市場概観:インフレとデフレの境界線

2023年05月12日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
本間 隆行

 

 悩みの種となっていた物価の騰勢は、ようやくピークアウトしつつある。このことから、金融引締めの停止や早期緩和への議論も目立って増えてきているようだ。しかし、物価全般は低下しているわけではなく、高い水準を維持しながら上昇が続いている。家計所得や企業利益、預貯金が物価上昇を上回るペースでは必ずしも増加していない、上昇が続くモノやサービスの価格に対して収入や資産の上昇率は劣後している状態と言い換えることもできるだろう。しかし、今回の物価上昇がコロナ対応による財政・金融による需要喚起、ウクライナ戦争による供給制約などが起点になっているなど、過去に見てきたような景気循環的な要素を欠いていることは認識が共有されているところだ。

 

 

 先行きへの強い不透明感や40年ぶりの物価上昇という事象を受け、過去のイベントが紹介されることが多く、また参照されやすい。戦争と物価上昇という現状からは1970年代のオイルショックの経験が導き出されやすく、コスト上昇が続くことで物価上昇も長引くとの見方の裏付けにもされている。長期化するであろう物価上昇への期待から今の物価水準は受け入れられやすいとの指摘もあるが、実際の動きは期待通りにはなっていない様子もうかがえるようになっている。経済活動への参加者構成も需給状況や経済枠組みも当時とはだいぶ様変わりしている。

 

 

 エネルギー関連商品はその一つの良い事例と言えそうだ。ウクライナ侵攻でロシアからの供給が細ることが見込まれ石油・ガス価格は急騰したが、価格上昇や景気減速により消費量は減少し、供給はロシアが輸出先やルートを変更したことに加えて、在庫が放出されたこともあって、1バレル当たり70ドル台という比較的低い水準で均衡するようになっている。特に、原油では産油国による追加減産や生産障害が報告され供給不安がくすぶっているが、カレンダースプレッドが若干タイト化している程度であって今のところは大幅な上昇には至っていない。むしろ、いまの追加減産効果は表れるのか、効果が確認できないとしたら、既存の生産者枠組みの維持は果たして可能なのか、などが短期的に注目されてくることになるだろう。消費者にとってはエネルギー価格の低位安定は喜ばしいことであるが、生産者にとっては生産調整を行っても価格低下が続くという厳しい状況に転じている。コロナ禍前の2019年、WTI原油の取引レンジは$45~65/バレルだった。当時よりも供給体制に不安は付きまとうが、供給制約が顕在化せずに、想定されているように景気が減速していくのであれば、価格はアップサイドよりもダウンサイドリスクの方が高まっていくのではないか。

 

 

 物価上昇による需要減は石油市場に限ったことではない。製商品在庫の増加も各地で目立つようになっている。物価上昇を加味した実質的な個人消費では、サービスは比較的順調とされるものの財消費の減速感は強まっており、製商品は在庫となっているが、その増加基調は足下で急速に目立つようになっている。日本も米国も生産活動は一進一退の動きに留まるのに対し、在庫の積み上がりが目立つ。特に米国では、短期金利が高止まりしていることを踏まえると在庫に関わる費用も増加基調にあると推察される。今後も在庫調整に合わせた生産活動が続く、または強化されことになると、景気減速はやはり不可避となりそうだ。

 

 

 過度なインフレが続くことが懸念されるが、コロナ前の状況からは供給力は十分にあったことから、供給網のリストラクチャリングが進むことによってウクライナ侵攻後の均衡点が見つかるとしたら、長期低迷と言われたややデフレ気味の時代に戻ることも懸念される。インフレとデフレの境目の、ハンドリングが難しい時期にいるようだ。

 

 

鉱工業生産と在庫(出所:Bloombergより住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 

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