トランプ現象を招いたのは「過度な民主化」か ~米国で始まった議論~

2016年07月28日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

トランプ候補支持を表明するドーナツ屋(ペンシルベニア州ヨーク郡)(写真:筆者)
トランプ候補支持を表明するドーナツ屋(ペンシルベニア州ヨーク郡)(写真:筆者)

 「われわれの政治家は国家より個人の利益を優先している」、2016年7月21日の共和党大統領候補の指名受諾演説でドナルド・トランプ候補はこのようにワシントンの主流派による政治を激しく批判しました。「カオス(無秩序)な候補」とも描かれ人種差別や女性蔑視の暴言を吐き政治専門家の多くから予備選早期の撤退を予想されていた同候補は今や第45代米国大統領の座獲得まであと一歩のところに迫っています。大統領選ではこう着状態のワシントン政治に怒りを抱く有権者から高い支持を受けトランプ候補のような反主流派が台頭しました。しかし昨今、一部の政治専門家はトランプ候補などが主張するように主流派が民意を忘れて動いているというよりも、そもそも過度な民主化で主流派が権限を失い調整機能を失った政治システムがこう着状態を招いたという指摘を新たに始めています。

 

 

◆議会支持率低迷、台頭する反主流派

 2010年の中間選挙後に「ねじれ議会」が生じて以来、米国政治はこう着状態が続いています。米議会の支持率(ギャラップ世論調査)は01年の同時多発テロ後に約84%のピークを迎えてからは下落傾向にあり、現在は約16%(16年6月時点)と過去最低水準で推移しています。このワシントン政治に対する国民の失望や怒りにより、16年大統領選は主流派にとって厳しい年となりました。共和党予備選では、政治経験が豊富で主流派に期待されていたジェブ・ブッシュ候補(元フロリダ州知事)の他、現職の州知事や上院議員などが次々に撤退し、頂点に立ったのは公職経験が全くないトランプ候補です。

 

 

◆ウォーターゲート事件以降、加速した民主化と麻痺(まひ)する議会機能

 政治のこう着状態について、その要因は「行き過ぎた民主化」にあると主張するのは、ブルッキングス研究所上席研究員のジョナサン・ローチ氏です。同氏は米誌『アトランティック』(16年7月/8月号)に「米国政治はいかにして正気を失ったか」と題する特集記事で民主化の進展は政治の透明性を高めたが、政治家は国家全体にとって望ましい妥協策を国民の見えないところで交渉することが難しくなってきていると述べています。

 

 「われわれの真の病は民主制」、米国の建国の父であるアレキサンダー・ハミルトン初代財務長官はこのように代表者が民意をすくって政治を行う間接民主制の重要性を死ぬ直前の最後の手紙に綴(つづ)っています。さらに同氏は「われわれは民主主義政治に傾き過ぎれば、程なく国を君主制あるいはその他の独裁制に導くこととなる」と警鐘を鳴らしています。米誌『ニューヨーク・マガジン』のアンドリュー・サリバン寄稿編集者は「米国で歴史上ここまで暴政登場の機が熟した時期はない」と題する記事(16年5月2日発行)で「多数派の支持による暴政、暴徒化した民衆の情熱から民主主義を保護するために、建国の父は頑丈な防壁を一般国民の意思と権力執行の間に築いた」と述べています。米国では大統領は代議員選出を通じて選ばれ、最高裁判事は大統領が指名し上院が承認するといった形式であり、直接国民が選ぶことを防ぐ仕組みを取り入れています。ローチ氏は、州や全国の党委員会、議会の小委員会、リーダーシップPAC(政治資金団体)、党大会の代議員などは、無秩序な有権者と無秩序な政治家の「仲介役(ミドルメン)」を果たす重要な役割を担ってきたと述べています。同氏は、これら仲介役は非民主的であるものの、「カオスに秩序をもたらしてきた」と分析しています。また、民主主義を従来、うまく回してきたのは(1)党指導部が影響力を発揮する候補選び、(2)政党主導の政治資金集めと分配、(3)経験を重視する議会、(4)有力政治家による密室での交渉、(5)議会からの選挙区補助金と指摘しています。

 

 米国政治の民主化を加速させたのは、1970年代前半に起きたウォーターゲート事件とローチ氏は指摘しています。同事件は、当時のリチャード・ニクソン大統領が再選のために民主党全国委員会本部に盗聴器をしかけようとしたことで発覚しました。それを機に米国政治は透明性確保に向けてメスを入れ始めました。従来は主流派によって密室で決められていた政治交渉も国民からより厳しい目が向けられ、たとえば議会の公式そして非公式の会合の多くが一般公開されるようになりました。しかし、政治の透明性向上は民主化の側面では良い反面、政治家が中道寄りの政策で妥協することを難しくさせる副作用をもたらしています。交渉が一般公開されることにより、右寄りあるいは左寄りの利益団体、シンクタンク、メディアなどから政治家は攻撃を受けやすくなり交渉が頓挫してしまう可能性が高まりました。そして議会議員は中道寄り政策の推進の結果、自らの議席を失うリスクもあります。共和党ナンバー2のポジションにいたエリック・カンター前下院多数党院内総務は、議会で民主党と調整し超党派の政策を推進するなどこう着状態の政治に打開策を講ずるも地元の反発を買い、2014年に地元の下院議員選挙の共和党予備選で反主流派の対抗馬に敗北しました。カンター敗退を目撃した各議会議員はますます、次のカンターにならないよう超党派の妥協策合意を避けているように思います。しかし、有権者は反主流派候補(カンターに勝利したデイブ・ブラット議員はフリーダム・コーカスのメンバー)に期待してワシントンに送り込むも保守的な極端な政策を推進し、議会の機能を麻痺させさらに悪化させているといえます。皮肉にも民主化の名のもと国民が政治透明性を追求するあまり、政治経験不足の「カオスな候補」を国民が選ぶ土壌が創造され、米国政治の機能が麻痺する悪循環に陥っています。この土壌で政界入りし躍進できたのがトランプ候補でしょう。

 

 

◆JカーブからSカーブへ

(図)民主化の進展でJカーブはSカーブへ?(出典:「Jカーブ」(イワン・ブレマー著)をもとに米州住友商事会社ワシントン事務所作成 ユーラシアグループ社の創設者兼社長のイアン・ブレマー氏は著書「Jカーブ」で国の安定性と対外的な政治経済の開放度合いをグラフ化した政治コンセプトを紹介しています(図参照)。同グラフの対外的な政治経済の開放度合いを仮に民主化の度合いに置き換えて考えると、米国社会は既にJカーブの頂点に達し、現在は過度な民主化が国の安定性を損なわせJカーブがSカーブへと変形する局面を迎えているのかもしれません。

 

 

◆今後の政権は民主化に逆行する施策を導入するか

 民主化が進んだ今日の米国政治に逆行する施策を導入するには、多数の国民からの抵抗が予想されます。しかし、非民主的施策を復活させる議論は一部でみられます。11年、茶会党(ティーパーティー)とプログレッシブ派が協力し、有権者への損害が利益を上回るとの理由でイヤマーク(票集めのために党指導部などによって利用される特定事業・組織などへの資金の割り当て)を廃止に追いやりました。議会議員はワシントンでは地元に利益を還元するために行動しており、主流派の党指導部にとって小額でありながら党員の投票行動を左右するイヤマークは重要な役割を果たしていました。議会のこう着状態が危惧される中、昨今、一部ベテラン議員の間でイヤマーク復活の主張がみられます。

 

予備選でクリントン候補に肩入れした疑惑が浮上し民主党全国委員会を批判するサンダース元候補支持者デモ(ペンシルベニア州フィラデルフィア市)(写真:筆者)
予備選でクリントン候補に肩入れした疑惑が浮上し民主党全国委員会を批判するサンダース元候補支持者デモ(ペンシルベニア州フィラデルフィア市)(写真:筆者)

 また、ワシントンのある政治アナリストは、将来的に共和党指導部は予備選の特別代議員を増やし、トランプ候補のような反主流派の躍進を防ぐ施策を導入する可能性も指摘しています。民主党では特別代議員は全代議員の約15%を占めているのに対し、共和党では約7%に過ぎず民主党と比べて影響力が限定されています。16年民主党予備選では主流派を支持する多数の特別代議員がいなければ、選挙戦の流れは反主流派のバーニー・サンダース候補に傾いていた可能性もあります。なお、16年7月23日、民主党全国大会の開催前に行われた党規約委員会で、サンダース候補支持者をはじめ党内リベラル派を中心に非民主的との理由で特別代議員制の廃止要請があったものの、最終的には約3分の2を削減する妥協策で合意し、2020年の次期大統領選以降も特別代議員制は残すことで合意しています。

 

 今日、ソーシャルメディア、24時間ニュース番組などで米国民は間接民主制を超越し政治をリアルタイムでフォローすることが可能になって政治がより身近な存在となっています。ブルッキングス研究所のE.J.ディオン上席研究員は政治のカオスについて、ローチ氏の主張する政治システムの変化が引き起こしているのではなく、マイノリティの政治参加の拡大、大卒者の影響拡大、メディアに登場する政治専門家の影響拡大など米国社会全体の変化が影響していると指摘しています。従ってローチ氏主張の古い政治システムを今日の米国社会にあてはめても再び政治は機能するとはいえないと反論しています。とはいえ、ローチ氏の民主化の進展による政治機能の低下も一理あると思われます。ただし、前述の通り政治家は、時代に逆行する非民主的とも捉えられる政策を取り入れる解決策は難しいことが想定されます。次期政権は、反主流派台頭など国の安定性を損なうリスクが伴うもののこのまま民主化を進展させるのか、あるいは国民が納得するやり方で非民主的とも捉えられる政策を部分的に取り入れる試みをするのか、いずれにしても大きな試練に直面することが予想されます。

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