今秋に向けてリスクが山積するドル円相場

2019年08月28日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

(2019年8月22日時点)

概要

 8月に入ってから、ドル円相場は一段と円高・ドル安方向に進んだ。米中貿易戦争の激化と米国が中国を為替操作国に指定したことなどの影響が大きかった。それとともに、実体経済の減速感の強まりと、各国中央銀行の金融緩和への転換もあった。先行きについても、長期化する米中貿易戦争など世界的な景気減速への懸念材料が尽きず、円安・ドル高に転じにくいのだろう。また、注目されるのは、2019年秋に向けて国内外で種々のイベントが控えていることだ。それらがリスク要因になりうるため、円高・ドル安圧力が続くとみられる。

 

 

1. 世界経済の局面変化

 世界の中央銀行は、金融政策の舵を緩和的な方向に切りはじめた。欧州中央銀行(ECB)は7月25日の理事会で「長期間、強力な緩和姿勢が必要になる」と理事会声明に明記し、「対称的な」目標という表現で、消費者物価上昇率が2%を超えることを容認する姿勢を示した。

 

 景気拡大局面が11年目に突入した米国では、連邦準備理事会(FRB)が7月末に約10年半ぶりとなる0.25%ポイント(pt)の利下げを決定した(政策金利の誘導目標は年2.00~2.25%)。FRBは「予防的な」利下げという姿勢であるものの、市場には「予防では済まない」との見方がある。

 

 市場でFRBの利下げ観測が高まったことで、各国中央銀行による金融緩和が相次いだ。例えば、オーストラリア(7月2日0.25%ptの利下げ)、韓国(同18日0.25%ptの利下げ)、インドネシア(同18日0.25%ptの利下げ)、トルコ(同25日4.25%ptの利下げ)、ロシア(同26日0.25%ptの利下げ)など、FRBに先行した利下げが続いた。7月末にFRBが利下げを実施したことで、8月以降も利下げムードが世界に広がっている。

 

 米中貿易戦争の懸念が高まった5月初めに1ドル=110円台を割り込んだドル円相場は、図表①のように、8月にもう一段円高・ドル安方向に進んだ。きっかけは、8月1日にトランプ大統領が9月1日から対中制裁関税(第4弾)を発動すると表明するなど、米中貿易戦争の激化への更なる懸念の高まりだった。また、5日には米国が中国を為替操作国に指定し、その後も中国人民元が1ドル=7元台で推移するなど、米中の対立が強く意識されるようになった。

 

 以下では、こうした環境の変化の中でのドル円相場について考えてみる。

 

図表① 為替レート (出所:日本銀行・日本経済新聞社より住友商事グローバルリサーチ)

 

図表② 実質GDP成長率 (出所:BEA、Eurostat、内閣府、中国国家統計局よりSCGR作成)

 

 

2. 広がる景気後退懸念

 まず、2019年上半期の実体経済の動向を確認しておく。図表②のように、これらの国・地域の景気は、まだ後退していないものの、2018年秋以降広がった景気の先行きに対する懸念はさらに大きくなっている。

 

【米国】米国の実質GDP成長率は2019年第2四半期(以下、Q2と表記する)に前期比年率+2.1%と、Q1(+3.1%)から減速した。Q1には個人消費や設備投資など内需の弱さもあって、輸出以上に輸入が減速したことで、経済成長が押し上げられるという特殊要因が大きかった。Q2では個人消費が堅調だった一方で、企業設備投資は前期比マイナスに転じており、内需に強弱が混交する成長となった。

 

【日本】日本経済も減速した(Q1の前期比年率+2.8%→Q2の+1.8%)。減速といっても潜在成長率(1%程度)を上回る成長であり、見た目はそれほど悪くなかった。これは、海外経済の減速から輸出がQ1から横ばい圏で推移する一方で、企業設備投資や個人消費など内需が堅調だったためだ。ただし、個人消費については、令和の改元とゴールデンウィークの10連休という特殊要因の影響が大きかった。消費者マインドが低下し続ける現状を踏まえると、足元まで堅調でも先行きへの懸念は払しょくできていない。

 

【ユーロ圏】景気減速感が強かったのが、ユーロ圏だった。ユーロ圏の実質GDP成長率はQ1の前期比年率+1.8%からQ2には+0.8%になった。Q2の成長率は1%台半ばとみられている潜在成長率を下回った。この背景には、牽引役のドイツが前期比▲0.1%と、3四半期ぶりのマイナス成長に転じたこと、フランス(+0.2%)やイタリア(+0.0%)といったユーロ圏主要国の苦境があった。

 ドイツ連邦銀行の8月の『月報』では、製造業と輸出の苦境から足元にかけて経済成長が減速していると分析されている。また、先行きについては、低迷が終わる兆しが見えず、Q3も小幅減速、景気後退に陥る恐れがあると指摘されている。このようなドイツ経済の苦境が、ユーロ圏の先行きに影を落としている。

 

【中国】中国経済について、前期比から年率換算するとQ1の+5.7%からQ2の+6.6%に加速したものの、水準を表す前年同期比はQ1の+6.4%からQ2の+6.2%へと低下、1992年以来の低水準になった。Q2の成長率の寄与度をみると、Q1と同じように純輸出の寄与度が大きかった。この主因は輸入の減速であり、内需の弱さを反映している。中国国家統計局によると、7月の都市部調査失業率は5.3%と、再び上昇に転じており、雇用問題が依然としてくすぶっている。これが個人消費の弱含みにつながっているようだ。

 

 

 このように、足元は景気後退ではないものの、先行きへの懸念は強まっている。図表③のように、景気の先行きを占う経済協力開発機構(OECD)の景気先行指数には、中国景気が復調に転じるシグナルがともっている。その一方で、日本や米国、ユーロ圏には底打ちの兆しがみられないことも、先行き懸念という見方の裏付けになっている。

 

 こうした背景には、米中貿易戦争の影響がある。さらに、貿易戦争が短期的ではなく、中長期的なものであり、構造変化を引き起こしうるという見方が次第に広がっているようだ。図表④のように、世界の生産・貿易活動は2018年末ごろから減速している。米中間だけではなく、その他の国にも悪影響が波及しているため、生産の伸び率が輸出の伸び率を上回る「スロートレード」が2019年に復活している。

 

 2017年から2018年にかけてスロートレードから脱却した理由の一つとして、世界的な景気回復によって設備投資が増加し、資本財の動きが活発化したことがあった。今回のスロートレードの復活では、その波及が逆回転したと考えられる。つまり、米中貿易戦争などによって先行き不透明感が高まったことで、企業が設備投資に慎重な姿勢に転じた結果、資本財などを中心に貿易財の動きが鈍っているとみられる。

 

 このような先行き懸念が払拭できない中で、為替市場では、低リスク通貨が選好されるようになっており、円高圧力が高まっている。

 

 

図表③ OECD景気先行指数(CLI) (出所:OECDよりSCGR作成)

 

図表④ 世界の貿易と輸出 (出所:CPBよりSCGR作成) (注)3か月移動平均値の前年同月比

 

 

3. リスク回避の円高・ドル安

 ここでは、図表⑤のように、ドル円レート(前年同期比)を経済のファンダメンタルズ要因(購買力平価やマネタリーベース、実質金利差、リスクプレミアム)から捉えてみた。ここでのリスクプレミアムとは、外貨建ての対外資産を保有するため、それを円建て資産に変換するときの為替リスクの負担分であり、日本は対外純資産を保有しているため、リスクプレミアムが存在している。

 

 まず、経済のファンダメンタルズ要因に注目すると、FRBが2014年10月に量的緩和政策第3弾(QE3)を終了した一方で、日本銀行が緩和政策を継続している状況が、ドル円レートにとって「量(マネタリーベース)」が重要な要素になっている局面をもたらしている。足元にかけても、日本銀行は「長短金利操作付き量的・質的金融緩和(YCC)」を継続しており、それがドル円レートに対して円安・ドル高圧力をかけてきた。また、物価上昇率をみると、米国が日本を上回るものの、世界的に物価上昇率が鈍る中では、米国の減速感が目立ち、購買力平価という面では円安・ドル高圧力になっていた。

 

 こうした経済のファンダメンタルズ面からの円安・ドル高圧力がかかっていたにもかかわらず、足元にかけて円高・ドル安基調にあった理由は、ファンダメンタルズ以外の要因がより強くドル円レートに影響を及ぼしているためと考えられる。

 

 

図表⑤ ドル円レートの要因分解 (出所:財務省、総務省、日本銀行、BLS、FRBよりSCGR作成

 

 そこでファンダメンタルズ以外の要因に注目すると、まず、米中貿易戦争に加えて、日米貿易協議など貿易問題が挙げられる。米中貿易戦争は世界経済の減速を通じて、日本の輸出や第1次所得収支の受け取りを減少させて、経常黒字を縮小させる圧力になる。日米貿易協議も日本の対米貿易黒字を削減することが米国側の狙いであるため、今後経常黒字を縮小させる可能性がある。

 

 また、貿易協議の先行き不透明感から、世界経済の減速というリスクが投資家に認識されると、リスク回避姿勢が強まり、円高・ドル安圧力になる。日本の経常黒字が縮小するという実体経済のスピードに対して、金融市場のリスク回避の反応の方が速いため、円高・ドル売り圧力の方が強く表れると考えられる。

 

 さらに、FRBに対する利下げ観測の影響もある。FRBが利下げを実施すれば、日米の金利差は縮小するため、円高・ドル安圧力になる。年内数回のFRBの利下げが市場で織り込まれる一方で、日本銀行の緩和余地の乏しさから、ドル円相場が円高・ドル安方向に傾きやすい状況になっている。先行きについても、現在のような状況が続くならば、円高・ドル安圧力が当面続くと想定される。

 

図表⑥ ユーロドルレートの要因分解 (出所:BEA、CFTC、ECB、FRB、OECDよりSCGR作成)

 

 また、図表⑥のように、ユーロドルレートの変化率(前年同期比)を同じように要因分解してみた。

 

 経済のファンダメンタルズ要因では、足元のユーロ高・ドル安圧力になっているユーロ圏の経常黒字がみられる。しかし、それ以上に、ユーロ安・ドル高圧力が強いため、足元のユーロドル相場は前年に比べてユーロ安・ドル高方向に振れている。

 

 足元ではECBも資産買い入れプログラムを終了しており、マネタリーベースが拡大していく状況ではない。また、物価上昇率も米国と同じように鈍い状況であり、経済のファンダメンタルズがユーロドルに大きな影響を及ぼす状態にはなっていない。

 

 こうした中で、短期的に影響が大きくなっているのは、投機筋要因として示した投資家の動きである。堅調な米経済に対して脆弱性をはらむユーロ圏経済という構図の中で、ユーロ買い・ドル売りのポジションを修正するユーロ売り・ドル買いを進めている。

 

 これらの結果を踏まえて、先行きの為替レートについて考えてみる。図表⑦のように、当面ドル円は1ドル=101~111円のレンジ(中心値106円)、ユーロドルは、1ユーロ=1.05~1.15ドルのレンジ(中心値1.10ドル)で推移すると想定される。

 

 経済ファンダメンタルズ要因で決まる水準よりも、円高・ドル安方向に振れるだろう。景気減速感が漂う市場ではリスク回避姿勢が強まることで、円売り・ドル買いの調整の中で円が買われやすいためだ。また、世界的な金融緩和が進む一方で、日本の金融緩和の余地は乏しいこともあり、円高・ドル安傾向が継続するとみられる。ただし、日本の輸出の減速から貿易赤字になりやすく、実需が弱いため、過度な円高も進みにくいようだ。

 

 日本銀行『短観』(2019年6月調査)によると、2019年度の想定為替レート(大企業・製造業)は109円35銭だった。これは、決算の想定為替レートが反映されやすい傾向があるとされ、次回調査では円高・ドル安方向に修正されるだろう。

 

 実際、月次で調査されている『QUICK月次調査<外為>』(2019年8月調査)によると、ドル円レートの3か月先、6か月先の想定値はそれぞれ106円36銭、106円52銭であり、市場の見方は円高・ドル安方向に修正されている。また、同調査によると、ユーロドルについての3か月先、6か月先の見通しはそれぞれ1ユーロ=1.11ドル、1.12ドルと、ドル円に比べると、ユーロドルの動きは比較的緩やかと想定されている。

 

図表⑦ 為替レートの見通し (出所:図表⑤、⑥の出所を参照)

 

 

4. 今秋に控えるリスク

 リーマンショック後に金融緩和慣れしてしまった世界において、金融緩和からの脱却とともに、2018年からの米中貿易戦争が世界経済の下押し要因として注目されている。それらに加えて、2019年秋に向けて様々なイベントがリスク要因として控えていることを考慮しておくことが重要だ。

 

 まず、日本では消費税率が8%から10%に引き上げられる予定である。軽減税率が導入される上、各種の経済政策もあるため、駆け込み需要と反動減の影響は、比較的小さいとみられている。しかし、日用品などに対する駆け込み需要とその反動減が発生するだろう。問題は、各種の経済対策があってもその施策の対象外になる世帯があり、賃金上昇率が鈍い中では、負担増によって失った購買力の回復に時間がかかることだ。

 

 また、米国では、2020年11月の大統領選の1年前となり、選挙運動が本格化する。トランプ大統領は、自身の再選が厳しい状況になれば、外交面で対中制裁などを強める可能性がある。上下両院のねじれ議会の中で、大統領権限で実施しやすい追加関税が、引き続き先行き不透明感をもたらす要因になりうる。

 

 欧州では、10月末にECB総裁、欧州委員会委員長が任期を満了、11月末にはEU大統領が任期を終える。交代時に何かしらの問題が生じたときに、円滑な対応がとれるかどうかはひとつのリスクになる。

 

 問題になりうるものとして、10月末に控える英国のEU離脱が挙げられる。仮に、再度離脱延長となっても、問題の先送りに過ぎない。また、スペインでは4月28日の総選挙後のサンチェス首相の信任投票が7月23日と25日に否決されており、9月23日までに新首相が選出されない場合は、11月10日に再選挙となる見込み。2018年まで盤石だと思われていたドイツ政治情勢も不安定化しつつある。10月には大連立を組む社会民主党(SPD)の党首選が控えている。

 

 これらの加えて、中国は10月1日に建国70周年を迎える。中国は、米中貿易戦争や国内景気・雇用問題、香港のデモなど難題を抱えている。

 

 このように、経済成長が鈍化している中で、2019年秋には様々なイベントが控えており、それらが円高・ドル安傾向に拍車をかける可能性があることを考慮しておくことが重要だ。

 

以上

 

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