食料システム法―「合理的な価格」を目指して―

調査レポート

2026年08月07日

住友商事グローバルリサーチ 経済部 戦略調査チーム アナリスト
真鍋 舞

はじめに

 2026年4月から「食品等の持続的な供給を実現するための食品等事業者による事業活動の促進及び食品等の取引の適正化に関する法律」(以下、食料システム法)が施行された。本稿では、この法律に掲げられた「合理的な費用を考慮した価格形成」について、2026年7月末時点でコスト指標が唯一公表されている米を主な例としつつ考えてみたい。

 

1. 法律制定の背景

 

 農林水産省の農業構造動態調査によると、農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」は、2026年2月時点で約98万7,000人(概数値、確定値は2026年12月に公表予定)となり、100万人を下回った。2006年の210万5,000人からは53.1%、2016年の158万6,100人からは37.8%の減少である。減少の直接的な要因は高齢化(平均年齢67.7歳)による自然減だが、若手の参入が進まない背景には、農業の収益性の低さや不安定さが挙げられる。図表1は、過去20年の農産物価格と資材・エネルギー価格の比較だが、地政学上の理由などで資材・エネルギー価格が上昇しようとも、それらは農産物価格には即座には反映されないことが読み取れる。また、農産品の生産は気候の影響を受けやすく、熱波や水不足、豪雨などの気候変動の影響も深刻さを増している。このような状況から、2024年の食料・農業・農村基本法の改正に際して、持続的な食料の供給に向けた適正な価格の形成の必要性が議論され、2025年6月にその内容を盛り込んだ食料システム法が成立した。

 

2. 食料システム法と「合理的な費用を考慮した価格形成」

(1)法律の概要

 国内の食料生産と流通の持続性を目指す食料システム法は2つの柱から構成されている(図表2)。「合理的な費用を考慮した価格形成」で費用を下回る価格での取引を抑制することで生産者や事業者の収益を確保し、「食品産業の持続的な発展」で食品の付加価値を高め、生産と流通を持続可能にすることで、食料の持続的な供給を実現するというものである。本稿ではこのうち、合理的な費用を考慮した価格形成に焦点を当てる。

 

(2)「適正な価格」から「合理的な費用を考慮した価格」へ

 食料・農業・農村基本法の改正では「適正な価格」が議論になったが、何をもって適正とみなすかは、立場によって異なる。令和の米騒動として問題になった米の価格の例では、5kgあたりの適正価格は、消費者の最多回答が「2,000円~2,500円未満」であったのに対し、生産者は「3,500円~4,000円未満」と1,500円もの乖離が生じていた(2025年5月、全国19紙の合同アンケート)。消費者の「2,000円~2,500円未満」という水準では、生産者は赤字となり、再生産が成立しない。このため食料システム法に盛り込まれたのが、費用の可視化である。法の施行に伴い、まずは米穀、野菜、豆腐、納豆、飲用牛乳の5品目について、それぞれ政府が定めた基準をクリアし、認定を受けた「コスト指標作成等団体」が、サプライチェーン上の各段階でかかる費用を示す「コスト指標」を作成することが定められた。

 

 2026年4月に公表された米のコスト指標では、2025年4月と2026年4月の時点について、生産と集荷、卸売、小売の各段階でかかる費用が公開されている(図表3)。各段階の内訳、項目ごとの費用や変動まで明示することで、費用の目安を提供するほか、消費者まで含めた関係者の理解を促す効果が期待されている。米以外の品目についても、2026年10月に指標が公表される予定である。

 

 

 ただ、費用を可視化するだけでは、費用を織り込んだ価格の形成は進まない。そのため食料システム法は、費用を下回る価格での取引を抑制すべく、関係事業者に対して、価格協議や持続的な取引のための商習慣の見直し等の申し入れがあれば、誠実に対応することを努力義務として定めている(図表4)。適切な協議を行わないことや買いたたきを禁止し、違反の際にはその内容まで公表される中小受託取引適正化法(通称「取適法」、旧下請法)ほど厳格ではないが、もし事業者が生産者や卸売事業者からの値上げの申し入れに対して繁忙期を理由に断ったり、取引の数量を削減したりすれば、農林水産大臣の指導・助言等の措置の対象となる。

 

3. 費用を考慮した価格の実現に向けての課題

(1)コスト指標の数字をめぐる課題コスト指標については、合理的な費用の目安として公正を期し、信頼性を担保すべく、各作成団体には立場の異なる関係者が参加しており、指標の算出根拠も開示される。しかし、生産から流通に至るまで、基準次第で費用の数字は変わる。例えば、農産品の生産にかかる費用は、地域や規模、生産手法、季節によっても異なる。2026年4月に米のコスト指標が公表された際には、米の流通量の7割を占める大規模生産者ではなく、より生産費用が高い1ha以上~3ha未満の農家のデータが使用されたことが「コストのかさ上げ」ではないかと議論になった。同様に、豆腐と納豆について原料の大豆の輸入・国産の別が勘案されないこと、飲用牛乳は北海道は含めず都府県が基準となることなどについても異論はあろう。

 

(2)コスト指標の実効性

 コスト指標公表の目的は、合理的な費用を考慮した価格の形成である。しかし、市場において主に価格を決定するのは需給であり、農林水産省も、需給と品質が価格形成の基本であるという認識は崩していない。つまり供給が需要を上回れば、コスト指標が示す生産費や流通費にかかわらず価格は下落する。実際に、2025年産の米の高騰による消費不振から2026年6月末時点の米在庫が過去最大の243万トンとなったことを受けて、足元で決定が進む2026年産の米の概算金(JA等が生産者の出荷の際に支払う仮渡金)は、生産段階のコスト指標20,535円を下回る数字が並んでいる(図表5)。

 

 

 また、消費者の理解醸成のためにはコスト指標の認知度の向上が欠かせない。これまでの地域生産者団体による費用の開示や農林水産省による「フェアプライスプロジェクト」は、必ずしも費用の認知や取引価格の向上につながっていないとの指摘がある。コスト指標の浸透に向けた周知や啓蒙は、相応の時間と労力を要すると見込まれる。

 

(3)費用の価格転嫁への壁

 価格転嫁が進まない理由としては、消費者とのタッチポイントである小売の強さが往々にして指摘される。しかし、小売からすれば、業態入り乱れての競争環境の中、たとえ数円でも価格の転嫁は売り上げ減少のリスクである。扱う商材により細分化されている飲食料品卸も、足元倒産件数が比較的多く、特に価格変動が大きい生鮮品を扱う「農畜産・水産物卸」は厳しい傾向にある。さらに、価格転嫁がかなったとして、消費者の購買力にも限りがある。この10年ほど消費支出に占める食料費の割合を示すエンゲル係数は上昇しており、2005年の22.9%から、2025年には28.6%(大阪市は32.2%)に達している。取引価格も店頭価格も、この流通システムと購買力の許容範囲の中に収める必要があり、範囲外になる場合は、政策での対応が必要になる。2025年10月からは、取引適正化のために取引実態の把握や監視を担うフードGメンも配置されたが、協議は「努力義務」であり、価格転嫁を義務付けるものではない。どこまで費用が実際の価格に反映されるか見えてくるのはこれからである。

 

4. 「合理的な価格」を目指して

 食料の国内生産と流通の継続のためには、費用を賄える水準の価格の実現は極めて重要である。需給が価格を決定づける以上、食料システム法が定めた費用の可視化と取引の適正化(関係者間の協議の促進)だけでは、費用を下回る価格での取引抑制には限界があると考えられる。しかし、「合理的な費用を考慮した価格形成」に向けた制度の検討・構築に伴い、生産者から製造・加工事業者、流通事業者、消費者まで多くの関係者がかかわる中、従来十分に認識されてこなかった費用や商慣習の問題が具体的な課題として俎上に載った。費用の価格への反映がどこまで進められるかは不明ながら、合理的な価格を目指し、今後も制度の検証や調整、更新が継続されることが期待される。

以上

 


 

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