中東紛争の物価への影響

2026年08月07日

住友商事グローバルリサーチ 経済部
菊井 彩乃

 
経済部 チーフマーケットアナリスト 鈴木 直美
チーフエコノミスト 鈴木 将之
シニアエコノミスト   菊井 彩乃

 

政経イベントコラム第3弾

 米国・イスラエルとイランの戦争開始から5か月以上が過ぎた。6月の停戦合意後、ホルムズ海峡の通航再開が期待されたが、7月に入り停戦合意が破られ、イエメンの親イラン組織フーシ派とサウジアラビアの紛争も再燃するなど、中東情勢は不安定な状況が続いている。ホルムズ海峡やバブ・エル・マンデブ海峡の通航制約が続く中、中東依存が高い国・地域では物価上昇率の拡大が目立った。また、それ以外の国・地域でも、各種の価格上昇のあおりを受けるケースが見られた。中東情勢の経済に及ぼす影響は見通し難いものの、その影響を考える手がかりとして足元の物価への影響を整理しておく。

 

 


ホルムズ海峡の通航制約が与える影響
経済部 チーフマーケットアナリスト 鈴木 直美
(専門:コモディティ)


 

 世界のエネルギー貿易の約2割が通過するホルムズ海峡の封鎖は、以前から「起きる可能性は低いが、起きれば影響が極めて大きい」とされるテールリスクの一つだった。それが現実となり、世界はエネルギー・物流両面で深刻な供給制約に直面した。

 

 影響は原油や液化天然ガス(LNG)だけにとどまらない。中東はエネルギー輸出拠点であるだけでなく、石油・ガスを起点とする素材産業の集積地でもある。近年は域内精製による石油製品輸出も拡大しており、原油・ガスの副産物である硫黄は、肥料生産や金属湿式製錬に必要な硫酸の製造を支えている。また、産業多角化の一環として化学品や金属精錬事業の育成も進んでおり、海峡封鎖は幅広いサプライチェーンへと波及した。

 

 戦闘が長期化する中、各国は護衛付き航行や迂回輸送など、輸出継続に向けた対応を急いだ。しかし、原油は迂回パイプラインの輸送容量に制約があり、超低温輸送が必要なLNGには実質的な代替手段がない。輸送距離・航行日数の増加や陸上輸送への切り替えは物流コストを押し上げ、危険海域を航行する船舶の保険料率も上昇した。その結果、市場価格に加えて、実際の調達コストも増加している。

 

 物流制約の長期化に備え、中東産油国は輸出ルートの多様化を急いでいる。アラブ首長国連邦(UAE)はホルムズ海峡を経由しないパイプラインの増強、サウジアラビアは紅海側の輸出港湾の拡張などを進めており、イラクでもパイプライン再建計画がある。一方で、こうしたインフラ整備には巨額の資金が必要となり、その費用は長期的にエネルギーコストへ反映される可能性がある。

 

 肥料市場では、中国やロシアによる輸出制限を背景に、供給が不安定な状況が続いていた。今回の中東情勢は、窒素肥料の原料となるアンモニア製造に不可欠な天然ガスや、リン系肥料の製造に必要な硫黄の供給にも影響を及ぼしている。農家は作付け前に肥料を調達するため、コスト上昇が農産物価格に波及するまでには一定のタイムラグが生じる。食品価格への影響が本格的に表れるのはこれから、との見方もある。

 

 エネルギーや肥料は、製造業から食品まで幅広い産業の投入財だ。資源価格の変動だけでなく、物流費や保険料、供給網再編に伴うコストも積み重なると、企業は価格転嫁を迫られる。今回のホルムズ海峡封鎖は、供給網を通じたコストプッシュ圧力が時間差を伴って世界の物価に波及する可能性を示唆している。

ホルムズ海峡経由の貿易料の割合(出所:世界銀行よりSCGR作成)

 


日本の物価
経済部 シニアエコノミスト 菊井 彩乃

(専門:日本経済)


 

  • 中東依存リスクの再認識

 日本は原油輸入の約9割を中東地域に依存していることから、ホルムズ海峡閉鎖による影響を大きく受けた。原油価格高騰による経済活動への悪影響を抑制するため、政府は3月中旬よりガソリンの全国平均小売価格を1リットルあたり170円程度に抑える緊急的激変緩和措置を開始した。また、国家備蓄原油の放出(現時点で、4月に決定された第2弾の放出まで実施)や電気・ガス料金支援を講じるなど、供給確保と価格抑制に邁進した。

 

  • 上昇圧力を受ける企業物価

 原油価格高騰や物流コスト上昇により、企業間のモノの取引価格である企業物価指数が顕著に上昇した。2月(前年同月比+2.1%)、3月(+2.9%)、4月(+5.4%)、5月(+6.6%)、6月(+7.1%)と上昇幅を拡大させている。6月の内訳では、石油・石炭製品(+22.8%)、化学製品(+14.4%)、非鉄金属(+39.2%)などの上昇が目立った。なお、円安の進行も相まって、輸入物価指数(円ベース)は+29.7%まで上昇しており、輸入物価の上昇が企業物価の上昇に繋がっていることが確認できる。

 

  • 政策要因により抑制されている消費者物価

 川上のコスト上昇は、これまでのところ、(表面上は)消費者物価を大きく揺さぶっていないように見える。6月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比+1.7%、変動の大きい生鮮食品を除く総合指数(コアCPI)は+1.6%だった。コアCPIは、紛争開始月の2月から5か月連続で1%台を維持している。2~3%台で推移していた2025年に比べると物価は落ち着いているようにみえるが、エネルギー補助金やガソリン暫定税率廃止、教育無償化政策などの特殊要因を除いた日銀版の「消費者物価のコア指標」(除く生鮮食品、特殊要因)ベースでは+2.7%と、依然として日銀が物価安定目標とする2%を超えている。

 

 また、生鮮食品を除く食料は+3.1%と、一時価格高騰したコメ類の動向は落ち着いたものの、その他の食料品価格の上昇や、ナフサショックによる塗料メーカー値上げによる外壁塗装費上昇など、消費者が日々実感する物価は1%台という数字で示される以上に高いのではとみられる(内閣府による7月の消費動向調査にて、日頃よく購入する品目の価格に関する1年後の見通しについて、9割以上の消費者が「上昇する」と見込み、そのうち「5%以上上昇する」とした割合が50%を超えていることにも表れている)。今後、川上のコスト上昇が川下の物価に波及するスピードとその影響度が注目される。

 


アジアの物価   
経済部 チーフエコノミスト 鈴木 将之

(専門:マクロ経済 )


 

  • 中国の物価は上昇に転じた

 中国国家統計局によると、6月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比+1.0%だった。上昇率は2026年2月以降、5か月連続で1%台前半を推移している。2025年を振り返ると、マイナスになる月も多く、デフレ懸念がくすぶり続けていた。そこから一転して、物価が上昇するようになり、物価を巡る状況が大きく変わったように見える。

 

 内訳を見ると、エネルギー価格の上昇を受けてガソリン価格(+15.3%)が2桁上昇しており、中国も例外なくエネルギー価格上昇の影響を受けている。ただし、気懸かりなのは、需要が弱い中でコストプッシュ圧力による物価上昇である点だ。豚肉(▲15.9%)の下落の影響によって食品(▲0.8%)全体は低下している。住居(▲0.3%)も低下しており、不動産不況の悪影響も継続しているようだ。食品と住居という生活費が低下しているため、必ずしも生活苦が強まっているわけではないものの、その原因が国内経済の不調であることを踏まえると内容としてよいものとは言えない。

 

 ガソリン価格が上昇する一方で、自動車価格(▲1.1%)は低下している。新エネルギー車の自動車購入税の全額免除措置が終了し、2026年から半額免除になったため、駆け込み需要とその反動減が表れた政策効果が大きいようだ。需要減に対応するために、値下げ販売も一部で行われているとみられ、これも技術進歩に伴う価格低下など好ましいものでは必ずしもない。

 

 不動産不況などから内需は依然として力強さを欠いており、経済の体温とも言われる消費者物価指数は2026年1月まで1%を下回っていた。実際、物価の基調を表す食品とエネルギーを除くコア指数は+1.0%であり、2025年後半からおおむね1%程度で推移しており、力強さが見られない状態を続けている。需要が弱い中で、コストプッシュ要因によって物価が上昇すると、さらに需要を弱める恐れもある。それは物価を押し下げる方向に働き、コストプッシュの影響が一巡した後に再びデフレ懸念が広がるかもしれない。

 

 また、川上の物価指数である生産者物価指数(PPI)は前年同月比+4.1%だった。過去を振り返ると、2026年2月まで41か月連続でマイナスであり、川上の物価圧力は4年近く低下し続けてきた。しかし、中東情勢の緊迫をきっかけにPPIはプラスに転じた。川上でも現在のところ、石油・石炭、非鉄金属関連の価格上昇が目立っている。川上の物価上昇は多かれ少なかれいずれ川下に転嫁されるだろう。こうした川上の物価上昇の高まりも、コストプッシュ圧力の一巡後のデフレ懸念を強める一因となっている。

 

  • アジアの物価上昇

 中東産エネルギーの依存度が高いアジアでは、物価上昇圧力が高まっている。例えば、韓国の消費者物価指数は2月(前年同月比+2.0%)から上昇率を拡大し、6月には+3.2%となった。東南アジアでは、マレーシア(2月+1.4%→6月+1.9%)、シンガポール(+1.2%→+1.9%)、フィリピン(+2.4%→+6.4%)、タイ(▲0.9%→+2.4%)、ベトナム(+3.3%→+4.7%)などでも、中東紛争が生じた2月以降の物価上昇が目立っている。足元では、これらの物価上昇率は2022年の物価高騰局面で見られた伸び率には至っていないものの、対応も求められている。

 

 一方で、AI・半導体ブームが経済成長を押し上げている国もある。こうした国では、物価高騰の中でも、経済は成長を続けており、先行きも底堅く推移すると予想されている。 もっとも、AI・半導体ブームは輸出や、その財を生産するための設備投資がけん引役であり、エネルギー価格の高騰など物価上昇が重石となる個人消費にはそれまでの勢いは見られない。そのため、見た目の景気の底堅さとは裏腹に、物価抑制の重要性が高まっている。以下では、各国中銀の対応を確認しておく。

東南・東アジアの物価(出所:IMFよりSCGR作成)

 

  • 異なる中央銀行の対応

 韓国銀行は7月16日、政策金利を0.25ポイント引き上げて2.75%にすることを決定した。中銀総裁は、経済成長、物価上昇および金融安定という3つの領域の動向から利上げの必要性が裏付けられたと説明した。AI・半導体向け輸出などが堅調なことから経済成長率は5月時点の見通しから上振れる一方で、物価上昇率が高止まりすると予想されるため、物価抑制に向けて利上げを決定した。韓国ウォン安・ドル高が続く中、今後は輸出にけん引された景気の底堅さが内需の押し上げにつながると予想されるものの、物価上昇がどの程度内需の重石になるのかが注目される。

 

 シンガポール金融通貨庁(MAS)は7月27日、金融政策を引き締め方向に修正することを決定した。4月に続いて2会合連続となる。MASは為替相場をシンガポールドル高方向に誘導する政策を実施しており、その姿勢を一段と強めた。声明文では、国外からの物価上昇圧力が今後も継続し、国内の消費者物価に波及すると予想している。そのため、為替相場を調整することで、物価抑制を図っている。2027年半ばごろから物価上昇率が鈍化すると見通されているものの、実際に鈍化するのか、それ以前にさらに高まることになるのかが焦点となる。

 

 マレーシア中央銀行は7月9日、政策金利を2.75%に据え置くことを決定した。据え置きは6会合連続となった。中銀は、現在の金融政策によって政策姿勢が適切であると評価している。経済成長率は2025年から減速する一方で、物価上昇率が中銀の目標レンジ(4~5%)に収まる見通しであり、物価抑制が喫緊の課題ではなく、様子見の時間があるためとみられる。

 

 フィリピン中央銀行は6月18日、政策金利を0.25ポイント引き上げて4.75%にすることを決定した。利上げは4月に続いて2回目となる。燃料や食料品などを中心に、物価上昇率が依然として高いため、その抑制を狙っている。ペソ安が輸入物価を押し上げることで、物価上昇圧力につながる恐れもある。

 

 2月25日に2会合連続となる0.25ポイントの利下げを実施していた(政策金利は1.0%)タイ中銀は、6月24日に政策金利を据え置いた。緩和的な金融政策が景気回復を支援していると評価した。供給要因から物価上昇率は拡大しており、中銀目標レンジ(1~3%)を2026年後半に上回ると予想されているものの、現時点では景気回復を重視している。

 

 インドネシア中銀は7月22日、政策金利を5.75%に据え置くことを決定した。ただし、その前にはわずか1か月で合計1.0ポイントの利上げを実施していた。5月20日に2年1か月ぶり政策金利を0.5ポイント引き上げた。6月9日の緊急会合で0.25ポイント、6月18日の通常会合で0.25ポイントの利上げを実施していた。プラボウォ政権の経済・財政政策を巡る懸念からルピアが史上最安値を更新する中で、ルピア安に歯止めをかけるために、連続利上げで対応を余儀なくされた。なお、インドネシア中銀のペリー総裁が辞任することが7月27日に発表された。同政権との経済政策の対立や中銀人事などを巡って、市場では中銀の独立性への懸念も高まっていることにも注意が必要だ。

 

 このようにエネルギーの中東依存度やAI・半導体の輸出動向など経済成長の堅調さが国によって異なっており、即時性がある金融政策の対応もそれぞれ異なっている。足元のエネルギーに加えて、食料品の値上がりも懸念される中、それらの悪影響は経済・社会が脆弱な国・地域に表れる傾向があるため、アジア経済の想定外の下振れが警戒される。

 


欧米の物価   
経済部 チーフエコノミスト 鈴木 将之

(専門:マクロ経済 )


 

  • 米国の物価上昇

 米国の個人消費支出(PCE)物価指数は、2月の前年同月比+2.9%から5月の+4.1%へ上昇率を拡大させた。原油価格の落ち着きなどもあって6月に+3.7%とやや鈍化したものの、中東紛争が生じる前の2月と比べると、高い伸び率が継続している。内訳を見ると、エネルギー価格が2月の小幅マイナス(▲0.2%)から6月(+15.8%)にかけて4か月連続で2桁上昇に転じた影響が大きかった。

 

 ただし、米国自体はエネルギーの純輸出国であり、アジア各国のように中東依存度が高いわけではない。しかし、WTI先物などの価格が上昇し、国内のレギュラーガソリン価格も平均で一時1ガロンあたり4ドルを上回った。これは、直接的なエネルギー供給懸念というよりも国際価格の上昇が反映された結果と言える。しかし、ガソリン価格に歩調を合わせて物流コストも上昇し、物価上昇圧力となっている。個人消費は、これまで底堅く推移してきたものの、物価高がその勢いを削ぐ恐れがある。これまで株価上昇などの資産価格に後押しされた高所得者の消費が底堅い一方で、中低所得者層の消費は貯蓄を切り崩す場面もあったなど厳しい状況が続いてきた。そこに、物価高が重石となり得る。

 

 連邦準備制度理事会(FRB)は物価抑制のために、7月の会合で政策金利を据え置くことを決定した。しかし、FRB内部では、物価を抑制するために、利上げを支持する声も広がっている。利下げを求めるトランプ大統領に指名されたウォーシュFRB議長の金融政策運営には、その意向をどこまで反映させるのか、不透明な部分がある。ウォーシュ氏は7月上旬の議会公聴会で、物価抑制を強調した一方で、7月会合後の記者会見では、市場の織り込みによって利上げに相当する効果があるかのような発言を行い、市場では利上げに消極的と受け止められた。物価抑制が後手に回るリスクがあることに加えて、ウォーシュ氏が求めるFRB改革も金融政策の先行き懸念をもたらしており、米国の物価の上振れと景気の下振れリスクが高まっている。

 

  • ユーロ圏の物価上昇

 ユーロ圏の消費者物価指数(HICP)も上昇率を拡大させてきた。上昇率は2月(前年同月比+1.9%)から5月(+3.2%)にかけて拡大した後、6月(+2.8%)にいったん鈍化したものの、7月(+2.9%)も高止まりしていることが明らかになった。2月時点で欧州中央銀行(ECB)の中期目標の2%をおおむね満たしていたものの、その状況は大きく変化した。

 

 ユーロ圏もアジアとは異なり、中東産エネルギーへの依存度はそれほど高くない。北海油田での生産や米国からの輸入などがあるからだ。そのため、ユーロ圏が直面している課題は、米国と同様に数量確保ではなく、国際価格の国内への波及抑制と言える。消費者物価指数の内訳のうち、エネルギー価格は2月(▲3.1%)から中東紛争の発生後にプラスに転じ、4~5月(+10.8%)と7月(+10.0%)に2桁上昇となった。この間、サービス価格は3%台前半を、食品とエネルギーを除くコア指数も2%台半ばをおおむね推移しており、物価の基調は安定している。現状では、エネルギー関連の価格上昇にとどまっているようだ。

 

 ユーロ圏では、足元の物価上昇が企業の価格設定や賃金交渉に波及するかが注目されている。物価上昇率が10%を超えた2022年の物価高騰局面では、ECBは政策金利(中銀預金金利)を▲0.5%から4.0%へ急ピッチで引き上げざるを得なかった。結果的に景気を減速させ、物価上昇率を2%前後に落ち着かせることに成功したものの、対応が後手に回ったという反省がある。

 

 これまでのところ、短期の期待インフレ率は現実の物価上昇とともに拡大してきた一方で、中期の期待インフレ率は安定している。物価上昇が中期的に継続するとは、これまでのところ予想されていない。ECBの賃金トラッカーからも、賃金交渉の結果として賃金上昇率が高まっている様子は見られない。こうした状況を受けて、ECBは7月の理事会で、価格・賃金設定が変化した兆しをまだ見いだせていないとして、政策金利の据え置きを決定した。

 

 中東情勢は一進一退の状況にあり、長期化している。そうした中で、ホルムズ海峡の通航がかつての姿に戻るという見方も後退しつつある。代替調達先など供給網を再構築していくならば、割高になることは避けられない。それが中長期的にエネルギーの国際価格にも反映され得る。そのような状況で、二次的な効果が表れるのか、表れた場合どこまで広がっていくのかが注目される。

以上

 


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