ベトナムの政治経済情勢:フック国家主席の辞任

2023年02月07日

住友商事グローバルリサーチ 国際部
石井 順也

2023年2月3日執筆

 

概要

  • ベトナムでは、2023年1月、グエン・スアン・フック国家主席が突然辞任し、ファム・ビン・ミン筆頭副首相とブー・ドゥク・ダム副首相も解任された。新型コロナウイルス対策に関する汚職事件が相次いだことで管理責任を問われたとされているが、権力闘争の一環との見方もある。行政の効率性が低下する可能性があるが、ファム・ミン・チン首相率いる政府の経済開発路線に変更はなく、一時的な影響にとどまると予想される。
  • ベトナムは中国との間では、南シナ海の領有権問題をめぐって対立しながら、党レベルの交流と経済面では引き続き緊密な関係にある。米国とは、中国への対抗も念頭に、政治経済両面で関係強化を続け、2022年5月にはインド太平洋経済枠組み(IPEF)に発足時から参加した。ロシアとは、ウクライナ侵攻後も良好な関係を維持している。
  • ベトナムの2022年の実質GDP成長率は、消費と輸出が大きく増加したことで、前年比+8.02%に上った。政府目標(+7.5~8.0%)を上回り、2000年代以降では最も高い成長率となった。もっとも1~9月期に前年同期比+8.83%に上った後、輸出の減少が影響し、10~12月期には同+5.92%に減速している。消費者物価上昇率は2022年3月から上昇し、10月以降は政府目標(前年比+4.0%)を上回っており、欧米と比べるとなお低い水準にとどまるが、中銀の金融引き締めもあり、今後、消費と投資の下押し圧力になる可能性がある。2023年の実質GDP成長率の政府目標は前年比+7.5~8.0%、世銀の見通しは同+6.5%である。

 

1. 政治:フック国家主席の辞任、2人の副首相の解任

 ベトナムでは、2022年12月30日、ベトナム共産党の臨時の中央委員会総会において、ファム・ビン・ミン筆頭副首相とブー・ドゥク・ダム副首相がそれぞれ党政治局委員と党中央委員を解任された。2023年1月6日、臨時国会において、両氏は副首相も解任された。ミン氏は新型コロナウイルス感染拡大時に在外ベトナム人を対象にした帰国便の手配、ダム氏はコロナ検査キットの政府入札に関する汚職事件に多数の政府高官らが関わった問題で監督責任を問われたとみられる(いずれも自身の汚職容疑は追及されていない)。【*1】両氏の解任を受け、チャン・ホン・ハー天然資源・環境相とハイフォン市共産党委員会のチャン・リュー・クアン書記が新たに副首相に任命された。【*2】

 さらに2023年1月18日、フック国家主席が突然辞任した。2016~2021年の首相在任中に上記2人の副首相を含む数多くの役職者による法令違反や不手際等が生じたことについて責任をとるためと説明している。新国家主席は次期国会で選出される予定であり(トー・ラム公安相、ボー・バン・トゥオン政治局委員らが有力候補とみられている)、それまではボー・ティ・アイン・スアン国家副主席が暫定的に代行する。

 国家主席の辞任と副首相2人の同時解任(政治局委員の解任を含む)は極めて異例である。グエン・フー・チョン書記長が主導する汚職撲滅キャンペーンの先鋭化と考えられるが、2026年に予定されている共産党大会を見据えた権力闘争の一環との見方もある。チョン総書記は78歳と高齢で、健康問題も抱えており、4期目に入る可能性は極めて低く、早期退任もあり得るが、それゆえに自身が信頼できる後継者を早期に決めておきたい思惑があるとの見立てである。【*3】

 党・政府指導部の突然の交代が政策に与える影響が注目されるが、国家主席は基本的に儀礼的な役職であり、経済政策に関与しないので、経済に直接的な影響が及ぶことはないと考えられる。ミン、ダム両前副首相はいずれも経験豊富な実務家であり、その退任は行政の効率性をある程度低下させる可能性があるが、ファム・ミン・チン首相率いる政府の外資の導入やインフラ整備を中心とする経済開発路線に変わりはなく、その影響は一時的にとどまると予想される。

 

2. 外交:中国との複雑な関係、米国との関係強化、ロシアとの関係維持

(1)中国

 ベトナムと中国は南シナ海の南沙諸島・西沙諸島の領有権をめぐり対立している。2020年4月、西沙諸島付近で中国公船の体当たりでベトナム漁船が沈没した。同月、中国が海南省三沙市に西沙区と南沙区を設置したが、ベトナムはこれを主権の侵害と主張して抗議した。2021年5月、中国は南シナ海での漁獲を3か月間禁止すると発表したが、その中にはベトナムが領有権を主張する海域も含まれていたため、ベトナムは領有権の侵害であり、国連海洋法条約に違反すると主張して抗議した。一方、両国の共産党同士はハイレベルでの交流を続けており、2023年10~11月、チョン書記長が習近平中国共産党総書記の招待を受け、2017年以来約5年10か月ぶりに訪中した。

 経済面での関係は深く、中国はベトナムにとって最大の貿易相手国である。ベトナムの対中貿易赤字が続いているが、中国からベトナムへの生産移管が原材料・部品の輸入をさらに増加させている。新型コロナウイルスのワクチンをめぐっては、ベトナム政府は当初、ASEANの中で唯一中国製ワクチンの調達を見送っていたが、2021年6月、シノファーム製のワクチンの緊急使用を承認し、同月、中国はワクチンを提供した。

(2)米国

 1995年の国交正常化以降、ベトナムと米国の関係は緊密化している。2016年、米国はベトナムへの武器輸出を全面解除した。経済面でも、米国はベトナムにとって最大の輸出相手国である(主要輸出品は縫製品)。一方、トランプ政権(当時)では米国の対ベトナム貿易赤字が問題視され、【*4】2019年5月と2020年1月に発表された為替報告書では為替監視国、2020年12月の報告書では為替操作国に指定された。しかしバイデン政権発足後に発表された2021年4月の報告書では、為替操作国の指定が外され(同年12月、22年6月も同様)、2022年11月の報告書では監視リストからも外された。2022年5⽉、ベトナムは米国が主導するインド太平洋経済枠組み(IPEF)に発足時から参加した。

(3)韓国

 ベトナムと韓国の関係は主に経済面で緊密化している。2009年頃からサムスン電子はじめ多くの韓国企業が進出し、2015年12月には韓国との自由貿易協定(VKFTA)が発効した。近年はベトナムの輸出額の約2割をサムスン電子の製品が占めている。IT、飲食、金融といった分野での投資も進んでおり、若年層を中心にベトナムでは韓国文化の人気も高まっている。

(4)ASEAN

 ベトナムは1995年にASEANに加盟した。南シナ海の領有権問題をめぐっては、中国に強硬的な態度で臨むベトナムとカンボジアなど融和的な国々との間で温度差があり、ASEAN首脳会議の共同宣言の採択などにおいて議論が生じている。2015年12月末にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、2018年1月、ベトナムを含む後発4か国(CLMV)の関税も撤廃された。一方、完成車輸入については、許可証や規制等の非関税障壁を導入することで事実上制限している。

(5)欧州

 EUはベトナムにとって米国、中国、韓国、日本と並ぶ主要な輸出相手先である(主要輸出品は縫製品)。2020年8月にEUとのFTA(EVFTA)が発効した。

(6)ロシア

 旧ソ連時代からベトナムとロシアは政治経済社会面において緊密な関係にある。ベトナムは兵器の8割以上をロシアからの輸入に頼っている。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に対してはロシアを非難することはなく、融和的な立場をとっている。同年7月、ロシアのラブロフ外相がベトナムを訪問し、両国はさらなる関係強化を追求することで一致した。

(7)日本

 日本はベトナムにとって米国、中国、韓国に次ぐ第4位の輸出相手国である。2021年11月にチン首相が訪日し、岸田首相と会談したが、岸田首相にとっては国内での初の外国首脳との会談だった。2022年11月、岸田首相がASEAN首脳会議関連会合に出席するためにカンボジアを訪問した際、チン首相と会談し、経済協力やウクライナ情勢、東シナ海・南シナ海情勢について話し合った。2023年は日越外交関係樹立50周年にあたる。

 

3. 経済:コロナからの堅調な回復

 2021年1月の党大会では、2025年(南北統一50周年)までに近代的工業を有する発展途上国として下位中所得国を脱し、2030年(党設立100周年)までに上位中所得国となり、2045年(建国100周年)までに高所得国を目指すという中長期目標が発表された。2023年1月、臨時国会が開催され、「2050年を見据えた2021~2030年の国家基本計画」が承認され、2050年までに高所得国を目指すとされた。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、2020年の実質GDP成長率は前年比+2.9%、2021年は同+2.6%に落ち込んだが、多くの国々がマイナス成長に陥る中、プラス成長を維持した。2022年は、経済活動の再開に伴う消費の増加と輸出の拡大によって経済の回復が進み、実質GDP成長率は前年比+8.02%に上った(下図参照)。政府目標(+7.5~8.0%)を上回り、2000年代以降では最も高い成長率となった。もっとも1~9月期に前年同期比+8.83%に上った後、11月以降に輸出が減少したことが影響し、10~12月期には同+5.92%に減速した。

【図 ベトナムの実質GDP成長率と1人当たりGDPの推移】
(出所) Bloomberg、IMFをもとに住友商事グローバルリサーチ作成

 消費者物価(CPI)上昇率は2022年3月から上昇し、10月以降は政府目標(前年比+4.0%)を上回っている(12月時点で前年同月比+4.6%)。欧米と比べるとなお低い水準にとどまるが、今後の高進が警戒されている。中銀は2022年9~10月に2か月連続で利上げを実施し、リファイナンスレート、ディスカウントレートを計2%引き上げてそれぞれ6.00%、4.50%とした。インフレの高進と金融引き締めは、今後、消費と投資の下押し圧力になる可能性がある。2023年の政府目標は前年比+7.5~8.0%、世銀(2022年12月時点)の見通しは同+6.5%である。

 2021年10月以降、コロナの感染を完全に封じ込める「ゼロコロナ」からコロナと共存しながら経済の回復を優先させる「ウィズコロナ」へと舵を切った。2022年1月からオミクロン株の感染が拡大し、3月中旬には1日あたりの新規感染者数が27万人を超えたが、経済回復優先の方針は維持され、4月以降、全ての行動規制が撤廃された。4月から感染状況は改善し、年末まで500~3,000人程度で推移。2023年に入ってからは100人以下まで減少している。

 通貨ドンの対ドル為替レート(2016年から中心レートを基準に取引バンドの上下限を±3%に設定)は2022年3月の米国の利上げ以降も比較的堅調に推移してきたが、中銀が5月に想定レートを4か月ぶりに引き下げてから下落基調になり、中銀は5月から10月にかけてドン相場のレートの下限を6回切り下げた。10月にはドンとドルの取引バンドの上下限を±5%に拡大した。同月は米国の利上げの加速を受けてドンは急速な下落を続けたが、11月には下げ止まり、12月から増価傾向に転じている。

 外貨準備高は2021年まで過去最高額を更新し、同年末には1,000億ドルに達していたが、2022年に入ってからは為替介入のため減少し、10月時点で840億ドルまで低下した(月平均輸入額の2.8か月分)。しかし経常収支は2021年には17年ぶりの赤字となったものの、2022年は黒字に回復する見通しであり(輸出額が3,719億ドルと過去最高額に達し、貿易黒字が1,120億ドルに上った)、為替レートも前述のようにドン安をある程度容認し、ドン安傾向も和らいできたことから、外貨準備の減少が続く可能性は低いと考えられる。

 2022年度の財政赤字はGDP比4.7%と前年度(3.5%)から拡大する見込みである。2022年度末の政府債務のGDP比は40.5%に上る見通しだが、公的債務管理法で定める上限の65%を下回っている。

 海外直接投資(FDI)の認可額は2021年に312億ドル(前年比+9%)に上ったが、2022年は277億ドルだった(同▲11%)。2019年以前の年間350~380億ドル規模にはまだ回復していない。

 近年、政府は気候変動対策に力を入れており、2022年12月、日本を含む支援国グループと「公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETP)」に合意した。JETPは、 ⾼排出インフラの早期退役の加速化と再エネ及び関連インフラへの投資のための⽀援をドナー国が連携し実施するパートナーシップで、今後3〜5年間で155億ドルの⽀援が予定されている。

以上

 


 

[*1] コロナ感染拡大時の帰国便の手配に関する汚職事件では、ハノイ市人民委員会のチュー・スアン・ズン副委員長やブー・ホン・ナム前駐日ベトナム大使らが収賄容疑で逮捕された。コロナ検査キットの調達に関する不正事件では、グエン・タイン・ロン前保健相、チュー・ゴック・アイン元前科学技術相・前ハノイ市人民委員会委員長、グエン・バン・チン元ダム副首相補佐官を含む100人近くが逮捕された。

[*2] 副首相は4人で、残る2人はレ・ミン・カイ氏とレ・バン・タイン氏(それぞれ財政金融、産業政策等を担当)。2021年4月のチン内閣発足時にはチュオン・ホア・ビン氏を含めて5人の副首相が任命されていたが、同年7月に国会が4人に減らす決議を可決し、ビン氏が退任していた。

[*3] チョン書記長は2021年1月の共産党大会において再任され、異例の3期目に入っている。同年4月、チョン書記長、グエン・スアン・フック国家主席、ファム・ミン・チン首相、ブオン・ディン・フエ国会議長率いる新体制が発足した。

[*4] 米国の対ベトナム貿易赤字額は毎年国別で上位を占めており、2022年11月の米財務省の為替報告書によれば、2021年第2四半期~2023年第2四半期の貿易赤字額は1,050億ドルに上り、中国(3,820億ドル)、メキシコ(1,180億ドル)に次ぐ3位だった。

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