パリ同時多発テロで震撼する米国:難民以外でより大きな脅威

2015年12月04日

米州住友商事会社 ワシントン事務所
渡辺 亮司

テロ以降、哀悼の意を込めて半旗の星条旗を掲げるホワイトハウスと新たに配置されたパトカー(写真:筆者)
テロ以降、哀悼の意を込めて半旗の星条旗を掲げるホワイトハウスと新たに配置されたパトカー(写真:筆者)

 パリ同時多発テロから3日後の2015年11月16日、過激派組織イスラム国(IS)はパリ攻撃に続いて「アメリカの首都ワシントンも攻撃することを誓う」とネット上で宣言しました。米連邦捜査局(FBI)は米国に対する確かな脅威は把握していないと述べつつも、ワシントン市内では警察がISのテロ攻撃に備え、警備を強化しています。全米で2番目に利用者が多いワシントンの地下鉄では主要駅により多くの警察官が配備され、荷物の抜き打ち検査も一部で導入しています。パリのテロ実行犯の中にシリアの偽造パスポートで難民を装っていた人物がいたとの疑惑があり、共和党、そして一部の民主党議員などの間でシリアからの難民受け入れ制度の厳格化を求める声が相次いでいます。しかし、米国が心配すべき真のテロリスクは、他のところにあるようです。

 

 

 • 難民政策を厳格化すべきか、米国の価値観を守るべきか

 米誌『ニューヨーカー』(2014年1月27日号)のインタビューでオバマ大統領が2軍を指す「J.V.(ジュニア・バーシティー)チーム」と呼んだISが、今や米国民をも脅かす存在となっています。ワシントンポスト紙および米テレビ局ABCによる世論調査(2015年11月16~19日実施)では約83%の回答者が「米国は近い将来、多くの人命が失われる大規模なテロ攻撃を受ける可能性が非常に高い」、または「ある程度可能性あり」と答えています。そういった中、特に共和党大統領候補や共和党議員は、オバマ政権が2016年9月までの1年間で1万人以上のシリア難民を受け入れると発表している難民政策に焦点を当て、批判を強めています。米国へのテロリスト入国を懸念し、オバマ政権によるシリア難民受け入れの一時中断あるいは審査の厳格化を彼らは主張しています。2015年11月末時点、共和党出身の州知事を中心に全米50州のうち31州の州知事がシリア難民受け入れに懸念を示しています。米テレビ局NBCがウェブアンケート会社サーベイモンキーの協力を得て行った世論調査(2015年11月15~17日実施)によると、米国民の約56%が「今後もシリア難民を受け入れることに反対」と答えています。支持政党で考えは大きく分かれ、共和党支持者の約81%、民主党支持者の約31%、無党派層の約59%が難民受け入れに反対しています。同調査結果からも、特に共和党出身の政治家がシリア難民受け入れについて厳しい対策を訴えるのか理解できます。2015年11月19日、下院はシリア難民受け入れの審査を厳格化して実質的に一時中断する内容の法案を可決し、上院に送りました。仮に上院でも可決された場合、オバマ大統領は拒否権を発動することを表明しています。フリーダム・コーカス(2015年11月25日記事参照)のマット・サーモン下院議員(共和党、アリゾナ州第5選挙区選出)は廃案の際は巻き返し策として本件を歳出法案に抱き合わせて政府閉鎖も辞さない強硬姿勢を示しています。

 

 しかし、ホワイトハウスによると、米国の難民受け入れ制度ではFBI、国防総省、国家テロ対策センター(NCTC)、国土安全保障省、国務省による1年半~2年に渡る厳しい審査を難民は受けるとのことです。従って、偽造パスポートで難民として入国することは考えられないと一部の専門家は指摘します。アンガス・キング上院議員(無所属、メイン州選出)はCNNのインタビュー(2015年11月19日放送)で、シリア難民について「申請者のうち、難民として受け入れが認められているのはごくわずか。その大半が女性、子供、年配者」と語っています。ホワイトハウスは声明(2015年11月18日発表)で、「(米国同時多発テロが起きた)2001年9月11日(9・11)以降、受け入れたシリア難民は2,174人に上り、ただ1人としてテロ関係で逮捕あるいは強制送還したケースはない」と述べ、難民の厳しい審査の有効性を主張しています。共和党大統領候補は、幼児であってもシリア難民を受け入れるべきでない、あるいはイスラム教徒のシリア難民を拒否すべきといった発言をし、オバマ政権の難民政策を批判しています。脅威を誇張し、難民受け入れを拒否する政治家に対し、オバマ大統領は難民政策を政治的に利用していると非難し、米国の価値観に合わない「アン・アメリカン」と反論しています。

 

 

 • 9・11以降強化された米国のテロ対策、ISに対して十分か

 米国政府によるテロ対策は9・11以降、大幅に強化されています。ニューアメリカ財団が発行した報告書「ISIS in the West(欧米のISIS)」(2015年11月発行)によると、米国政府が管理する民間航空機の「搭乗拒否リスト」は9・11発生時点では16人であったのが、今日では約4万8,000人まで増加しています。また、米国政府は9・11以降、サイバーテロや各種テロ対策の政府機関も新設し、国内における大規模なテロ事件の再発防止に対処しています。厳しい審査を経て米国が受け入れたシリア難民によってテロが起こる可能性は低いものの、他の方面で米国本土におけるISの脅威は存在します。同報告書ではビザ免除プログラムで米国に入国する外国人がIS戦闘員であるリスクを指摘しています。現在、米国のビザ免除プログラム対象国は日本や欧州諸国など38か国です。対象国出身者は渡航前にESTA(電子渡航認証システム)で申請することによって基本的にビザを取得せずに最大90日間ほど米国滞在が認められています。パリ同時多発テロ実行犯の中に、フランス国籍やベルギー国籍などビザ免除プログラム対象国出身者が含まれていました。政治家は、審査が既に厳しい難民受け入れ制度の厳格化よりも、テロリストが米国に入るリスクがより高いビザ免除プログラムの改定を優先する必要があるでしょう。2015年12月1日、ジェフ・フレイク上院議員(共和党、アリゾナ州選出)およびダイアン・ファインスタイン上院議員(民主党、カリフォルニア州選出)をはじめ総勢19人の上院議員は過去5年間にイラクあるいはシリアを訪れたことがある同プログラム対象国からの渡航者にビザ取得を義務付ける超党派の法案を議会に提出しました。この法案では全ての対象国出身者に対し、指紋と写真を入国前に求め、仮に同内容で成立すれば日本人の渡米についても、やや手続きが増えることが予想されます。なお、2015年11月30日、ホワイトハウスは、同プログラム対象国出身者がテロリストの安全地帯となっている国への渡航歴がないかを把握するため、ESTAに確認項目を追加するなど行政府単独で実行可能な対策を発表し、より大きな改定となる前述の超党派法案にも協力的な姿勢を示しています。

 

 

 • 米国生まれのテロリストからの安全確保とプライバシー侵害問題

 海外からのテロリストの入国以上にリスクが高いのが「ホームグロウン・バイオレント・エクストリーミスト(HVE)」と総称される、疎外された若者がネットなどを通じてISの過激思想に共鳴し、米国内で生まれるテロリストです。パリ同時多発テロ以降、警察は特にHVEを警戒しています。第1次オバマ政権で国土安全保障省の政府間業務次官補を務めたジュリエット・カイエム氏は、人やモノが自由に行き交う米国はそもそも脆弱(ぜいじゃく)であり「政府はリスクをゼロにするのではなく、いかに減らすかを考えている」と米公共放送PBS(2015年11月16日放送)で述べています。またプライバシー重視の観点からも、リスクをゼロにするのは難しいでしょう。米国ではスノーデン事件以降、米国政府による国民の監視に抵抗する意識が高まっています。今後、HVEによるテロを事前に防ぐために米国政府がIT企業などの協力を得て、国民のプライバシーを侵害し、監視しても良いか米国議会は議論せねばならないことが想像できます。

 

 

 • IS脅威に新たな対策が求められるオバマ政権

 ワシントンではベトナム料理、エチオピア料理のレストランを時々見かけ、1970年代以降、両国から難民を米国が受け入れてきた歴史の面影を感じ、米国社会の懐の深さを実感します。前述の通り、今日、共和党大統領候補からはイスラム教徒のシリア難民を受け入れるべきでないとの発言も聞かれます。しかし、9・11直後、同じ共和党出身のジョージ・W・ブッシュ大統領は「わが国はイスラムと戦争しているのではない」と訴え、テロリストでないイスラム教徒に対する敵対感情や差別行為などを自制するよう訴えました。米国務省によると9・11以降も米国は中東も含む多くの難民を全世界から受け入れており、その数は合計約78万5,000人に上ります。日本の法務省によると日本が2001~14年に難民として認定した人数は約3,300人(難民以外の庇護「ひご」含む)で、米国の難民受け入れ数は日本の200倍以上です。9・11以降も米国は難民受け入れに寛容であったことが分かります。この米国の伝統的な価値観の堅持を主張するオバマ政権は、国民のテロに対する恐怖心が高まっている状況下、共和党に対して批判を繰り返すだけでは説得力に欠けているようにみえます。同政権は引き続き現行の難民政策の有効性を主張する一方、今後は難民以外に考えられる限りのテロリスクを国民に明示して、ビザ免除プログラムの改定に加え、HVEの対処法など具体的な政策を打ち出していく必要があるでしょう。

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