設備投資を抑制させる不確実性

2019年12月09日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
鈴木 将之

概要

 米中貿易戦争や世界経済の減速、環境規制の行方など不確実性が高まる中で、企業が設備投資に慎重になっている。不確実性によって、設備投資の期待収益の見通しが立たないためだ。こうした状況では、金融緩和政策によって、資本コストを引き下げることができても、効果は限定的になりやすい。一方で、次の事業機会を獲得・確保するためには、それに応じた設備投資を行わなければならないことも事実だ。企業にとって、設備投資の意思決定がますます難しい状況になっている。

 

 

1. 設備投資の変調

 米中貿易戦争が続くなか、世界経済の成長が鈍化しつつある。国際通貨基金(IMF)の『世界経済見通し』(2019年10月)では、2019年の世界経済成長率見通しの下方修正が続いており、先行きについては下方リスクの方が大きいと分析されている。米中貿易戦争のあおりを受けて、輸出が伸び悩み、それに伴って生産が低迷している。『世界経済見通し』のサブタイトルが、「Global Manufacturing Downturn, Rising Trade Barriers」となっていることからも、現在の状況が把握できる。

 

 その一方で、企業の設備投資が勢いを失っていることも注目される。実際、図表①のように、日本や米国、ユーロ圏、中国の設備投資関連指標をみると、設備投資は足元にかけて減速している。米国では2018年末ごろにすでに設備投資はピークアウトしており、ユーロ圏の資本財の動きは足踏み状態になっている。また、中国では固定資産投資の増加トレンドが続いているとはいえ、その伸び率は縮小傾向にある。

 

 日本の設備投資も例外なく、鈍りつつある。振れが大きいものの、2019年の資本財出荷の水準は2018年に比べて低下しているようだ。これまで堅調だった設備投資計画にも変化がみられる。図表②のように、日本企業の設備投資計画は6月時点まで過去5年の平均値並みで推移してきたが、9月になると、状況がやや変わった。例年ならば、年末にかけて伸び率を拡大させる傾向がある設備投資計画が、2019年9月ではほぼ横ばいとなり伸び率の拡大が見られない。

 

図表① 主要国・地域の設備投資関連指標(出所:Eurostat、St.Louis Fed、経済産業省、中国国家統計局より住友商事グローバルリサーチ(SCGR)作成)

図表② 日本の設備投資計画(全産業)(出所:日本銀行よりSCGR作成)

 

 設備投資計画に変化がみられる一方で、日本企業は、研究開発投資などを含む設備投資をこれまでのところ増やしてきた。図表③は、設備投資とその蓄積である資本ストックの関係を示した資本ストック循環図だ。これは、時計回りの軌跡を描いており、不況期には右下、好況期には左上に位置している。2000年代以降では、2002年Q3、2009年Q4が円の右下に位置しており、設備投資からみた景気の底を表している。

 

 2016年にかけて循環の円上で右上から右下に向かう動き、すなわち設備投資からみた景気が好調な状況から不調な状況に変化する兆しがあった。しかし、2016年Q4頃になると、その動きが反転し、再び設備投資からみた景気が回復傾向にあった。足元(2019年Q3)にかけて、企業が設備投資の増加幅を縮小させつつあり、再び2016年と同じような動き(循環の円上で右上から右下に向かう動き)がみられるようになっている。

 

 2016年末から足元にかけて国内の設備投資が増加した背景には、景気回復による労働需要の増加と団塊の世代が労働市場から退出しはじめた労働供給の減少とからもたらされる需給の逼迫があった。その人手不足によって、省力化投資を進めなければならないという事情があった。

 

 もう1つの要因として、収益性の改善もあった。図表④のように、景気回復を背景に企業業績が改善していた。また、コーポレートガバナンス改革によって、収益性をこれまで以上に意識せざるを得ない事業環境に変わったこともある。

 

 いずれにせよ収益性が見込めるのであれば、企業の設備投資は後押しされることになる。しかし、2018年半ば以降のように、世界経済成長率見通しが何度も下方修正された上、先行きの下振れリスクが高まれば、期待収益率が低下し、企業は設備投資に積極的になれなくなってしまう。このように、足元にかけての期待収益率の低下が設備投資を抑制させる大きな要因になっている。

 

図表③ 資本ストック循環図(出所:内閣府よりSCGR作成)

図表④ 日本企業の売上高経常利益率(出所:経済産業省、財務省よりSCGR作成)

 

 

2. 金融緩和と不確実性

 金融緩和による設備投資の促進を通じて景気が回復するシナリオとしては、次のように整理される。利下げを実施することで、設備投資に関連する中長期的な金利が押し下げられる。また、金融緩和が実行されることで、将来的に景気が回復するという見通しが高まれば、マクロ経済全体の将来的な需給関係の逼迫が予想されて、期待インフレ率も高まる。それによって、実質金利(=名目金利―期待インフレ率)が低下することになる。したがって、名目金利が下がる効果に、期待インフレ率の上昇が重なって金利押し下げ効果が高まり、資本コストが低下するため、企業に設備投資を促しやすくなる。

 

 しかし、金利の引き下げが資本コストを低下させることは事実であるものの、その効果は場合によって異なる。図表⑤のように、日本では、日本銀行によるこれまでの金融緩和によって金利(長期金利)は低水準を維持している。実際の物価(消費者物価指数)で調整した実質金利はマイナス圏になっている。リーマンショック以降の金融緩和によって、金利は歴史的な低水準にまで低下しており、コスト押し下げ効果はかなり限定的になっている。例えば、長期金利が6%から1%に低下した場合の効果は大きい一方、0.2%から0.1%へと低下した場合の効果は小さいためだ。

 

 これを踏まえると、現状では、金利以外の要因、つまり、収益性が重要になっている。まず、前述のように、世界経済の先行きの減速感から収益性の見通しは低下している。

 

 それに加えて、2019年にかけて、不確実性が設備投資の重石になっていると考えられる。不確実性を数値で捉えることは難しいものの、図表⑥のような政策不確実性指数が用いられることが多くなっている。そこで、この政策不確実性指数をみると、足元にかけて再び上昇しており、先行きの不確実性を意識しやすい状況になりつつある。

 

図表⑤ 日本の長期金利(出所:総務省、内閣府よりSCGR作成)

図表⑥ 日本の政策不確実性指数(出所:"Policy Uncertainty in Japan" by E. C. Arbatli, S. J. Davis, A. Ito, N.Miake, and I. Saito(RIETI)よりSCGR作成)

 

 不確実性によって、期待収益の見通しが立ちにくい。例えば、設備投資の収益性を考えるときには、将来見通しに基づく必要がある。それは期待値、すなわち、ある一定の確率分布を想定することになる。確率分布がわかるということはリスクが測定可能ということであり、それに応じたリターンを確保できれば、投資計画は実行される。しかし、不確実性の場合は、その確率自体が明示的に分からないため、期待収益率が計算できず、採算にあう投資なのかも判断しがたい。このような状況であれば、一旦様子見という選択肢が企業にとって最適な判断の候補になる。

 

 収益性や不確実性が日本の設備投資にどのような影響を及ぼしてきたのかを確認するために、図表⑦のように、設備投資関数で推計してみた。

 

 その結果によると、不確実性要因による設備投資への影響から、不確実性の高まりが設備投資を抑制させてきたことがわかる。例えば、1990年代や2000年代には、不確実性が高まったことで、設備投資が抑制されていた。反対に2010年代になると、アベノミクスや戦後最長の景気拡大局面に日本経済が入ったこともあり、不確実性が軽減し、設備投資を押し上げる方向に影響していた。しかし、2016年になると、再び状況が変わった。英国のEU離脱国民投票やトランプ大統領の当選と、市場が予想していなかったまさかの事態が次々と発生したことで不確実性が高まり、設備投資を押し下げた。

 

 それ以降の展開について類推すると、米国が鉄鋼・アルミニウム関税を引き上げたことから始まり、米中貿易戦争の激化など、先行きが読めないことが多くなった。また、ESG投資が進展する中、環境規制の動向が定まっていないこともある。こうした不確実性の高まりは、設備投資を抑制する方向に働いていると考えられる。

 

図表⑦ 日本の設備投資・資本ストック比の要因分解(出所:内閣府、"Policy Uncertainty in Japan" by E. C. Arbatli, S. J. Davis, A. Ito, N. Miake, and I. SaitoよりSCGR作成)

 

(出所:内閣府、"Policy Uncertainty in Japan" by E. C. Arbatli, S. J. Davis, A. Ito, N. Miake, and I. SaitoよりSCGR作成)

(注)設備投資関数は、設備投資・前年度末の資本ストック比を非説明変数、収益性要因(限界のq)、土地要因(前年度末の土地・資本ストック比)、貯蓄要因(企業貯得・前年度の名目資本ストック比)、不確実性要因(日本の政策不確実性指数)を説明変数とした。Kalman filterによって推計したSmoothed parametersを用いて要因分解したもの。限界のq、設備投資関数の定式化について小川・得津(2002)を参考にした。ただし、減価償却率はデータから逆算したものである。Kalman filterはRのdlm packageを用いた。これについては、Petris, G.,(2000), "An R Package for Dynamic Linear Models," Journal of Statistical Software, Vol.36, Issue 12, pp.1-16を参照。

 

3. 先行きも厳しさが残る設備投資

 以上のように、企業が設備投資に対して慎重な姿勢に傾く背景には、不確実性の高まりがある。世界経済の見通しが下方修正され、設備投資の収益性が低下している上に、米中貿易戦争という不確実性が高まっている。ESG投資の拡大に加えて、環境規制などの議論も流動的だ。投資資金を回収するまで一定の時間が必要なため、環境規制の変更によって当初の想定が外れれば、投資資金を回収できない恐れもある。収益性の見込みが立ちにくい状況では、設備投資は抑制される傾向にあると考えられる。金融緩和政策は、資本コストの低下を通じて設備投資の後押しになる効果はあるものの、それはかなり限定的だろう。

 

 不確実性をもたらす原因である米中貿易戦争が終わらなければ、企業は設備投資に対して積極的な姿勢に転じ難い。仮に、覇権争いの様相を帯びる米中貿易交渉が終わっても、それ以外の貿易交渉も控えている。その他にも、中国から他国へ生産移管が進み、その国に対する米国の貿易収支が悪化すれば、今度はその国との貿易戦争に発展する恐れも想定される。そのような状況になれば、企業はこれまで投資して構築してきたサプライチェーンの組み換え、調達先の変更などを迫られうる。つまり、設備投資が収益押し下げ要因になる恐れが払しょくできない。

 

 その一方で、各国で失業率が低下しており、人手不足が意識されやすい環境にある。設備投資を控えているから、生産水準を労働力の投入によって維持している側面がある。しかしながら、省力化投資の必要性が低下するわけではない。また、デジタル経済への移行が意識される中では、次の事業機会を獲得・確保するためには、それに応じた設備投資を行わなければ市場での競争に負けてしまうという危機感もある。このように、企業にとって、設備投資の意思決定がますます難しい状況になっている。

 

<参考文献>

石崎寛憲・川本卓司(2006)「近年の製造業の設備投資増加について」日銀レビュー2006-J-17.

小川一夫・得津一郎(2002)『日本経済:実証分析のすすめ』有斐閣.

        以上

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