USMCA年内批准に高まる期待感: カギを握るのは8月の夏季休会
2019年08月21日
米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司
8月に入り米連邦議会によるUSMCAの年内批准について楽観的な見方がワシントンの業界関係者の間で広がっている。その最大の理由はこれまでトランプ政権と民主党との対立で議会審議の難航が予想されていた「2019年超党派予算法(BBA2019)」が早期に成立したからである。そして、下院民主党とトランプ政権の間でUSMCAの具体的な修正事項について協議が前進していることも影響している。だが、楽観的な見方が広まっているものの、引き続き年内批准のハードルは高い。米労働総同盟・産業別労働組合会議(AFL-CIO)などの労働組合が大々的なUSMCA反対活動を行っていない一方、自由貿易推進派でNAFTAの恩恵を享受してきた米自動車業界は議会批准に向けた推進活動を積極的に行っていない。2020年大統領選の選挙サイクルが本格化し、徐々に議会審議は難航することが見込まれる中、連邦議員が地元に戻り有権者の声を聞く8月の夏季休会が今後のUSMCA議会批准の行方を左右するであろう。
◆USMCA議会批准について広がる楽観的な見方
1.予算成立で年内批准の可能性も
2019年8月2日、トランプ大統領は2020会計年度・2021会計年度の法定歳出上限を約3,200億ドル引き上げ、政府債務上限を2021年7月まで適用しない内容を含む「2019年超党派予算法(BBA2019)」に署名した。トランプ政権下、2019年の米経済のリスクとして想定されてきた予算協議が夏季休会前に早期決着したことはUSMCA批准の追い風になっている。
当初、予算法案の採決は夏季休会明け以降になり、2019年9月以降の秋、米議会は予算協議で忙しくなると想定されていた。したがって、USMCA施行法案の議会批准は今秋は難しく夏季休会前に行わなければならないとの考えが政権内や共和党内にあった。だが、予算法案の採決が早まったことによって、今秋、USMCA施行法案を協議する余裕ができる。
政権のUSMCA批准の目標時期は、今のところ2019年9~10月。USMCA批准の日程感は、下院民主党とロバート・ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表の間でどれだけ早く民主党の懸念事項を解消することができるかにかかっている。仮に両者が合意に至ることができれば、2011年の米韓、米コロンビア、米パナマのFTA批准のように、貿易促進権限(TPA)法で認められている最長の審議日程に関係なく議会は審議を短縮しUSMCAの早期批准も可能となる。
なお、当地の通商専門家の間では、ナンシー・ペロシ下院議長が2019年10月までにUSMCAを下院で採決にかけることに合意しているとの話もあり、夏季休会が明けた議会再開後の下院の動きに注目だ。
2.民主党がUSTRに具体的な要望を提出
ライトハイザーUSTR代表とペロシ下院議長はUSMCA批准を巡り、非常に良好な信頼関係を構築しているという話を米議会関係者から頻繁に聞く。ライトハイザーUSTR代表は民主党の要望に真摯に耳を傾けているという。二極化した米政治で党を超えて信頼関係を構築するのは容易ではない状況下、トランプ政権が早期批准を急いで民主党との交渉が暗礁に乗り上げない限り、USMCA批准への希望の光が見えている。
特に下院民主党は夏季休会前に労働、環境、施行、薬価に関わる作業部会全てでUSTRと協議を行った。また、7月最終週、下院民主党は、これら分野に関する修正を含む具体的な提案を初めて書面で提出し、USTRとの間で調整が続いている。大統領が民主党進歩派等を批判するなど大統領と民主党との政治的な対立がメディアで大きく報道されているものの、ペロシ下院議長はUSMCA作業部会に対しUSMCAの内容に集中するよう指示しているという。アール・ブルメナウアー下院歳入委員会貿易小委員長は数か月前の時点では政権と民主党との溝を埋めるのは困難と主張していたが、これまでの協議で大幅な進展があったことを認めている。また、下院民主党のUSMCA作業部会が出した提案がたたき台となり、今後、政権と民主党の間で妥協案を作成することが可能になった。現在、同作業部会が提出した提案について、USTRが内容を確認している状況だ。
3.90年代とは異なる通商を巡る政治環境
長年、ワシントンで通商政策に関わってきた専門家は、今日のUSMCA批准を巡る環境について、1990年代のNAFTA批准時ほど強硬な反対勢力は見られないと語る。ライトハイザーUSTR代表は交渉過程で、労働組合に近い民主党進歩派の議員などとも協議を重ねてきた。民主党進歩派コーカス創設者のロサ・デローロ下院議員(コネチカット州選出)は、「ビル・クリントン元大統領は我々が当初NAFTAに反対した際、我々を悪党と呼んだ。バラク・オバマ前大統領はTPPについて、我々は何を言っているのか分かっていないと述べた」と米政治誌『ポリティコ』(2019年7月18日付)に述べている。米労働総同盟・産業別労働組合会議(AFL-CIO)などの労働組合が大々的なUSMCA反対活動を行っていない背景には、トランプ政権が交渉中に労働組合に近い民主党進歩派の議員に話を聞いてきたことが大きい。デローロ議員は出身政党である民主党の政権でさえ進歩派の意見を聞いてくれなかったのに、ライトハイザーUSTR代表は聞いてくれていることを称賛している。この称賛がUSMCAの議会批准において民主党の幅広い賛成票に結び付くかは別の話であるものの、一部の民主党議員からの支持確保に期待ができる環境が醸成されている。またペロシ下院議長は次期議会で引き続き民主党が多数派を維持するためにも、トランプ大統領が勝利した選挙区出身の民主党穏健派にも手柄を与えることを考慮しなければならない。民主党指導部がかたくなにUSMCAの審議を遅らせた場合、USMCA支持者が多い民主党穏健派の選挙区が次期選挙で共和党に再度奪還される可能性もある。
◆引き続き懸念が残るUSMCA議会批准
1.産業界ではロビー活動に消極的な企業も
全米商工会議所はUSMCA批准を2019年の最優先課題に挙げている。USMCAではTPPで合意された内容を中心にNAFTAの近代化を図った条項が多々盛り込まれている。一方、これまでNAFTAで恩恵を享受してきた自動車産業については、より厳格な原産地規則など保護貿易主義の要素もあり、北米の自動車産業の競争力維持の観点からはマイナス影響も予想される。したがって在米自動車メーカーは早期批准に向けて積極的なロビー活動をしていない。また通商拡大法232条、通商法301条、国際緊急経済権限法(IEEPA)、各種FTA交渉などをはじめ各方面で保護貿易政策が繰り広げられる中、企業はそれらの対策費も残さねばならないため、USMCAに十分なロビー活動費が回せないという側面もあろう。
2.いまだ溝が深い協定内容
労働や環境の施行面に関わる内容についてはUSTRが譲歩する姿勢を見せ始めていると言われている。だが、今後、政権と民主党との間で合意に苦戦すると思われているのがバイオ製薬の薬価問題だ。薬価をはじめ医療問題は2018年中間選挙でも特に民主党有権者の間で注目された。したがって、USMCA批准の機会を利用して民主党は薬価問題解決に向けた働きかけを行う可能性も大いにある。なお、7月最終週に下院民主党はUSTRに対しUSMCAの具体的な修正事項について要望を提出したが、USTRでは要望が以前のものに比べてより厳しくなっているとして批判的であったという。
3.トランプ大統領にとってUSMCAは既に成果
最大の疑問はトランプ大統領がUSMCA批准についてどこまでこだわっているかが不明なことだ。大統領はUSMCAの交渉妥結について既に強くアピールしており、自らがカナダ・メキシコと交渉し妥結した内容を議会が批准しないのは議会の責任であると今後訴えることも想定される。一方、民主党は大統領が合意した協定は不十分であり、ディールメーカー(取引交渉人)のトランプ大統領はもっと良いディール(合意)を勝ち取るべきと再交渉に固執するであろう。その状況下でリスクが生じるのがトランプ大統領による離脱通知だ。
◆鍵を握る8月の夏季休会
8月の議会の夏季休会中、地元でどれだけ企業、労働者が地元議員に圧力をかけるかが重要である。これまではトランプ大統領とマイク・ペンス副大統領の2人が主に全米各地でUSMCA批准を訴えかけてきたが、今後は閣僚も足を運ぶという。USMCAの早期批准を訴える各種業界団体は8月が勝負の月と捉えている。議員の地元選挙区の方が議員にアプローチしやすいことから、USMCA批准への訴えを強化する活動を草の根レベルで展開し始めている。各種業界団体は、特にUSMCA批准の決め手となる下院民主党穏健派の選挙区に拠点を持つ会員企業を通じて批准を働きかけるなど戦略的に動いている。
7月26日、ラリー・クドロー国家経済会議(NEC)委員長は、夏季休会明けの9月には、ペロシ下院議長がUSMCA施行法案を下院に提出することについてゴーサインを出すことを願っていると語った。9月9日に復帰する議員が9月中に審議できる日数は13日間しかない。TPA法に沿った各種プロセスを考慮すると、早くても10月以降の採決になる見通しだ。数か月前と比べると、年内可決の可能性が見えてきたものの、いまだ批准が先延ばしになるリスクも大きいと言えよう。2020年大統領選の選挙サイクルが本格化する時期が迫る今、USMCA議会批准は刻々と厳しさを増す見通しだ。
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