景気減速と米国発の貿易戦争が重石となる円相場

2019年06月11日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

概要

 令和の始まりとともにドル円レートは円高・ドル安に振れた。これは米国発の貿易戦争というリスクが強まったことに起因する。それとともに、2018年秋頃からの日米欧中などの景気減速傾向とそれを受けた米欧の金融引き締めの先送りなど、実体経済が為替相場に影響を及ぼしていることも重要だ。先行きについて、貿易戦争の拡大・継続や景気の先行き不透明感などを踏まえると、当面4月時点の1ドル=111円台に比べて円高傾向が続くとみられる。また、米国景気の堅調さとリスク回避の円高が共存する中で、クロス円の円高が進むなど、日本企業にとっての海外事業リスクもくすぶり続けており、引き続き為替相場の動向が注目される。

 

 

1. 世界経済の局面変化

 令和が始まった5月初め、図表①のように、ドル円レートは円高方向に振れた。直接的なきっかけは、貿易戦争へのさらなる懸念の高まりだった。5月5日にトランプ大統領が対中制裁関税(第3弾)の追加関税を10%から25%に引き上げると表明したことだった。その後、トランプ大統領は第4弾の制裁関税の検討も指示、それに対して、中国が6月1日から報復関税措置を導入している。

 

 また、5月30日に、トランプ大統領は不法移民政策を巡って、メキシコ製品に対する追加関税5%を6月10日から課すことを表明した。メキシコが十分な対策をとらなければ、段階的に25%まで引き上げるとしていた。このように、2つの貿易戦争が激化し、先行き不透明感が高まる中で、市場にはリスク回避ムードが広がった。

 

 その一方で、2018年秋以降の景気減速という経済ファンダメンタルズの変化と、それを受けた各国中央銀行の金融政策の姿勢の変化が、為替レートに影響を及ぼしている点も注目される。

 

 図表②のように、日米欧中の主要国・地域の経済成長率(実質GDP成長率)は、2019年第1四半期にかけて持ち直しの動きがみられた。しかし、内訳をみると、必ずしも楽観視できる内容ではないことがわかる。

 

 例えば、米国の経済成長率は前期比年率+3.1%と、2%程度とされる潜在成長率を上回った。しかし、民間在庫の押し上げ効果が0.6pt、輸入の減少が0.4ptほどあり、内需の弱さがうかがわれる内容だった。日本も前期比年率+2.1%と潜在成長率(1%程度)を上回った。これも民間在庫の増加が0.5pt、輸入の減少が3.4pt程度経済成長率を押し上げており、個人消費など内需の低調さが目立つ内容だった。また、中国にも似たような傾向がみられた。2019年第1四半期の経済成長率における純輸出(=輸出-輸入)寄与率は22.8ptと、2015年以降の平均(▲5.9pt)から大幅に上振れていた。これは、輸出が増加した効果というよりも、輸入が減少した効果が大きく、結果的に純輸出の寄与率が拡大したにすぎなかった。この輸入の減少も、個人消費や設備投資などの内需の弱さを示しており、見た目の成長ほど中身は評価できない。

 

 以上のように、各国とも、民間在庫の増加と輸入の減少が成長を押し上げていること、つまり、個人消費や設備投資などの内需を中心に実体経済が弱いことで共通している。このような経済環境が、投資家などにリスク回避姿勢を強めさせる一因になっている。

 

図表① 為替レート (出所:日本銀行・日本経済新聞社より住友商事グローバルリサーチ(SCGR)作成)

 

図表② 実質GDP成長率 (出所:BEA、Eurostat、内閣府、中国国家統計局よりSCGR作成)

 

 

2. 金融引き締めの一時停止

 次に、主要国・地域の金融政策の姿勢が修正されてきた点も注目される。はじめに動いたのは、景気減速懸念が強まっていた欧州のECB(欧州中央銀行)だった。2019年3月7日のECB理事会では、政策金利を少なくとも2019年末まで据え置くこと、新たな資金供給制度(TLTRO3)を9月から実施することが決められた。4月10日のECB理事会後、ドラギ総裁は、必要ならば検討していくと、マイナス金利の副作用の軽減について言及した。これは、3月末にドラギ総裁がマイナス金利の副作用に触れたことで、市場のマイナス金利見直し観測を高めてしまったことへの対応だった。これらの動きは、すぐにマイナス金利政策の変更を意味するものではないものの、金融緩和の長期化を市場に意識させるには十分だった。

 

 また、米国のFRBも金融引き締めの一時停止を発表した。3月20日のFOMCでは、事実上の2019年の利上げ見送り、9月末までの保有資産の縮小の停止が決定された。2018年12月のFOMCで年2回程度の利上げを想定していた時とは一変している。5月1日のFOMC後の会見では、パウエル議長が「金融政策を動かす強い必要性はない」と発言したこともあり、市場では、早期の利下げ観測が後退した。一方、5月のFOMCでは保有資産のポートフォリオについて議論しており、今後の金融緩和の出口政策が意識されつつあった。しかし、6月になると、パウエル議長の「適切に」対応するとの発言によって、貿易戦争の悪影響や今後の景気後退を懸念する市場の思惑と重なって、市場では利下げ観測が高まっている。

 

 米欧の金融政策が修正される中で、日本銀行も政策金利のフォワードガイダンスを強化した。4月25日の金融政策決定会合で「少なくとも2020年春頃まで」超低金利を続けることを決めた。それまでは、2018年9月の金融政策決定会合から記載された「2019年10月に予定されている消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ」という政策金利についての文言から、市場では、消費税率引き上げの影響を見極めるためには少なくとも半年は必要だろうとしていた。2019年4月の変更で具体的な期日を盛り込んだ上、黒田総裁が会見でそれ以降の金利据え置きを強調するなど、低金利が今後も続くことを市場に印象づけた。

 

 こうした日米欧の金融当局の変化を受けて、5月に入ってから、マレーシア、フィリピン、ニュージーランドなど、6月にはオーストラリアが利下げするなど、金融緩和の姿勢が強まりつつある。米欧の金融引き締めなどが一時停止することで、米欧への資金流出圧力も弱まるため、景気刺激策としての利下げを実施しやすくなっている。むしろ、景気刺激策を打ち出さなければならないほど、実体経済が弱くなっているともいえる。このように、世界経済の減速とそれに伴う金融政策の変化が、為替レートに影響を及ぼしつつある。

 

 

3. リスク回避の円高・ドル安か

 2018年のドル円レートは、底堅い米国景気を背景にしたドル高圧力とリスク回避の円高圧力が釣り合う中で、狭いレンジを推移してきた。2019年に入っても引き続き、比較的狭いレンジで推移している。景気減速懸念があるとはいえ、日欧などに比べて堅調な米国経済というドル高要因と、貿易戦争などによるリスク回避の円高要因が続いてきたためだろう。

 

図表③ ドル円レートの要因分解 (出所:財務省、総務省、日本銀行、BLS、FRBよりSCGR作成)

 

 

 その他には、2018年度の貿易収支が3年ぶりに赤字になるなど、日本の貿易黒字の縮小が意識されやすい環境もある。リスク回避を狙って投機筋などが膨らませた円売りポジションが解消されても、実需の円買いが出てこないため、円高に拍車がかかりにくくなっているようだ。こうした影響もあって、5月初旬のドル円レートは、円高に振れたものの、109円台で踏みとどまった。

 

 これまでのドル円レートの変化を振り返るために、図表③にように、ドル円レートの変化率(前年同期比)を要因分解してみた。2019年第1四半期の状況をみると、対外資産に関連するリスクプレミアム要因が円安圧力になっていた。このリスクプレミアムとは、外貨建ての対外資産を保有するため、それを円建て資産に変換するときの為替リスクの負担分といえる。日本は対外純資産を保有しているため、リスクプレミアムが存在している。

 

 しかし、ここではドル円レートの変化を対象にしているため、対外純資産の金額がプラスでも、変化でみるリスクプレミアム要因は円安要因になるケースがある。実際、経常黒字が続いているものの、前年同期に比べて黒字幅が縮小しており、相対的に円安圧力になりうる。それに加えて、直接投資も前年同期から増加しており、経常収支や直接投資などで測ったネットの対外資産の影響は円安圧力になっていた。また、FRBが保有資産の縮小を進めてきた半面、日銀は金融緩和を続けており、日米のマネタリーベース比を表すマネタリーベース要因は円安圧力だった。

 

 その一方で、世界的な景気減速や米中貿易戦争の激化などから、投資家のリスク回避の動きが強まり、その他要因として円高圧力になっていたと解釈できる。ただし、ここ1年にわたって明確な方向性は見えておらず、円高・円安圧力が拮抗する状況が続いてきた。

 

 また、図表④のように、ユーロドルレートの変化率(前年同期比)を同じように要因分解してみた。足もとでは、前年に比べてユーロ安・ドル高方向に振れている。これは、主にユーロ圏の経常黒字によるリスクプレミアム要因と、ユーロ圏の物価が米国の物価に比べて上昇率が低いことに起因する購買力平価要因から来るユーロ安圧力によるところが大きい。

 

 ユーロ圏では経常黒字が続いており、対外資産を海外に積み増す構造になっている。ただし、足もとでは1年前に比べて経常黒字などが縮小しており、ユーロ安圧力になっていた。この点は、日本と共通しており、世界景気の減速や貿易戦争のあおりを受けて、経常黒字が伸びにくくなっていることが背景にあると考えられる。また、エネルギー価格の伸び幅の縮小が、消費者物価の上昇ペースを鈍化させていることもある。ユーロ圏の物価上昇圧力が米国に比べて弱い結果、ユーロ安圧力になっている。

 

 これらの結果を踏まえて、先行きの為替レートについて考えてみる。景気が大きく崩れるなど、経済のファンダメンタルズに大きな変化がない上、引き続き貿易戦争などのリスク要因が続くと想定される。足もとでは、貿易戦争の悪影響が注目される一方で、金融政策はハト派的なスタンスを示している。このため、図表⑤のように、当面ドル円は1ドル=104~114円のレンジ(中心値109円)、ユーロドルは、1ユーロ=1.03~1.17ドルのレンジ(中心値1.10ドル)で推移するとみられる。

 

 このドル円水準については、日本銀行『短観』(2019年3月調査)によると、2019年度の想定為替レート(大企業・製造業)が108円87銭であるため、想定為替レート付近の動きが続く計算になる。また、QUICK月次調査<外為>の2019年5月調査によると、ドル円レートの3か月先の想定値は109円27銭、6か月先は109円30銭であり、当面109円台の動きが続くと市場は見ているようだ。また、同調査によると、ユーロドルについては3か月、6か月先について1ユーロ=1.12ドルという結果だった。

 

図表④ ユーロドルレートの要因分解 (出所:BEA、CFTC、ECB、FRB、OECDよりSCGR作成)

 

 

4. 先行きは下方リスクに傾く

 世界経済は引き続き成長しているものの、下方リスクの方が高まっている。実際、図表⑥のようにOECD景気先行指数をみると、中国にようやく底打ちの傾向が見えつつある一方で、日米欧には底入れの兆しが見えていない。このため、景気については引き続き先行き懸念が残るといえる。

 

 また、現在の下方リスクの一因になっている米国・メキシコ間の貿易戦争についても当面継続する可能性がある。米国とカナダ、メキシコは鉄鋼・アルミニウムの追加輸入関税を廃止して、USMCAの批准を加速させる姿勢を示した。しかし、5月30日に米国が不法移民対策を巡りメキシコに対して追加関税を課す意向を表明した。6月7日にはトランプ大統領がメキシコの対応策を理由に追加関税発動は無期限の延期としたものの、効果が出ない場合には再度協議することが合意事項に含まれるなど、先行き不透明感が残っている。

 

 米中貿易協議は必ずしも進捗しておらず、米国は制裁関税第3弾の税率を10%から25%に引き上げ、第4弾の制裁関税も検討している。仮に、米中貿易協議が妥結したとしても、次は米欧貿易協議、日米物品貿易協定(TAG)などが控えており、貿易を巡る不確実性はなかなか解消されない。

 

 こうした中で、図表⑦のように、オランダ経済政策分析局(CPB)によると、世界貿易量が前年割れになっていた。すでに、漠然とした懸念だけではなく、実際に輸出が減少するという実体面に悪影響が現れる段階になっている。貿易戦争が長引けば、企業は設備投資に慎重になるなど、さらなる景気下押し圧力につながる恐れがある。

 

 また、ユーロ圏では5月末の欧州議会選挙で既存の中道勢力が過半数割れとなり、今後の欧州経済・社会がこれまでの路線から緩やかに変化していく可能性がある。2019年秋には、EU大統領、欧州委員長、ECB総裁が交代する予定になっており、また10月末にはBrexitの期限を迎えることもあり、今秋にかけて政治的なリスクが再び高まる恐れもある。こうした中、政治が有効な対策をとれないとみなされれば、ユーロ安が一段と進むことも想定される。

 

 このような状況下では、リスク回避姿勢を緩める理由はあまりなく、4月の1ドル=111円台に比べて円高傾向が続くと想定される。また、米国景気の堅調さとリスク回避の円高が共存する中では、クロス円で円高が進むなど、日本企業にとっての海外事業リスクもくすぶり続けている。直接的な顧客との取引が米ドルであっても、その先の間接的な顧客が現地通貨を使用しているため、いずれかの段階で、円と現地通貨の交換(クロス円)での円高が日本企業の業績に悪影響を及ぼしかねない。

 

 また、これまでアジアを中心に増えてきた訪日外国人客の動向も注目される。LCCなどの利用拡大などが訪日外国人客増加の追い風になっていることは間違いないものの、アベノミクスが始まってからの円高修正が効いていることも確かだろう。そのため、クロス円での円高が進むことは、観光を通じて国内の非製造業に対する悪影響を及ぼしかねない。このように、これまでとは異なった経路から、円高の直接・間接的な悪影響が日本企業の業績に打撃を与えかねない点に、注意が必要だろう。

 

図表⑤ 為替レートの見通し (出所:資料③、④の出所を参照)

 

図表⑥ OECD景気先行指数(CLI) (出所:OECDよりSCGR作成)

 

図表⑦ 世界の貿易と輸出 (出所:CPBよりSCGR作成) (注)3か月移動平均値の前年同月比

以上

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