トランプ政権内で割れるUSMCA批准戦略 ~批准の行方はペロシ下院議長とトランプ大統領の2人に注目~
コラム
2019年06月19日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
USMCA(新NAFTA)は今夏、重要な局面を迎える。6月19日、メキシコは不確実性の排除を目的に他国に先駆けてUSMCAを批准した。一方、カナダは米国の批准の様子を見てから批准する可能性が示唆されている。2019年6月、カナダ議会が夏季休会入りする前に批准しない場合は、夏季休会中に議会を招集する可能性もある。だが、批准の行方が最も懸念され、USMCAの将来を大きく左右するのが米議会の動向だ。
2019年末までに米議会が批准しない場合、USMCAの将来には暗雲が垂れ込めることになる。米議会議員は通常、様々な国内問題が盛り込まれた貿易関連法案に投票することを嫌う。予備選で対抗馬に叩かれる格好の材料になりかねないからだ。2019年6月26~27日、民主党大統領候補による初のテレビ討論会が行われ、今夏以降、2020年大統領選の選挙モードに突入する。さらには、選挙年である2020年に入れば、議員はますます貿易関連の投票を避けたがり、議会でUSMCA施行法案は動かなくなる可能性が高い。
トランプ政権は行政措置声明(SAA)の草案を5月30日に議会に提出した。貿易促進権限(TPA)法に基づき、同政権はSAA草案提出から30日後に施行法案を提出することが可能になる。したがって、計算すると施行法案を提出できる時期は6月29日以降だが、上下両院が開会していなければならないことから、最も早く施行法案を提出できるのは独立記念日の休会から議員が戻る2019年7月9日以降である。TPA法に基づき、施行法案の提出後は定められた期間内に議会で採決を行わなければならない。
◆USMCAの米議会批准でカギを握るペロシ下院議長
これまで下院民主党がUSMCA施行法案を議会で審議する上で前提条件と主張してきたのが、米国際貿易委員会(ITC)によるUSMCA経済分析報告とメキシコの改正労働法成立の2点だ。2019年4~5月、これら2点はいずれもクリアした。
だが、批准にはまださまざまな障害が立ちはだかっている。2018年中間選挙で民主党が下院を奪還したことで、USMCA批准のハードルは更に高くなっており、トランプ政権のUSMCA批准に向けた取り組みには、苦難の道のりが予想される。中間選挙から約1か月後にホワイトハウスで開催された会合で、トランプ大統領に対しチャック・シューマー上院院内総務は「大統領閣下、選挙結果は(その後の力関係に)大いに影響を及ぼすものです」と述べた。前期議会まで上下両院で多数派であった共和党が、2019年1月からの第116議会の下院においては多数派でなくなったことが、議会審議に大きな影響を与えている。通商政策でまずその影響が表面化したのがUSMCA批准であった。
「(USMCA施行法案は)超党派で幅広い支持を得る。仮に議会本会議で採決にかけられれば、大量の賛成票を集めることになる」、2019年4月、ケビン・ハセット経済諮問委員会(CEA)委員長は米経済のためにもUSMCA施行法案を議会が早期に批准することの重要性を訴えた。ハセット委員長が指摘するように仮にUSMCA施行法案が議会本会議で採決に至れば、上下両院の賛成多数で批准される可能性が高いのは確かだ。だが、それを阻むのが、下院で民主党が多数派を占めていることだ。
USMCA施行法案は、TPA法に基づき、上下両院で過半数の票が集まれば可決することが可能だ。現時点で、共和党が多数派を占める上院では、可決できる可能性が高い。下院では仮に政党で支持が分かれたとしても、共和党議員(198人)が全員賛成にまわり、かつ民主党議員19人の賛成票が得られれば可決することができる(現状の空席2議席の場合)。中間選挙では民主党でも自由貿易推進派そして当時現職の共和党議員から議席を奪い激戦選挙区から当選した議員も多数いることから、19人程度の賛成票確保は容易であると思われる。
だが、問題は下院で多数派を占める民主党の指導部が、当面本件を下院本会議で採決にかける気配がないことだ。下院本会議での採決の判断は下院を奪還した民主党が握り、ナンシー・ペロシ下院議長の判断に委ねられている。ペロシ下院議長は貿易政策について各選挙区の事情が異なることから、賛成票あるいは反対票を投じることを民主党議員の各自の判断に任せていると言われている。だが、同下院議長は仮に下院で共和党議員と民主党議員の一部の賛成票を合わせてUSMCA施行法案を可決できる見込みになったとしても、下院本会議で本件を採決にかけない見通しだ。なぜなら、下院民主党議員の半数以上が現状のUSMCAの内容に不満を持ち、あるいは投票することを拒んでいる状況下、強硬採決にかければ、民主党内から反発の声が上がるのが必至だからだ。また過去に民主党が下院を制していた際のFTA採決時に民主党議員100人程度の賛成票でFTA施行法案が可決された実績がある。したがって、賛成票が民主党下院議員235人の過半数に到達しなくても、100人程度が目安との話も議会関係者の間では聞かれる。
◆USMCA署名後、業界に急接近するトランプ政権
USMCAでは交渉妥結直前にはトランプ政権から業界にアプローチがあったものの、交渉中のほとんどの過程で、同政権は業界や議会と距離を置き、業界や議会は交渉内容について十分に把握していなかった。だが、署名後は議会批准が必要なことから、トランプ政権は議会そして議会の票に影響力のある米産業界に急接近している。米産業界のある団体幹部によれば、同政権幹部は突然、態度を変えたという。同政権幹部はUSMCAの議会批准に向け必死だ。マイク・ペンス副大統領、ラリー・クドロー国家経済会議(NEC)委員長などに加え、C.J.マホニー米通商代表部(USTR)次席代表をはじめUSTR高官は2018年末以降、連日、議会そして議会に圧力をかける産業界などの会合に出席してはUSMCAをアピールしている。
2019年6月上旬、ペロシ下院議長はUSMCAの懸念点をまとめる作業部会を労働、環境、合意内容の施行(強制力)、バイオ医薬品価格の条項ごとに正式に立ち上げた。4つの作業部会はリチャード・ニール下院歳入委員長が総括し、各作業部会に下院民主党議員が2人ずつ取りまとめ役として指名された。今後、各作業部会はロバート・ライトハイザーUSTR代表と協議してゆくこととなる。
◆USMCA批准が遠のくリスク
下院でUSMCA作業部会が立ち上がり、USMCA批准に向けて下院とトランプ政権の間で協力関係が構築され始めていることは、USMCA批准を後押しするポジティブな動きと米産業界では捉えられている。だが、USMCA批准を阻む様々なリスクが潜んでいる。
1.早期批准よりも中身を重視する民主党への過度な政権圧力
下院民主党指導部はUSMCAの早期批准よりも中身を重視している。したがって、7月9日以降、トランプ政権が議会と十分に調整を経ていない内容のUSMCA施行法案を強硬に議会に提出した場合、ペロシ下院議長は期限内に採決しなければならないというTPAルールの適用を停止することが想定される。つまり、施行法案提出後、下院で稼働日60日以内に採決しなければならないというルールが適用されなくなる。これは、2008年当時も、下院議長を務めていたペロシ氏が米国・コロンビアFTA採決時にとった手法であり、トランプ政権が批准を急ぎペロシ下院議長に過度な圧力をかければ同様のことが起きてもおかしくない。
2.民主党の要望重視で失いかねない共和党と他国の支持
下院のUSMCA作業部会は民主党主導であり、民主党が懸念している内容をライトハイザーUSTR代表と協議し、USMCA施行法案や協定文などに反映することが見込まれる。だが、その過程で共和党が望まない内容が盛り込まれる可能性があろう。たとえばバイオ医薬品のデータ保護期間については、民主党が薬価への配慮から保護期間をUSMCAで合意した10年より短くすることをトランプ政権に要請している。だが、同政権がその要望を受け入れた場合、今度は米国のロビー活動で極めて強力な米製薬業界が反発し、共和党議員の支持を失うリスクがある。これは、2016年、環太平洋経済連携協定(TPP)が米議会で批准されなかった要因でもある。
また、民主党の要望は国内だけで完結する施行法案だけでは対応できず、メキシコやカナダと再協議して作成する協定文および付属文書の加筆修正もせねばならなくなる可能性が高い。したがって、メキシコに続き仮にカナダが米国に先行して批准したとしても、再協議を経た後に修正した内容で改めて各国議会の承認を得なければならないことも見込まれる。そもそも各国が再協議による加筆修正に合意するかどうかも不透明だ。いずれにしても協定文などに関わる再協議は、USMCA発効を遅らすことが必至だ。
3.トランプ大統領による離脱通知リスク
ライトハイザーUSTR代表を中心にトランプ政権には、現在、ペロシ下院議長と連携を図りUSMCA批准を目指す動きが見られる。だが、同政権内にはペロシ下院議長に懐疑的な見方をしている一派もいるという。仮に夏季休会前に議会で批准に向けて進展が見られない場合、ペロシ懐疑派が政権内で影響力を拡大するリスクがある。
米韓FTA再交渉に続き、NAFTA再交渉を妥結に導いたライトハイザーUSTR代表は、トランプ政権の通商政策で連戦連勝の実績を持ち、他の閣僚と比べてトランプ大統領から絶大なる信頼を勝ち取っている。米報道によると、2018年12月ブエノスアイレスで行われた米中貿易協議の夕食会で、トランプ大統領はライトハイザーUSTR代表を「私の交渉人だ」と、習近平国家主席をはじめ中国政府高官に紹介したという。これまでトランプ政権における各国との通商政策の交渉については管轄であるUSTRが主導権を握って行ってきた。ライトハイザーUSTR代表は他の閣僚と異なり、レーガン政権時代にUSTRで次席代表として通商交渉を経験し、議会でもボブ・ドール上院財政委員長(当時)の下、同委員会の首席補佐官を務めるなど、現政権内で唯一通商政策の政治を熟知している閣僚だ。
だが、2020年大統領選が徐々に近づく中、USMCAの早期批准の可能性が低くなれば、ペロシ懐疑派が影響力を拡大し、トランプ大統領が現行NAFTAからの離脱を通知するリスクが高くなる。離脱通知によって、「USMCA批准」または「北米に自由貿易協定がない状態」のどちらかを選択するよう議会に強制する事態が懸念されている。2020年大統領選に向け通商面での公約を実現するためにも、トランプ大統領はこのような行為に出る可能性があろう。
4.移民政策と通商政策の混合
5月30日、トランプ大統領自身のツイッターに続き、ホワイトハウスは大統領声明で、メキシコ政府が不法移民の米国への流入を止めない限り、米国はメキシコに対し段階的に5%から25%に引き上げて行く追加関税を課すと発表した。急遽、メキシコ政府高官がワシントンに駆け付け、発動予定日前に関税回避のための不法移民政策で合意した。6月11日、メキシコのマルセロ・エブラルド外相は米国と合意した不法移民対策が45日後に中間評価されることを明らかにした。45日が経過した時点でメキシコの不法移民対策が十分に効果を出していないと米政府が判断した場合、米国とメキシコの両政府は難民が最初に入国した国で難民申請を行う、いわゆる「安全な第三国地域」として難民を管理する仕組みの導入を協議する。そして、中間評価から45日以内、つまり合意から90日以内に合意内容準拠を目指す見通しだ。両国の合意内容の全貌は不透明であるが、不法移民対策で米国がメキシコの対応が十分かどうか一方的に判断することが可能であると記載されていることが判明している。米国が判断する際の基準・根拠となる数値などは不明だ。
したがって、合意から90日以内に、いったん妥結・合意した内容に準拠できない場合、再び米政府による国際緊急経済権限法(IEEPA)の発動リスクが生じる可能性がある。 仮にトランプ政権がIEEPAを発動しメキシコに追加関税を課した場合、米経済への影響は計り知れない。米産業界に加え、議会では超党派による反発が見込まれ、USMCA批准は遠のくであろう。
今後のUSMCA批准スケジュールは、上述の通りペロシ下院議長次第だ。ライトハイザーUSTR代表をはじめペロシ連携派が早期批准を目指し、民主党とUSMCAの修正必要箇所を調整し、さらに各国とも再交渉を行うが、それには時間を要する可能性がある。その間、ペロシ懐疑派が勢力を増し、トランプ大統領が堪忍袋の緒を切らし、民主党との連携をないがしろにすれば、USMCA批准が遠のくリスクがある。大統領選が迫る中でUSMCA批准が実現しない場合、大統領がNAFTA離脱を通知する可能性が高まる。ある政府高官は、NAFTA離脱通知は「ビジネスの不確実性を現状の1,000倍に拡大する」と警鐘を鳴らしている。2019年夏以降、USMCAの将来を左右するペロシ下院議長とトランプ大統領の2人の動向に要注目だ。
記事のご利用について:当記事は、住友商事グローバルリサーチ株式会社(以下、「当社」)が信頼できると判断した情報に基づいて作成しており、作成にあたっては細心の注意を払っておりますが、当社及び住友商事グループは、その情報の正確性、完全性、信頼性、安全性等において、いかなる保証もいたしません。当記事は、情報提供を目的として作成されたものであり、投資その他何らかの行動を勧誘するものではありません。また、当記事は筆者の見解に基づき作成されたものであり、当社及び住友商事グループの統一された見解ではありません。当記事の全部または一部を著作権法で認められる範囲を超えて無断で利用することはご遠慮ください。なお、当社は、予告なしに当記事の変更・削除等を行うことがあります。当サイト内の記事のご利用についての詳細は「サイトのご利用について」をご確認ください。
レポート・コラム
SCGRランキング
- 2024年12月3日(火)
『日本経済新聞(夕刊)』に、米州住友商事会社ワシントン事務所長 吉村 亮太が寄稿しました。 - 2024年11月28日(木)
ラジオNIKKEI第1『マーケットプレス』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行が出演しました。 - 2024年11月19日(火)
『週刊金融財政事情』2024年11月19日号に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行が寄稿しました。 - 2024年11月18日(月)
『Quick Knowledge 特設サイト』に、当社シニアエコノミスト 鈴木 将之のQuick月次調査・外為11月レビューが掲載されました。 - 2024年11月15日(金)
TBSラジオ『週刊・アメリカ大統領選2024(にーまるにーよん)』TBS Podcastに、米州住友商事会社ワシントン事務所調査部長 渡辺 亮司が出演しました。