ウェルビーイング-成長を測る新たなものさし-

2026年09月17日

住友商事グローバルリサーチ 経済部 戦略調査チーム アナリスト
伊佐 紫

概要

 

 ウェルビーイングという言葉は、身体の健康、メンタルヘルス、よりよい社会という概念と結びついて、国・地域の政策に影響を与えるようになっている。とりわけ、社会不安の増大、金融危機などを経て、経済成長だけで人々の暮らしや生活の幸福度を満たすことができない(Beyond GDP)という認識が共有されるきっかけの一つとなった。さらに、昨今では、会社経営や従業員のメンタルヘルスといった産業界にも影響を与えるようになりつつある。

 

 本レポートでは、最初にウェルビーイングとは何かについて確認し、心理学に基づく調査研究の流れを踏まえた上で、ウェルビーイングの考え方が世間に広まった経緯と、開発されている指標を用いた幸福度と経済成長との関係について考察する。

 

1.ウェルビーイングとは

 

 今、ウェルビーイングという考え方が広まりつつある。1980年代当初、心身の健康やよい社会福祉が人々の暮らしにとって重要であるという意味で使われていたが、2011年にOECDがウェルビーイング指標を発表し、また、2012年には国連が世界幸福報告を公表し始めた頃より政策面での重要性が認識されるようになった。さらに、最近では、健全な企業経営や人的資本経営といった分野でも注目されるようになっている。

 

 そもそも、ウェルビーイングという言葉自体は、1946年に採択されたWHO(世界保健機関)憲章の中で初めて使われた。「健康とは、単に疾病や病弱な状態ではないということだけでなく、身体的、精神的、そして社会的に完全に良好ですべてが満たされた状態である」という定義の中の「満たされた状態」がウェルビーイング(Well-being)に該当する部分であった。

 

 現在では、狭義の意味の心身の健康や、一時的な嬉しい、楽しいといった感情(Happiness)を表すだけでなく、心と身体の豊かな状態である幸福と、社会の良好な状態をつくる福祉の意味を併せ持った、より広い意味で使われるようになっている。

 

2.ウェルビーイングに関する調査・研究

 

 ウェルビーイングに関する研究は心理学をベースに始まった。1980年代以降のコンピューター技術の進展により、心理学に統計学の手法が用いられるようになり、人々の幸福度を大規模に計測できるようになった。

 

 人々が自分の人生や生活について幸福と感じているかを計測する主観的ウェルビーイング研究において最も有名な研究の一つは、米国のイリノイ大学の心理学名誉教授のエド・ディーナー氏が提唱した「人生満足度尺度」である。これは、5つの質問に対して7段階の答えを選ぶ方式で、最低の1点だと合計5点、最高の7点を選ぶと合計35点となり、人生がどの程度うまくいっていると感じているかを測るアンケート調査である(図表1)。

 

 また、同じく米国のプリンストン大学心理学名誉教授のハドレー・キャントリル氏の「キャントリル尺度」も主観的幸福度の計測手法として有名である。これは、自分にとって最良の人生から最悪の人生の間を10段の梯子に例え、今自分はどの段に立っていると感じるか、との質問に回答するアンケート調査で、国連の幸福度調査にも用いられている。

 

 こうした統計学的なアンケート調査に基づく研究が進むにつれ、幸福度を感じている人は、幸福度を感じていない人よりも創造性や生産性が高く、寿命が長いことが明らかとなり、これがきっかけで主観的ウェルビーイング研究はウェルビーイング研究の主流となっていった。

 

 さらに、行動経済学の第一人者であり、ウェルビーイング研究にも大きな影響を与えた米国のプリンストン大学心理学名誉教授のダニエル・カーネマン氏の年収と幸せの関係を研究する行動経済学的手法や、米国のペンシルベニア大学心理学教授のマーティン・セリグマン氏の提唱する、5つの状態を満たしている人が幸せであるとするポジティブ心理学「PERMA」なども、現代のウェルビーイング研究の基盤となっている。

 

図表1 ウェルビーイングについての主な先行研究(出所:各種資料より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

3.ウェルビーイングの計測・指標の開発(Beyond GDPへの流れ)

 

 先に見たように、人々の暮らしの幸福度を測れるようになるにつれ、個人の幸福度の上昇と国の経済成長との間にギャップがあるのではないかという問題意識が、1990年代以降、先進国を中心に広まっていった。

 

 2000年代になると、テロなどの社会不安の増大、金融危機の発生、経済格差の拡大などの社会問題が顕著化し、GDPという経済的な指標をもって国全体の成長を捉えることに限界があるのではないかというBeyond GDPの議論が巻き起こった。こうした議論の中で、国全体の成長を、単に経済的な側面のみならず、社会の安定や、そこに暮らす人々の生活や人生が充足しているかという新たな側面も含めて捉えようとする動きに繋がっていった。

 

 OECDは2011年、経済学者のスティグリッツ・コロンビア大学教授らとともに、より良い暮らし指標(Better Life Index, BLI)を開発した。BLIは現在、38か国を対象に、住宅、所得、雇用などの経済的な指標のみならず、コミュニティ、教育、環境、市民参加、健康状態、生活満足度、安全、ライフワークバランスといった生活の質を示す社会的な指標を合わせて、11分野から客観的に幸福度を計測している(図表2)。

 

 例えば、日本の2024年のBLIは61.1であるが、住宅、収入、仕事、教育、安全分野のスコアは比較的高い一方、コミュニティ、市民参加、健康、生活満足度、ワークライフバランス分野は比較的低くなっている。OECDが毎年まとめる報告書「How’s life? 2024」日本編によると、雇用の回復や政府の支援策により所得はおおむね維持され、経済が回復傾向にある一方、コロナ後も続く孤独感や社会とのつながりの低下、幸福感の悪化が見られ、人々の生活の質は改善しておらず、とりわけ、若年層の幸福感や社会とのつながりの弱体化が見られると指摘されている。

 

 

図表2 OECD Better Life Index現在のウェルビーイング11分野/日本及び各国スコア(出所:OECD Better Life Indexより住友商事グローバルリサーチ作成) 

 また、近年、OECDは、気候変動、生物多様性の損失、水資源問題、政府への信頼度の低下といった課題に対して、現在の幸福度を維持するだけでは不十分として、将来世代のためのウェルビーイング資源をどう守るかをより重要視するようになってきている。BLIには、自然資本、経済資本、人的資本、社会資本の4つの分野が含まれている(図表3)。

 

図表3 OECD Better Life Index将来世代のためのウェルビーイングの資源(4分野)/ 日本のスコア(2010年、2023年)(出所:OECD Better Life Index, How’s Life? 2024 Country note: Japanより住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 国連は2012年からオックスフォード大学らとともに、世界幸福報告(World Happiness Report)を発表している。これは約150か国を対象に、現在と5年後について、自分の人生が10段階評価の何段目にいるかを問うキャントリル尺度を用いた調査である。幸福度について、一人当たりGDP、社会的な支え、健康状態、人生選択の自由度、寛容さ、汚職の少なさの6つの要素から説明し、国別ランキングを発表している(図表4)。2025年の幸福度ランキング1位はフィンランド、2位はアイスランド、3位はデンマークとなっており、日本は61位であった。日本の幸福度は6.1であり、他の先進国と比べて低い。背景には、日本人は質問に対して欧米人よりも控えめに回答しがちであり、幸福度が低めに出るとの指摘もある。

 

図表4 国連による幸福度ランキングTOP20及び日本(61位)(出所:国連「世界幸福報告2026」より住友商事グローバルリサーチ作成)

 

4.幸福度と経済成長との関係

 

 幸福度を適切に計測するために、どの指標を用いるのかについてはまだ研究途上である。一方、Beyond GDPの議論にあるように、幸福度の向上にはGDP以外の要素を考慮する必要があることはすでに共通の認識となっている。

 

 国連の報告書では、日本を含め先進国において、経済的な豊かさとウェルビーイングの相関の弱さがみられると指摘されている。1990年代までのような経済的な豊かさが幸福度の向上の強い要因になっていた時代から、2000年代以降は格差の拡大などにより、一人あたりGDPという平均値によって一国の経済的な豊かさを説明できない事象が起きているとされている。実際に、一人当たりGDPと国連推計の幸福度を比較すると、一人当たりGDPの水準が高いほど幸福度の水準も高くなっているが、所得水準が高くなるにつれて、幸福度への影響が小さくなっている(図表5)。

 

図表5 一人当たりGDPと幸福度の分散とトレンド(2025年)注:一人当たりGDPが8万㌦の7か国及び幸福度が2以下の1か国を図表から削除(出所:国連「世界幸福報告2026」, IMFより住友商事グローバルリサーチ作成)

 

 次に、国連の世界幸福報告の幸福度の変化率(2012年から2025年にかけて)を見ると、上位10カ国には、東欧からブルガリア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソボ、ルーマニアの5カ国が含まれる。世界幸福報告は、ブルガリアを含め東欧諸国の幸福度の上昇は、社会主義体制崩壊後の移行期に生じた幸福度の低下からの回復と、その後の経済・社会条件の改善によるものとしている。ブルガリアの場合、2007年のEU加盟後に所得や賃金が上昇し、生活水準が改善したほか、社会保障制度の改善や、民主化以降の行動の自由、職業選択の自由など人生選択の自由度が向上した。また、政府への信頼の高まりや汚職の減少といった現象もみられた。東欧諸国の事例は体制移行に伴うもので、やや特殊なケースとも言えるが、幸福度の向上が所得や賃金など経済的な成長の影響だけでなく、社会保障制度の改善や人生選択の自由度の向上などの要因にも強く影響を受けていることを示唆している。

 

終わりに

 

 ウェルビーイングの考え方は、1980年代の心理学的な研究対象から、Beyond GDPの議論を経て、現在では人々の暮らしの幸福度との関係を説明する新たな要素として捉えられるようになっている。既に各国でウェルビーイングの指標が開発され、国際機関や国・地域の政策に具体的に組み込まれるようになっており、SDGsに代わる目標としてウェルビーイングを据えようとする流れも出始めている。ウェルビーイングの概念の普及に伴って政策に組み込まれるようになれば、産業界への影響も出てくる可能性がある。一国の経済成長を捉える際、経済指標のみならず、ウェルビーイングという新しいものさしを考慮していくことも有効かもしれない。

以上

 

(参考文献)

OECD Better Life Index(https://www.oecd.org/en/data/tools/well-being-data-monitor/better-life-index.html)

OECD「How’s life? 2024」(oecd.org/content/dam/oecd/en/publications/reports/2024/11/how-s-life-2024_bdcf2f9f/90ba854a-en.pdf)

OECD「How’s life? 2024 – country note:Japan

(oecd.org/content/dam/oecd/en/publications/reports/2024/10/how-s-life-2024-country-notes_c64ecb0e/japan_b8c6a9d3/8aa72c34-en.pdf)

国連「World Happiness Report 2026」(World Happiness Report 2026 | The World Happiness Report)

国連「World Happiness Report 2025」(World Happiness Report 2025 | The World Happiness Report)

国連「World Happiness Report 2024」(World Happiness Report 2024 | The World Happiness Report)

日本ウェルビーイング学会「日本版ワールドハピネスレポート2026(World Happiness Report 2026 Japan Edition)」(https://society-of-wellbeing.jp/wp/wp-content/uploads/2026/03/WHR2026JapanEdition.pdf)

前野隆司・前野マドカ著『ウェルビーイング』

 

 


<執筆者・アーカイブ>伊佐 紫 

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