キャンペーンを通じ、ソーシャルメディアを中心にオンライン上で中小企業オーナーの声を顔が見えるようにして紹介している。更には、各州の地元商工会議所と連携しNAFTAをアピールするイベントを開始した。労働者自らの雇用が貿易とどのように関わっているかといった雇用のバリューチェーンを伝える取り組みなども検討されている。

 一方、労働者以外にも一般国民に対してNAFTAの恩恵を訴える動きも新たに見られるようになった。農畜産分野では政権に対するロビー活動はこれまでも行ってきた。しかし、同業界は一般消費者に対してこれまで、あまりNAFTAの恩恵についての啓蒙活動を行ってこなかった。新たな取り組みとして注目されているのが、多くの米国民の朝食には欠かせないベーコンだ。全米豚肉生産者協議会(NPPC)が運営するベーコン好きが集うウェブサイト「Baconeering.com」やソーシャルメディア「Baconeers」では、米国の国民食といえるベーコンの値上げリスクなどNAFTA離脱が与えかねない影響について情報発信を開始している。今日、多数の米国人にとってベーコンは単に食事ではなくなり、ライフスタイルと化していることからも反響を呼んだ。また、「NAFTA連合」に参加する他の団体もNAFTAの恩恵についてインフォグラフィックなどを作成してウェブサイト上で国民に分かりやすい説明をする試みを始めている。このように通常、貿易政策とは無縁の一般国民もNAFTA離脱の脅威について身近に感じることができるよう、新たなアプローチが始まっている。つまり、米産業界はトランプ政権の支持基盤を含む一般国民「ベルトウェイの外」にとってもNAFTAがどれだけ日常生活に不可欠であるか気づいてもらうことを狙っているようだ。製造業を中心に主に機械化などの技術革新やグローバル化が影響し経済の衰退が進んだラストベルト地域で、経済苦境のスケープゴートにされてきたNAFTAをはじめ自由貿易について国民意識を変え、NAFTAを崩壊あるいは弱体化しかねないトランプ政権に草の根レベルで抵抗勢力を築こうとする業界の試みが始まっている。

 

(2)従来のロビー先にも異なる手法: 業界団体は様々な方面からホワイトハウスにアプローチ

米通商代表部(USTR、右手前建物)とアイゼンハワー行政府ビル(左建物)(筆者撮影)
米通商代表部(USTR、右手前建物)とアイゼンハワー行政府ビル(左建物)(筆者撮影)

 トランプ政権下、従来の議会・政権に対するロビー活動も手法が異なるようだ。産業界は通商政策を司るUSTRや商務省ではなく、影響力を握っているホワイトハウスへのアプローチを強化している。その際、ペンス副大統領、議会共和党議員、州知事などいずれも業界の味方となる自由貿易推進派、かつトランプ大統領に近い人物を通すといった動きが見られるようになっている。なお、従来の政権は企業利益などを重視していたというが、トランプ政権では企業利益の話では政権は動かないという。政権幹部の話から、政権が真剣に耳を傾けるのは「雇用拡大」であることから、それを前面に出したメッセージ発信を各団体は心掛けている。また、直近では離脱リスクが浮上していることで、NAFTAがもたらした恩恵以外に離脱時の雇用喪失リスクについても「NAFTA連合」は警鐘を鳴らし、政権が離脱のリスクに危機感を抱くことを狙ったロビー活動を始めている。

 

●ホワイトハウス: 自由貿易推進派のペンス副大統領を仲介役に

 NAFTA離脱リスクが高まる中、「NAFTA連合」傘下の大手企業の経営陣がホワイトハウスに直接アプローチする動きが見られる。また、通商政策を司るUSTRや商務省だけでなく、「NAFTA連合」はペンス副大統領に新たにロビー活動を開始している。この背景にはライトハイザーUSTR代表やロス商務長官は業界の要望を十分に聞く耳を持っていないのではないかといった懸念が広まってきていることがあるようだ。2017年11月、米ビッグスリーの幹部が副大統領と面談するためにホワイトハウスを訪問した。カナダ・メキシコ向けに農業や自動車の輸出が多い州選出の上院議員のグループも2017年12月そして翌年1月にも副大統領を訪問している。ペンス副大統領の地元インディアナ州には多数の自動車メーカーの製造拠点があり、過去の経歴からも明らかに自由貿易推進派である。業界、そしてその意向を受けた議会はトランプ政権の通商政策においてペンス副大統領が政権側と業界側の仲介役として機能することに期待をかけている。

 

●州知事: ホワイトハウスに近い州知事に期待

 トランプ政権下、その影響力に期待がかかっているのが共和党支持の州知事だ。前インディアナ州知事であったペンス副大統領の元同僚でもある共和党支持の州知事が副大統領に対し地元経済や雇用への影響について訴える動きが活発化している。州知事が政権に対し積極的にアプローチするようになった背景には、「NAFTA連合」をはじめとした業界団体が州知事に圧力をかける戦略が功を奏したようだ。

 

●連邦議会: 牽制機能として業界から期待される議会

 米国憲法第1 章第8 条によると、議会は「諸外国との通商を規制する」権限を有する。従って、最終的にはNAFTA崩壊に対し、抵抗勢力として期待されるのが議会である。「NAFTA連合」は2017年秋、「ロビー活動日」を設け上下両院でそれぞれ議員事務所を訪問し、NAFTAの重要性を議員に理解してもらうキャンペーンを実施した。NAFTA再交渉の第6回交渉会合前の1月中旬にも上院で「ロビー活動日」を再び設ける予定だ。従来と大きく異なるのは、より幅広い業界が連携しロビー活動を展開していることだ。この他、2018年1月以降、各州に拠点を持つ地元企業経営者・工場長などが産業を問わずワシントンに集結し、州選出の議員にNAFTA支持を訴えるロビー活動の打ち合わせを州ごとに順番に実施する新たな試みも予定されている。ワシントンのベテランロビイストによると、自らの再選にとって重要な地元の有権者がワシントンに飛び、直接議員に訴えるこの手法こそが議員を動かす上で最も効果的という。

 

(3) 新たな情報発信手法: ソーシャルメディアの活用

 「NAFTA連合」では従来の政権・議会を直接訪問するロビー活動などの地上戦に加え、新たに大幅強化を図っているのが空中戦のソーシャルメディアでの情報発信だ。トランプ大統領がツイッターなどソーシャルメディアで情報発信し政策を効果的に広報することに成功していることから、政権に対抗する狙いもあるであろう。「NAFTA連合」のソーシャルメディア・ワーキンググループでは「#NAFTAWorks」というハッシュタグでNAFTAの恩恵についてPRしている。「NAFTA連合」に加わっている様々な業界団体や企業がこのハッシュタグで繋がって情報発信を行い、米産業界でNAFTA離脱反対ムーブメントの波を起こしつつある。更に、今ではメキシコ政府の交渉チームもその波に乗り始め、米産業界とメキシコ政府が連携しトランプ政権の保護主義政策に対抗する奇妙な構図が出来つつある。メキシコのNAFTA交渉チームを率いるケネス・スミス・ラモス首席交渉官をはじめメキシコ政府もNAFTAに関わる情報発信では頻繁に「#NAFTAWorks」を記載し、再交渉で米国政府の孤立化を狙う戦略が垣間見える。

 

 NAFTA再交渉は妥結の目途が立っていない状況が続く中、次回の第6回交渉会合(2018年1月23~28日、カナダ・モントリオール開催)が決裂に終われば、トランプ政権はNAFTA離脱を通知するリスクが高いとワシントンの業界関係者の間では懸念が高まっている。自国の産業界そして議会が反対する毒薬条項を交渉で堅持し続けるといった型破りのトランプ政権に対し、「NAFTA連合」をはじめ米産業界は総力戦で抵抗を始めた。2018年初め、米産業界の努力が報われトランプ政権がNAFTA再交渉の戦略を軌道修正するか北米経済は極めて重要な局面に入っている。


(注1)「ベルトウェイの外」とは首都ワシントン市の主流派・知識層でない一般国民。

(注2)ピュー研究所が2017年10月に行ったNAFTAに関する世論調査でも、NAFTAは米国にとって良かったと回答した国民は56%と、悪かったと回答した33%を上回った。しかし、支持政党で見ると良かったと回答した民主党支持者は72%にも上るのに対し、共和党支持者は35%に過ぎない。

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