マレーシアの政治経済情勢:アンワル新政権の発足

2022年12月23日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也

2022年12月20日執筆

 

概要

  • マレーシアでは、11月19日に総選挙(連邦議会の下院選)が行われ、アンワル・イブラヒム元副首相が率いる希望連盟(PH)が最多議席を獲得したが、過半数を獲ることができなかった。PHは第3位の政党連合である国民戦線(BN)およびサラワク州とサバ州の政党連合と連携し、24日、アンワル氏が首相に就任した。
  • アンワル政権は、5つの政党勢力の連立政権であり、下院の3分の2の議席の支持を得ているとみられる。しかし、主要な連立パートナーであるBNとの連携が崩れると、一気に不安定化するリスクを抱える。まずは2024年初頭に予定されている統一マレー国民組織(UMNO)の総裁選とPHがサバ州とサラワク州の政党勢力と強固な関係を築くことができるかが注目される。アンワル政権は多民族の包括性を重視した政策を追求するとみられるが、BNが連立に加わったことで、改革には困難が伴うと予想される。
  • マレーシア経済は堅調な回復を続けており、2022年は+7%を超える成長が見込まれる。インフレは他の地域と比べると比較的安定しているが、世界経済(特に中国と欧州)の減速による外需の後退、金融引き締めにより、2023年以降の成長は緩やかに鈍化すると予想される。

 

1. 総選挙

 11月19日、マレーシアで第15回総選挙(連邦議会の下院選、定数222)が行われた。2018年に行われた第14回の総選挙では、野党連合の希望連盟(PH)が与党連合の国民戦線(BN)を破って勝利し、マレーシア統一プリブミ党(PPBM)のマハティール・モハメド会長(元首相)が首相に就任した。しかし連立与党内での対立が激化し、2020年2月、マハティール首相が辞任すると、PPBMのムヒディン・ヤシン総裁が新たな政党連合である国民同盟(PN)を結成し、首相に就任した。2021年8月、ムヒディン首相は下院で過半数の支持を失ったとして辞任し、統一マレー国民組織(UMNO)のイスマイルサブリ・ヤーコブ副総裁が首相に就任した。2022年10月、UMNOの主導により連邦議会が解散され、今般の総選挙に至った。

 選挙戦は、BN、PN、PHの3つの主要な政党連合の三つ巴の争いになり、PHが1位、PNが2位、BNが3位となったが、1位のPH(82議席)も過半数(112)を獲ることはできなかった(ハング・パーラメントはマレーシア史上初めて)(表1参照)。

表1 第15回マレーシア総選挙の結果(出所:マレーシア選挙管理委員会、各種報道をもとに住友商事グローバルリサーチ作成)

 選挙前の予想では、経済の回復を背景に、政権与党であるBN(その中核政党であるUMNO)が優勢とみられていたが(だからこそイスマイルサブリ政権は解散を決断したが)、BNもUMNOも過去最低の議席数となる惨敗に終わった。【*1】その敗因は、ザヒド・ハミディ総裁の汚職疑惑、UMNO内での対立による選挙活動の停滞、洪水のシーズンに選挙を行ったことへの有権者の反発、マレー系民族票のPNへの分散、投票率の高さにあったと考えられる。一方、PNは大幅に議席を増やした。BNに代替するマレー系イスラム民族政党連合としてのアピールが成功したとみられ、特に主導政党であるPPBM以上にイスラム保守主義政党である全マレーシア・イスラム党(PAS)が大幅に議席を増やし、単独政党として最多議席を得るという躍進を遂げた。【*2】PHも議席を増やしたが、PNほどの議席増ではなかった。【*3】マハティール元首相が率いる祖国戦士党(ペジュアン)と政党連合・祖国運動(GTA)はゼロ議席に終わり、同元首相とその息子のムクリズ・マハティール元クダ州首相も落選し、同元首相は選挙後に政界引退を表明した。

 

2. アンワル新政権

 総選挙後の11月24日、国王はアンワル人民正義党(PKR)総裁を首相に任命すると発表し、同元副首相が王宮で就任宣誓を行った。当初、国王はアンワル氏とムヒディンPPBM総裁と会談し、PHとPNの統一内閣を提案したが、ムヒディン氏はこれを拒否。その後、アンワル氏はザヒドUMNO総裁の協力を得て、BN、サラワク政党連合(GPS)、サバ人民連合(GRS)、サバ伝統党(WARISAN)の支持をとりつけることに成功したとみられる。これら5つの政党連合の議席を合計すると下院の議席数の3分の2(144)に達する(アンワル氏は148議席の支持を得たと主張しているが、いずれの政党連合にも所属しない議員4人の支持も得られることを想定しているとみられる)。【*4】

 12月3日、アンワル政権の閣僚名簿が発表され、王宮で閣僚の就任宣誓式が行われた(表2参照)。

表2 アンワル政権の閣僚(出所:マレーシア首相府、各種報道をもとに住友商事グローバルリサーチ作成)

 閣僚ポストは首相含め28人で、イスマイルサブリ前政権の32人から縮小された。上級相4人はなくなり、副首相2人が置かれた。一部の省庁は名称と管轄範囲が変更された。PHから15人(PKR8人、民主行動党(DAP)4人、国民信任党(AMANAH)2人、キナバル進歩統一組織(UPKO)1人)、BN(UMNO)6人、GPS5人、GRSと無所属が各1人だった。

 アンワル首相は財務相を兼任する。かつてナジブ首相(2009~2018年)も財務相を兼任していた。権力の集中を指摘する声もあるが、かつてアンワル氏はマハティール政権において財務相を務め(1991~1998年)、経験が豊富であること、BNとは財政政策の路線が異なる可能性があることから(後述)、政権運営の要となる財務省を自ら率いることを決めたとみられる。

 副首相の1人にはザヒドUMNO総裁が就任した。汚職疑惑があり、今後有罪判決を言い渡される可能性のあるザヒド氏を要職に任命したことは、国民からの失望を招く恐れがあるが、BNとの連立を実現する上で必要な取引だったとみられる。2024年1月にはUMNO総裁選が予定されている。ザヒド氏は汚職疑惑に加え、解散総選挙を仕掛け、BNの惨敗を招いたことから、党内での反発が高まっているとみられるが、一方、連立政権入りを実現させたことは求心力を維持する上で追い風になる。ザヒド氏が再選される可能性が高いとみられるが、もしザヒド氏に対抗するグループの党員(ヒシャムディン・フセイン元国防相など)が当選すれば、PHとの連携が崩れ(たとえば一部の議員が離党し、PNとの連携を追求することが考えられる)、政権が一気に不安定化する可能性がある。

 副首相のもう1人にはイスマイルサブリ前政権で公共事業相だったGPSのファディラ・ユソフ氏が就任した。首相府相(サバ・サラワク担当)には前政権と同様GRSから選ばれた。アンワル政権が安定的な政権運営を実現するためにはサバ州とサラワク州の政党勢力の支持を確保することが不可欠であり(仮にBNが連立政権を離脱しても、GPS、GRS、WARISANが連立にとどまれば過半数を維持できる)、これら2州の影響力の高まりが予想される。

 国際貿易産業相に就任したザフルル・テンク・アブドゥル・アジズ氏は前政権で財務相、公共事業相に就任したアレクサンダー・ナンタ・リンギ氏は前政権で国内取引・消費相、運輸相に就任したアンソニー・ローク氏はマハティール政権(2018~2020年)で運輸相を務めており、経験と能力を重視した人選と評価されている。要職である教育相や青年スポーツ相に女性が就任したことも注目されている。首相府相(経済担当)に就任したラフィジ・ラムリPKR副総裁はアンワル氏の有力な後継者候補である。

 PHはかねてから多民族の融和を掲げており、アンワル政権はマレー系民族主義を強調せず、社会的な包括性を重視する政策を追求するとみられる。一方、BNが連立に加わったことで、マレー系民族のためのアファーマティブ・アクションの修正や政府系企業の役割縮小には困難が伴うと予想される。財政については、BNが主導する政権が発足すれば、ナジブ政権で導入され、マハティール政権で廃止された物品サービス税(GST)が復活する可能性があるとみられていたが、アンワル政権においては、BNは連立に加わったものの、PHが主導する政権であり、前述のとおりアンワル首相自身が財務相を兼任したこともあり、その可能性はなくなったとみられる。外交面は未知数の点が多いが、アンワル氏は米国と中東との関係が深く、中国とも良好な関係を追求することを強調しており、これらの国々との関係を重視するとみられる。

 

3. 経済の状況

 2021年の実質GDP成長率は前年比+3.1%となり、マイナス成長だった2020年(同▲5.6%)からプラスに転じた。2022年に入ってからも経済の回復は続き、第1四半期は前年同期比+5%、第2四半期は同+8.9%、第3四半期は同+14.2%と加速を続けた(ベース効果もあるが、前期比でもプラスが続いている)。新型コロナウイルスの感染拡大が抑えられ(足元では1日当たり新規感染者数は3,500人程度)、経済活動の再開により内需が拡大を続けたことに加え、ロシアのウクライナ侵攻に伴う一次産品の世界的な需要の高まりから石油ガスやパーム油の輸出が大きく伸び、半導体の輸出も堅調だった。入国規制の緩和により外国人観光客も増加し、サービス輸出も拡大した(図1参照)。

 一方、観光収入の増加は続くが、世界経済(特に中国と欧州)の減速による外需の後退とインフレ、金融引き締めが減速要因となり、今後の成長は緩やかに鈍化すると予想される。アジア開発銀行(ADB)は12月14日に発表した「アジア経済見通し」で、2022年の実質GDP成長率は+7.3%、2023年は+4.3%との予測を示した。

図1 マレーシアの実質GDP成長率と1人当たりGDPの推移(出所:Bloombergをもとに住友商事グローバルリサーチ作成)

 消費者物価指数(CPI)上昇率は2022年初めから緩やかに上昇し、8月に前年同月比+4.7%に達したが、9月以降は鈍化した。中銀は第3四半期でピークアウトし、2022年通年は+3.3%になるとの見通しを示している。政府の物価抑制策もあり、他の地域と比べればインフレは安定しているが、政策金利を2.75%まで引き上げ(2022年5月から11月にかけて4会合連続で計1%の利上げ)、今後も追加利上げの可能性がある。インフレと金融引き締めは消費と企業活動にとって重石となり、成長を緩やかに鈍化させると予想される(図2参照)。通貨リンギットは先進国の金融引き締めを受け、2022年初めから対ドルレートで下落を続け、インフレの要因にもなったが、10月以降は米国の長期金利低下を受け、増価傾向に転じた(図3参照)。

図2 マレーシアの物価と政策金利の推移 図3 マレーシア・リンギットの推移(出所:Bloombergより住友商事グローバルリサーチ作成)

 2021年度の財政赤字のGDP比は、税収減や原油価格の下落、コロナ対策等により、2020年度(6.2%)からさらに拡大し、6.5%に達した。2022年度予算案(補正後)は5.8%の見込み。2023年度予算案は5.5%とされた。【*5】税収増のためにはマハティール前政権が廃止したGSTの再導入が望まれるが、上記2.のとおり、アンワル政権下で実現する可能性は低い。石油関連収入への依存からの脱却は引き続き課題である。

 コロナ対策費の拡大に対応するため、2021年に政府は政府債務残高のGDP比の上限を2022年末まで60%から65%に引き上げる時限措置を導入した。2021年9月末時点で63.3%に上り、今後も同様の水準が続くとみられ、時限措置の期限を延長せざるをえないと予想される。

 2021年の経常収支は141億ドル(GDP比3.8%)の黒字となった。2022年に入ると、輸出は増加基調を維持しているが、輸入も増加し、貿易黒字幅は減少。観光収入の増加によりサービス収支の赤字幅は縮小したが、第一次所得収支の赤字幅は拡大した。このため2021年と比べると経常黒字幅は縮小傾向にある。外貨準備高は2022年11月30日時点で1,097億ドル(輸入の5.3か月分、短期対外債務の1.0倍)。2021年の対内直接投資の認可額は2,086億リンギット(前年比+224.9%)と過去最高を記録した。

以上

 


 

[*1] UMNOの次世代のリーダーとして高い期待を寄せられるカイリー・ジャマルディン保健相(選挙時点では現職閣僚)が落選するという「波乱」もあった。

[*2] PPBMのアズミン・アリ副総裁(選挙時点では貿易産業相)が落選するという「波乱」もあった。長年にわたりPKRの中核的存在としてアンワル総裁に仕えながら、マハティール首相(当時)の辞任後、ムヒディン内相(当時)とともに同首相とアンワル氏を裏切ってPH政権を瓦解させ、PKRからPPBMに移り、ムヒディン政権とイスマイルサブリ政権の閣僚におさまるという変節が有権者を失望させたとみられる。

[*3] アンワル首相の娘であり、PKRの次世代のリーダーとして高い期待を寄せられるヌルル・イザー副総裁が落選するという「波乱」もあった。

[*4] 12月19日、特別国会が開催され、アンワル首相の信任投票が行われ、賛成多数で可決された。もっとも採決は投票ではなく発声方式で実施されたため、何名の議員の支持を受けたかは明らかになっていない。

[*5] 2023年度予算案はイスマイルサブリ前政権下で10月に下院に提出されが、直後に下院が解散された。このため、アンワル政権が修正した予算案を2024年2~3月頃にあらためて提出する予定。

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