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- 2025年10月22日(水)
『日本経済新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2025年10月15日(水)
『日経ヴェリタス』に、当社シニアアナリスト 鈴木 直美が寄稿しました。 - 2025年10月14日(火)
『日刊産業新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2025年10月9日(木)
『日刊産業新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。 - 2025年10月6日(月)
『日刊産業新聞』に、当社チーフエコノミスト 本間 隆行のコメントが掲載されました。
2025年6月、モザンビークは、470年に及んだポルトガル支配からの独立50周年を迎えます。例えば日本の終戦後50年といえば1995年。当時の私自身の感覚でいえば、太平洋戦争は既に「歴史」であり、50年という周期は社会経済環境が劇的に変化するには十分に長い周期だと捉えられます。しかしモザンビークでは、独立後間もなく15年に及ぶ内戦が...
多くの方がアフリカと聞くと、インフレや通貨危機、民族紛争、飢餓、中国による債務の罠といった、ネガティブなイメージが先行しがちなのではないかと思いますが、実際にタンザニアを訪問してみると、イメージとのギャップに驚くかもしれません。比較的治安が良く、気候も温暖で、食べ物も豊富な、のんびりとした「ポレポレ」な時間が流れているタンザニアにつ...
サウジアラビアは、サルマン国王を頂点とする絶対君主制を敷く国で、イスラム教の二大聖地といわれるメッカとメディナをかかえる「イスラム教発祥地」ということもあって、イスラム諸国の中でも最も戒律が厳しい国と言われています。しかし、2016年、同国の実質的な指導者であるムハンマド・ビン・サルマーン皇太子により「Saudi Vision 20...
皆さんはガーナの国旗を見たことがありますか?私もガーナの国旗が何を象徴しているのかは最近になって知りましたが、独立運動のために戦った人々の血を表す「赤」、国の鉱物資源と富を表す「黄」、森林と農地を表す「緑」の3色とアフリカの自由を象徴する「黒い星」から成り立つ、ジャマイカのポピュラー音楽「レゲエ」を感じさせるようなカラフルな国旗です...
クウェートは、何世紀にもさかのぼることができる豊かな文化遺産を持つ国です。しかし一方で急速に近代化が進んでおり、時代の変化に合わせて、その文化も進化しています。
アフリカ大陸の東、南緯18度、標高1,200メートル前後に位置するマダガスカルの首都アンタナナリボでは、現在冬至(北半球の夏至)が近づくにつれて日が短くなり、朝晩の気温は10℃前後、日中は20℃前後と、着任から2年が過ぎ、当地の気候に慣れてしまった体には「快適」を通り過ぎ「肌寒い」季節が訪れています。
およそ4,500年前にピラミッドを完成させたエジプト。その文化をつなぐ現代のエジプトで今、開館に向けて最終段階に入っているのが、大エジプト博物館(The Grand Egyptian Museum)です。1902年開設の老朽化したタハリールのエジプト考古学博物館に代わる新しい博物館を建設することを目的としたこのプロジェクトに、200...
ケニアはアフリカ大陸の東部、インド洋沿岸に位置する国です。ケニア第2の都市であり、海港を持つモンバサは、有史以前から広範な東アフリカ地域の貿易の玄関口でした。
"As Time Goes By" (時の過ぎゆくままに) は、1944年のアカデミー賞作品賞ほか計3部門を受賞した不朽の名作「カサブランカ」の主題歌です。 甘く切ないロマンスを奏でるこの曲のメロディは、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。そのカサブランカで有名なモロッコですが、地球のどの辺りに位置するかイメージできますでしょう...
オマーンはアラビア半島の東側、インド洋に面しています。古くはアラビアンナイトの時代、冒険家のシンドバッドが現在のオマーンの首都マスカットを拠点に交易を展開したと言われています。大航海時代の16世紀にマスカットはポルトガルに占拠されましたが、17世紀にはオマーンが再びマスカットを奪還、さらに東アフリカに勢力を伸ばします。19世紀には英...
筆者がモザンビークの首都マプトへ赴任すると聞いて、多くの人は「たしかアフリカの国だよね?」「住商も事務所があったような…」「昔PKO(国連平和維持活動)で話題になったのでは……」といった反応でした。かくいう私もまだ赴任して2か月ほどなので知らないことも多いのですが、これまで率直に感じたことに同僚からの情報なども織り交ぜて伝えたいと思...
イスタンブールは、ボスポラス海峡をはさみ、アジアとヨーロッパの人や文化が交錯する人口1,500万人超(2020年現在)の巨大都市です。トプカプ宮殿、アヤソフィア、スルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)など、ビザンチン帝国時代やオスマントルコ時代の建築群の見る者を圧倒するような荘厳さと美しさ、グランバザールやガラタ橋のにぎわい...
2021年にヨハネスブルク市は135周年を迎えます。1886年、金の発見に伴い建設されたこの町は、「エゴーリ」(公用語の一つであるソト語で「黄金の町」)、「シティ・オブ・ゴールド」(英語で「黄金の都市」)、日常的には略称で「ジョーバーグ」とか「ジョジ」とも呼ばれています。ここ10年来、南アフリカは経済的苦境に陥っていますが、この町は...
ドバイへの誤解: シリア出身の私は2005年にドバイに来るまで、「UAEは偶然石油に恵まれ、豊かな国家財政からの潤沢な給付と恩恵に甘やかされた幸運な人々の国」と思っていました。いずれ石油が枯渇すれば明るい未来はなく、「オイルダラーで育ったベビーブーム世代」は子孫に残す遺産などなくなるのでは、とみている人も多かったのです。
ウィーン交響楽団の演奏が終わって一瞬の静寂の後、会場には割れんばかりの拍手喝采が湧き起こりました。
2018年秋、サウジアラビア住商の本社がある東海岸アルホバル市の隣町ダーラン市に建つ国際文化センター内のオーディトリアムで、私は感慨深い思いでその拍手に加わっていました。
赴任前、「アンゴラのルアンダに赴任します」と友人たちに話したら、「アンゴラウサギのいるところか?」「大虐殺のあったところやろ、大変やな!」といったコメントを多くもらいました。これらはいずれも誤解です。アンゴラとアンゴラウサギは全く関係ありません。大虐殺があったのはルワンダ(Rwanda)という国であり、ルアンダ(Luanda)はアン...
クウェートはアラビア半島の東北端に位置し、北はイラク、南と西はサウジアラビア、東はアラビア湾(ペルシャ湾)に接しており、年平均降水量は100ミリ以下の国です。クウェートの特徴は何といっても真夏の暑さです。2016年7月には摂氏54度を記録し東半球での過去最高気温を更新しました。夏は猛暑(屋外に立っているだけで、体ごと蒸発してしまうよ...
「アフリカは遠い。地理的にも心理的にも」と言われますが、ガーナという国名は日本人に比較的なじみがあります。某製菓会社が自社製品にその名を冠しているためですが、この国について、それ以外に何か知っていることはあるでしょうか?元国連事務総長のコフィ・アナン氏はガーナ人である、とか、1917年、船でアフリカに渡った野口英世博士が、黄熱病の研...
モザンビークと言うと、日本人にはほとんど馴染みの無い国名だと思います。さらに首都はマプトと聞いて「そうだった、聞いた事あるな」と納得される方はほとんどいないのではないでしょうか。モザンビークは南アフリカ共和国の北東に位置する共和国であり、ポルトガルから1975年に独立しました。周辺国が南ア、マラウィ、ザンビア……と全て旧英国植民地で...
イランがイスラム共和制になったのは1979年の革命以降のことです。ヴェラヤテ・ファギーと呼ばれる、イスラム法学者による統治概念を重要な要素とし、共和制の最高指導者は三権全てのうえに立ちます。体制移行から35年あまりが経過した現在、イスラムはイラン人の生活全般に深く浸透しています。ところが、同国に暮らしていると、ほどなく、イラン人の生... 