トルコ新首相就任と権力集中を強めるエルドアン大統領
2016年06月01日
住友商事グローバルリサーチ 国際部
広瀬 真司
概要
トルコのダウトオール前首相兼公正発展党(AKP)党首が辞任した。後任に就任したユルドゥルム新首相は、エルドアン大統領と20年来の旧知の人物であり、エルドアンの望む大統領制の実現が新政府の最優先事項であることを就任スピーチで述べた。権力の集中を進めるエルドアンは、クルド系議員や自分に批判的な議員の不逮捕特権をはく奪する法案を議会に提出し、圧倒的多数で可決された。今後、議員の逮捕やそれに反発するテロが増加する可能性が指摘されている。2000年代には目覚ましい発展を遂げ新興市場の筆頭と目されたトルコが、政治・外交関係で問題が山積している現状を解説する。
1. ダウトオール前首相とエルドアン大統領の確執
2016年5月4日、ダウトオール前首相はアンカラの大統領宮殿においてエルドアン大統領と面会し、その翌日に辞意を表明した。ダウトオールは、辞任は本意では無いがAKPの統一性を優先したと述べており、事実上の更迭であることを示唆している。2014年8月に、首相から鞍替えして大統領となったエルドアンの指名により、その後任首相となったダウトオールであったが、特に最近になって対クルド政策やメディア・ジャーナリストの弾圧、そしてエルドアンの希求する大統領制の実現に関して、エルドアンとの意見の相違が目立ち始めていた。
特に意見の相違が表面化したのが、シリア難民に関するEUとの交渉に関してであった。この交渉をトルコ側で主導したのがダウトオールであり、彼はある程度独自の判断でメルケル独首相率いるEU交渉団と交渉を行ったとされ、2016年3月に見事合意成立にまで導いた。ダウトオールは、EUに不法に流入した難民をトルコが引き受ける代わりに、EUからの30億ユーロの支援、トルコ国民のEU(シェンゲン協定加盟国)へのビザなし渡航、そして停滞しているトルコのEU加盟交渉の再開をメルケルに約束させた。
トルコ国民にとってシェンゲン圏へのビザなし渡航は長年の夢であり、これに一定の条件下でとはいえ成立の道筋を付けたダウトオールは、国民の夢を実現した首相ということになる。このダウトオールの手柄に嫉妬したエルドアンは、EUとの合意の頓挫を目論み、メディアを通じてEUへの強硬姿勢を示すとともに、合意破棄の可能性に繰り返し言及している。
加えて、4月29日にエルドアンの意向を受けたAKPの中央執行委員会(MYK)は、これまで党首に与えられていた党地方幹部の指名権限をダウトオールから取り上げた。この背景にはエルドアンとダウトオールの確執があり、特にエルドアンが実現しようとしている大統領制への移行に関して、ダウトオールが相対的に自分の権力が縮小することを恐れて反発を示したことに対してエルドアンが激怒したためと言われている。ダウトオールは本件について事前に聞かされておらず、これが冒頭の5月4日に行われた2者会談に繋がり、ここでダウトオールはエルドアンから直接引導を渡されることとなった。
2. ユルドゥルム新首相による新内閣の組閣
5月22日のAKP臨時党大会において、全会一致で次期首相に選ばれたのは、ユルドゥルム前運輸海事通信大臣であった。ユルドゥルムは、エルドアンがイスタンブール市長時代の1994年から、イスタンブール市営のフェリー会社の取締役会長としてエルドアンと良好な関係を築き、2001年にエルドアンが首都アンカラへ移りAKPを旗揚げした際に、共にアンカラに移りAKPの共同創設者の1人としてエルドアンに協力した。以降、計12年間にわたって運輸相の任に就き、道路や空港、高速鉄道等トルコの主要インフラプロジェクトを主導してきた。
ただ、今回の抜擢に関して本人の能力はあまり関係なく、あるトルコの大学教授は、「首相が本人の能力を発揮して行動すること等全く期待されていないため、エルドアンへの忠誠度が唯一重要なファクターであった。」と発言している。ユルドゥルムは、その首相就任スピーチで、エルドアンの意向に完全に調和して政策を進めていくこと、そして何よりもエルドアンの求める大統領制の実現を最優先事項として取り組む旨を発言している。
首相就任2日後の5月24日には新内閣の人事が発表され、エルドアンによって承認された。この内閣はエルドアンのための内閣であり、ユルドゥルムはエルドアンの意向通りに動くことが期待されている。翌25日に新内閣の最初の閣議が行われたが、エルドアンを議長に据えて大統領宮殿で行われた。現地報道によると、今後も毎月大統領宮殿で閣議を行うと報道している。
3. 大統領制実現に向けた動きと議員の不逮捕特権のはく奪
現在のトルコは、首相の権限が強い議院内閣制であり、大統領はドイツやオーストリア等と同様お飾り的存在のはずである。これをエルドアンは、大統領が大きな権力を掌握するアメリカやロシアのような大統領制に転換することを目論んでいる。このためには憲法改正が必要であり、それには2つのやり方がある。1つは議会の60%の賛成を得て国民投票に持ち込む方法。もう1つは、議会の3分の2の賛成を得て、国民投票なしで憲法改正を行う方法である。
エルドアンがいまだに実権を掌握する与党AKPは、トルコ議会550議席中317議席(57%)を占めており、憲法改正の最低条件である60%には13議席足りない。AKP以外の野党3党は全て、エルドアン1人に絶大な権力が集中することを危惧して、大統領制には反対の立場を表明している。この状況を鑑み、エルドアンはいきなりの大統領制導入ではなく、少しずつ大統領の権限を拡大していく作戦にシフトしており、そのためまずは大統領が特定の政党に所属することができるようにする法案を、6月中にも議会に提出するのではないかとの報道が出始めている。
またエルドアンは、テロ組織に認定されているクルディスタン労働者党(PKK)との関係を疑われるクルド系の人民民主党(HDP)に所属する議員や、自分の政策に反対する議員の不逮捕特権をはく奪する法案を議会に提出し、5月20日にこの法案が可決された。翌週の26日には、ターゲットとなったHDP議員らが、同法案の撤廃を求めて同国の憲法裁判所に訴えたが、仮にこの法案がこのまま認められれば、現議会の約4分の1の議員が訴追される可能性が出てくる。実際の逮捕までには複雑な法的手続きが必要となるため、彼らが議席を失うのは2017年になると言われているが、明らかにクルド系議員を標的にしたこのような制度が成立したことで、政治に失望したクルド人が暴力に訴える事件が増える可能性を示唆する人もいる。
4. 今後の展望
トルコの大統領は、憲法上ではいかなる政党にも所属せず全ての政党に平等でなければならないことになっているが、エルドアンはAKPの創設者であり、事実上AKPはエルドアンの政党である。エルドアンは、過去に中央銀行に圧力をかけ金融政策に介入する姿勢を見せており、市場はエルドアンの更なる権力掌握を否定的な材料と見ている。当時、エルドアンの中銀への介入に抵抗したババジャン元経済担当副首相やバシュチュ元中銀総裁らは次々にその職務を去り、エルドアンの権力強化にわずかな疑問を呈したダウトオールですらも今回辞任に追い込まれた。エルドアンに忠実なユルドゥルム新首相に加え、エネルギー天然資源大臣にはエルドアンの娘婿が入閣する等、現在の閣僚にはエルドアン支持者ばかりが並び、既にエルドアン個人への権力集中が加速度的に進んでいる。
EUとの交渉を成立させたダウトオールが更迭され、ダウトオールの下でEU担当大臣を務めた元外交官であるボズクル前大臣も新内閣から外された。今後のEU交渉はエルドアンが主導するとみられるため、ダウトオールの成立させた合意が存続するのか破棄されるのか、微妙な状態にある。しかし、EU側はこれ以上難民を受け入れられないし、トルコとしても金銭支援やビザなし渡航は魅力的な条件である。このような両者の状況を考えると、すぐに合意が破棄されることは無さそうであるが、今後の交渉の展開は不透明である。
トルコでは、過去1年の間に、首都アンカラを含め各所で大規模テロ事件が発生しており、治安状況も劇的に悪化している。2016年1月には、イスタンブールの観光名所であるブルーモスクの前で発生したテロ事件でドイツ人の団体観光客が犠牲となり、ドイツからの観光客が激減している。2015年11月には、ロシア軍機がトルコ領内に領空侵犯をしたとして、シリア国境沿いでトルコ軍がロシア軍機を撃墜し、乗っていたパイロット1人を殺害。その報復として、ロシアは2016年1月からトルコに対して様々な制裁を科しており、ロシアへの輸出が大幅に制限されロシアからの観光客も激減している。トルコを訪問する外国人観光客のトップ2であるドイツとロシアからの観光客が激減し、トルコの観光業界は苦戦している。欧米からは、メディアやジャーナリストの弾圧で厳しい批判を受けており、シリアを巡っては、交渉のカギを握る米露がアサド大統領を暫定的に存続させる方向に舵を切り、またトルコと敵対するクルド勢力を軍事的にも金銭的にも支援する等、各国とトルコとの関係に微妙な温度差が生じている。
2000年代初頭の10年間で目覚ましい経済発展を遂げ、1人当たりGDPも1万ドルを超え、新興市場の筆頭と目されたトルコ。1990年代の国内政治闘争からトルコ政治を安定化に導き、30年間で4万人が犠牲になったとされるクルド問題に終止符を打つべく、2013年にはクルドとの和平交渉を開始したエルドアン大統領。62歳になった今、更なる権力掌握に突き進むエルドアン大統領は、急激に不安定化するトルコの内政・外交上山積する問題をいかに解決していくのか。トルコ民主主義の成熟度とエルドアン大統領の真価が問われる。
以上
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